見出し画像

タバコから始まる禅問答-善と悪・二元論・悟り

「タバコは身体に悪い」

もはや宇宙法レベルで浸透しているこのステートメントに対して、今の時代、誰も疑問を抱くことすらないだろう。

でも、本当にそうなんだろうか?

最近の私は、タバコに対して深く向き合い哲学し続けている。

初めに言っておきたいのが、この記事で別に私はタバコが身体にとって有害なのかどうかを論じるつもりもなければ、タバコを薦めようとも思っていない。その辺りは、個々の判断に任せればいいと思っているし、その時々で何を思い、何を感じるかは、変わっていくことだと思っている。

私にとって、タバコと向き合うことは、靈氣と徹底的に向き合い続けたこととなんら変わりはない。人に「これは善だよ」と言われても「これは悪だよ」と言われても、私は基本的に納得しない。自分で徹底的に考え抜いて、感じきって、自分なりの答えを見つけないと、私は前に進めない。

個人天体5つともが不動宮、そして4つが水瓶座の私の、それが本質であって変わることがない性質というところだ。

ということで、水瓶座ワールド全開で、タバコについて哲学してみたいと思います。




タバコの歴史をざっくりと

タバコとは、元々南米大陸で自然に育っていた。
Tabaccoと呼ばれるこの植物を、南米のネイティブトライブは、目に見えない世界と繋がるための神聖な架け橋として、とても大切にしてきていた。

例えばアヤワスカやカンボなどを摂取するセレモニーの前には、タバコを粉状にしたラペ(ハペとも呼ばれる嗅ぎタバコ)をまずは摂取して、スピリットたちに目に見えない世界と繋がりやすくしてもらう。

画像はネット上からお借りしました

スピリットに捧げる供物として使われるのもTabaccoだし、例えば新しい土地に赴いたとき、母なる大地に捧げるのもTabaccoだ。現在の南米のシャーマンたちは、いつもシャグ(手巻きタバコに使うタバコの葉っぱ)を持ち歩き、それを事あるごとに母なる大地に供物として捧げているそうだ。

南米のシャーマンたちは、タバコを吸うのではなく、鼻から吸って摂取する。しかし、北米のネイティブアメリカンたちは、パイプを使ってタバコを吸う。

画像はネット上からお借りしました

タバコの取り込み方は違えど、Tabaccoを神聖なプラントメディスンとして、最大限のリスペクトを持って向き合っていることには、変わりはない。

南米に西洋人が辿り着いたとき、このプラントメディスンを見て、それを現地に持ち帰り、プランティング(栽培)して市販のものとして売り出すようになった。もちろん、そこにTabaccoのスピリットへのリスペクトなどは無く、セレモニーやリチュアルとしてではない。添加物や漂白剤、依存性のあるキミカルを添付して、商業用として広く販売されるようになった。それが、現在一般的にコンビニなどで販売されているタバコだ。

この時点で、少しタバコに対する概念や印象が変わった人もいるのではないだろうか。



「タバコは身体に悪い」を哲学してみる

去年、1ヶ月くらい咳が止まらなくなったことがあった。
肺の深いところから咳が出てきて、苦しくて夜も眠れない。
念のため複数の病院で診てもらったが、肺はめちゃくちゃ綺麗だし、採血などしても特に以上は見受けられない。咳喘息にも当てはまらない。

「タバコは吸いますか?」と聞かれ、「週に0〜5本くらいですかね」と答えると、「ああ、タバコかもしれないね。タバコはやめた方がいいよ」と言われた。

生理痛がきついときが1年に数回程度あって、婦人科に相談しに行ったら、まったく同じ質問をされ、まったく同じことを言われた。


そりゃあ、そうでしょう。

そう思う人が、ほとんどだと思う。
でも、ですよ。


咳が止まらなかったとき、3件ほど病院を周り、とりあえず咳止めやら抗生剤やらを渡される。飲んでみるけど、咳はとまらない。そらそうだろう。原因も分かっていないし、原因を解決しようとしているわけではない。とりあえず、見えている現象を「ないもの」にしようとしているだけなのだから。

