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「繊細な子ども」と「繊細なママ」 - HSCの子どもを育てるHSP+エンパスの母の備忘録

「幼稚園に行きたくない」

深夜、急に夜泣きを始めた娘の背中をさすりながら「どうしたの?」と尋ねた質問への答えだった。

深夜というよりも明け方に近い、丑三つ時を過ぎた頃。寝ながらも、明日のことを考えて悲しくなって泣けてしまうほど行きたくないのか。

「いいよ。明日は家にいよう」

そう声をかけると、安心したのか、4歳の娘はまたゆっくりと眠りについた。


私の娘は、きっと繊細なカテゴリーに入るんだろうことは、とっくの昔から知っていた。

そもそも私自身がHSPかつエンパスであって、おまけに躁鬱傾向もある(実際に診断されたわけではない。もしかしたら単純にHSS型HSPの気質をもっていて、その落差が激しいだけなのかもしれない)。
"感情の繊細さ" ということをテーマとして生まれてきているような人間から生まれている彼女が、人一番繊細な子どもなのは、とても自然なことに感じていた。


今日はおやすみをします、という連絡を園にした後、「最近のクラスでの様子はどうですか?」と聞いてみた。担任の先生は30分以上、細やかにクラスの中での娘の感情の機微などについて語ってくれた。その繊細さは、私が想定していた以上のものだった。

彼女がどんな想いで、どんな葛藤や考えを、その小さな胸に抱えて、多くの場合は恐れや不安をぐっと飲み込んで、平然と生きていようとしているのか。彼女の表情のひとつひとつ、視線や、思考、身体の硬直状態や胸の重さ、喉が締まる感覚。そういったものが、先生からの話を聞きながら、まるで目の前に見えるかのように感じて、込み上がってくるものに逆らえず、静かに涙を流した。


そりゃあ、しんどいよな。
そりゃあ、行きたくないよな。
そりゃあ、ずっとママとだけいたいよな。


愛おしさが、込み上げてくる。
こんなに柔らかくて、愛おしいものを、自分は育てていたのか。
わかっていたけれど、わかっていなかった。
そんな彼女が頼る先、信頼と安心のベースとなるのは、私なんだ。グッと、丹田に重心が降りてスッと背筋が伸びる感覚だった。


そもそもHSPだとか繊細さんという概念が社会に浸透し始めたのは、ここ数年のことのように感じる。そして、HSPや繊細さんという概念は、あえて歯に絹着せぬ言い方をすれば、ある種のトレンド言葉のように、あまりにも気軽に使われているような氣がしている。言ってみれば、今の時代、誰でも彼でも、みんな繊細さんなんじゃないかと思えるのだ。

「私、繊細さんなんだよね」「私もそうなのー!」「生きづらさ、感じるよねー」「わかるー!」みたいな会話が、何度目の前で繰り広げられただろうか。その会話を見ながら、言語化できないふわりとした違和感のようなものを感じることもあった。


繊細であるということ。
エンパスであるということ。
感じすぎてしまうということ。
その自覚すらないまま生きてきたということ。

自分は人としてのなにか大切な器官、もしくは部分が欠如しているんではないだろうか。だって。ナニカが。言語化できない "ナニカ"が、明らかに、違っている。

そんな風に思ったことが、何度あっただろうか。
たった一人で。誰からも理解してもらえず。


「考えすぎだよ」
「もっと肩の力を抜いて生きていったらいいのに」
「もっとポジティブにいこうよ」
「難しく考えすぎなんだよ」
「すごく周りに氣をつかっているよね。疲れない?」
「もっと自分勝手でいいんだよ?」
「みんな多かれ少なかれ孤独を抱えて生きてるんだよ?」


漠然とした "ナニカ" について語るたび、こんな言葉が返ってきた。悪氣はもちろんなかった。そこには愛しかなかった。

でも、苦しかった。寂しかった。

与えられている愛情を、本当の意味で受け入れることができない自分に、罪悪感すら感じた。表面上の笑顔の仮面で、「そうだよね。ありがとう」と返事をして、その場を収めるしかなかった。でも、「やっぱり理解してもらえないんだな」という孤独感は増していく一方だった。「ごめんね」と思った。「あなたの愛や優しさを受け入れられなくて、ごめんなさい」。