結局、そのとき、咳は1ヶ月間止まらなかった。

数ヶ月後、まったく同じ咳がまた出るようになった。今度は病院には行かずに自力で治そうと思って、薬膳のお茶などを自分の身体の声を聞きながら作って、それを飲み続けた。1週間ちょっとで、咳は治った。

その間、タバコはずっと一定のペースで吸い続けていた。
タバコは、原因ではなかった。


生理痛も同じだ。

一般的にタバコは生理痛を重くすると言われる。
でも、タバコは一定のペースでずっと吸い続けている。それでも、痛いときもあれば、痛くないときもある。タバコだけが原因とするには、なんだか納得がいかない。

そこで、何度も繰り返す重たい生理痛の前後、なにか共通点はないかと考えてみた。そうしたら、共通点がひとつだけあった。それは、めちゃくちゃ痛い生理痛の月の前に、抗生物質やお薬を服用していたということ。

他にも、コンビニのお菓子や市販のチョコレートや甘いものをたくさん食べていた時期は、生理痛が重く、経血もドロっとして塊が多かった。(チョコレートや添加物、甘いものは極陰の食べ物なので、身体を冷やす。生理痛や、経血の塊は身体が冷えている証拠なので、辻褄が合う)



「タバコは身体に悪い」の方程式で隠されてしまうこと

結局のところ、少なくても私の場合は、咳も生理痛も体調不良も、タバコとは関係がなかった。本当にタバコが原因ならば、タバコを吸っていたら症状は継続するはずだし、タバコをやめれば症状はなくなるはず。でも、そんなことにはならなかった。

私の場合、明らかに食べているものが原因だったことが、自分の身体と対話するとはっきりと分かった。

ここに、水瓶座の性質が強い私は、世界の闇をみるのだ。(なにがどんな風に闇なのかについては、最後まで読んでただければわかります)



タバコはなぜ規制されないのか

考え方を変えてみよう。

これだけ「タバコは百害あって一利なし」と言われているのに、なぜタバコの製造は無くならず、タバコの販売も禁止されないんだろう?考えてみたことがあるだろうか?

本当に身体にとって(もしくは社会にとって)百害あって一利なしなのであれば、薬物などのように法律で取り締まってしまえばいい。でも、世界を見ても、それだけの熱量でタバコを取り締まっている国はほとんど存在していないのではないだろうか。

しかも、お医者さんは「タバコは本数は関係ないよ。一本吸ったら、その時点で終わりだから。一本でも20本でもその害は変わらない」と堂々と言う(複数のお医者さんに言われたこと)

でもさ。と思う。
いやいやいやいや。1日20本吸ってる人と、1週間に1本の人と、ダメージが同じって、それはちょっと流石におかしくないですか?それは流石にちょっと納得できない。しかも、例えばコンビニの添加物いっぱいのタバコを一箱吸っている人と、自分でめちゃくちゃこだわって、ヘンプ100%のペーパーを使ったり、漂白されていないフィルターや、無農薬無添加のシャグを手巻きで巻いている人で、ダメージがまったく同じって、おかしいでしょうよ。
それは、ちょっと思考停止しすぎだし、極端すぎやしないだろうか。

仮にそれだけ悪いものなのだとしたら、国はもっと堂々と取り締まるべきだと思う。コンビニで買えてる時点でおかしい。税金をあげて値上げをしているっていうのも、「何かしらの対応をしてますよ」っていう風に見せかけるだけのパフォーマンスでしかない。本当に危ないもので規制しなければいけないなら、もっと他に規制のやりようはある。

つまり、タバコは「悪いものだよ」と世間に認識してもらいたいけれど、「完全に無くすことはしたくないもの」なのだということだ。それはなぜだろう?

ここで、元国際関係学部の私は、さらに考察を広げていく。



社会を統一するための政治的政策

国際関係学や国際政治学で学ぶ、世界や国を統一するために必須の手段。それは、本物の敵(自分たち)に牙を剥かないように、仲間内でスケープゴートを作り、仲間内で喧嘩をさせ続けるというもの。

ルワンダジェノサイドという世界的な事件を知っているだろうか?