そんな風に感じる自分が、当たり前や普通をこなすことすら、とても困難に感じる自分が、人としておかしいんじゃないか。間違っているんじゃかいか。そんな風に空氣のように、自然に、感じていた。


小さな娘の手を握って、近くの河川敷を目的もなくふらふらと風に吹かれながら散歩した。自分の内側から滲み出るおだやかさと静けさが、彼女の中に浸透していっているのがわかる。

風を感じて、木々の色や、葉っぱのさざめきや、水の流れる音、遊ぶ子供たちの声、肌に心地よい涼しい温度、雲、空。そして、天と地の間にある "ナニカ"。それを、一緒に感じる。吸収する。見ている。聴いている。

言葉で共有したりはしない。わかり合おうとも、しない。
言葉に落とし込んでしまったら、陳腐な「幸せだね」とか「大好きだよ」の言葉にしか集約できないことが分かっているから。


「あなたは、なにも間違ってなんかいないし、おかしくなんかない」
「おかしいのは、あなたじゃなくて、この世界の方」
「だから、あなたはそのまんまでいいの。そのまんまで完璧で、美しくて、尊いんだよ」
「変わろうとする必要も、合わせようとする必要も、染まろうとする必要もない」

本氣で、心の底から、確信を持って、そう思った。
手を握って歩きながら、何度も見上げてきては微笑みかけてくれる娘を見て。
ぎゅっと、強くその小さな手を握る。


「少しくらい歯を食いしばって向き合わないと、いつまで経っても成長しないよ」と言われ続けて育ってきた。そういう世代だった。
「これだから "ゆとり"は。」「もうちょっと頑張れよ。」「逃げてばっかりだったら、いつまでも強くなれないよ。」

そんな言葉が飛び交う世界の中で、歯を食いしばって生きてきた。だからこそ、小さな娘の寝顔を眺めながら思う。


「頑張らなくていい」
「居心地が良くない場所に、無理してい続ける必要なんてない」
「今いるところがしんどいのなら、居心地がいい場所を、探しにいけばいい」
「万人に理解されなくても別にいい。理解してもらえる人になろうしなくていい」
「あなたのことを分かってくれて受け入れてくれる人を見つければいい。それは逃げでも、甘えでもない。自分を大事にしてるってことなんだから」


あまりにも繊細な人間にとって、この世界は、一日を生きるだけで潰れてしまいそうなくらいにしんどくて、苦しくて、大変だ。そのつらさは、大変さは、きっと多くの人には理解してもらえない。だからこそ、理解してくれる人とだけ、分かり合える人とだけ、一緒にいることを選択するのは、逃げでも甘えでもないと思うんだ。


自分の愛おしい我が子に対して、自然とそんな祈りが沸き上がってくる。
そして、それは、自分自身へのラブレターであったことにも氣付いたんだ。

「あなたは、全然悪くなんてなかったんだよ」
「あなたは、全然、おかしくなんてなかったんだよ」
「おかしいのは、狂っているのは、この世界の方なんだよ」
「だから、あなたは、逃げてもいい。自分が心地いと感じる人や環境の中だけを選択し続けていい」
「闘わなくていい。頑張らなくていい」
「だって、生きているだけで、死ぬほど頑張ってるんだから」


仕事終わり。
娘のお迎えに向かう道すがら。

今日1日という日を、その小さな身体で、喜びも悲しみも楽しさも痛みも享受して、一人でも勇敢に、精一杯頑張って乗り越えたであろう娘を思って、胸が熱くなって嗚咽が溢れてきた。

その込み上がってくる涙たちは、私が私の中にいる小さな私のために流したものだったのかもしれない。それは、小さくて、なによりも誰よりも愛おしくて、大切で、心の一番やわらかい部分を共有している娘からの、かけがえのない祝福に違いない。

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