ルワンダ虐殺とも言われるこの事件は、1994年、アフリカのルワンダという国で発生した。たった100日間で、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間の人々が大量虐殺されたのだ。しかも、虐殺したのは軍隊などではなく、一般市民だった。隣人がある朝急に薙刀を持って、隣人をめった切りにして虐殺する。そんな事件が、ルワンダジェノサイドだった。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E8%99%90%E6%AE%BA

画像はネット上からお借りしました

ルワンダジェノサイドについて興味のある方は、ぜひ「ホテルルワンダ」などの映画を観て欲しいと思う。

一般的に、ルワンダジェノサイドは、フツ族とツチ族間の民族構想として説明される。しかし、実際のところは、少し違う。(タバコの話にちゃんと繋がるので、今しばらくお付き合いください)



ルワンダの歴史ールワンダジェノサイドはなぜ起こったのか

ルワンダは、全世界植民地時代にベルギーによって支配された。ベルギーも他の列強と同様に、スケープゴートの手法を使ってルワンダを支配しようとした。

ルワンダには元々3つの部族が存在していた。一番古くからこの地に住んでいた狩猟民族のトゥア族、農耕民のフツ族、そして牧畜民族のツチ族だ。

民族的なパーセンテージで言うと、フツ族が一番多く、その次にツチ族。この2つの人々がルワンダの人口のほとんどを占めていて、トゥア族はほんの少数だった。

民族的な流れで見ると、フツ族とツチ族は同じ祖先から派生しているといわれている。見た目もそんなに変わらない。フツ族とツチ族の違いは、民族的・身体的なものよりもむしろ、生業の違いに依存するものが多かった。

そのため、フツ族とツチ族の明確な違いはなく、また固定されたものというよりは生業によって緩やかに変化していく流動的なものだった。(学生時代、ルワンダジェノサイドについての論文を書いたときの記憶を頼りに書いているので引用元が分からず。氣になる方は調べてみてください。日本語よりも英語の方が情報量は多いです)

植民地となる前までは、フツ族をツチ族が緩やかに支配しつつも、三部族(民族)はある程度平和に暮らしていた(もちろん、戦いなどは歴史的にはあったらしい)

ツチ族とフツ族の”民族”としての形が固定化するのは、ベルギーが植民者としてルワンダを支配し始めた頃からだ。ベルギーは、人口が比較的少ないツチ族を優遇する政策を作り出した。ルワンダの人々にIDカードを作り、そこにツチ族・フツ族・トゥア族と明記させた。その時に、「お前は肌が少し白くて西洋人っぽいからツチ族」みたいな感じで、民族属性をつけ、固定化させた。

ベルギーはまた、民族によって就ける仕事に差をつけた。人口の少ないツチ族を政治の中でも優遇し、政治家などもツチ族が優遇される。少数のツチ族が多数のフツ族を支配する形を徹底することで、フツ族のツチ族に対する不満を増進させた。

つまり、ベルギーは意図的にツチ族をスケープゴートとして、フツ族とツチ族の間の亀裂を育んでいったのだ。統治政策の一環として。

その不満が溜まりに溜まって、最終的に起こったのがフツ族がツチ族を大量虐殺するルワンダジェノサイドというわけ。怖いよね。



スケープゴートという統治手法

なぜこういったスケープゴートを作る方法がとられるのかというと、その民族が団結して自分達に歯向かうことがないように、だ。シンプル。

本物の共通の敵があると、人は強く団結する。だから、共通の敵が自分達なのだということを “忘れさせる”ためにこういった手法がとられる。

ちなみに、インド・パキスタン問題だってそうだし、中東問題だって、このスケープゴート作戦の賜物だ。歴史は常に繰り返し続けているし、西洋列強が使う政治的政策は変わることはない。たった数年前に勃発したロシアとウクライナの戦争だって、ロシアが悪の親玉として固定化されているが、これだってスケープゴートじゃなかろうか?

戦争というのは、なんにせよ金になる。金に困ったら、とりあえず戦争を起こさせればいい。それが世界大戦以降の世界の政治の裏の常識だ。そのためには、 “自分たち”は、もちろんヒーローでなければいけない。悪者を作らなければいけない。その悪者は、誰になる? “自分たち”に従属しない者、相反する思想や宗教、政治的立ち位置をとる者。

ちなみにちなみに、昨今話題になっている台湾有事。この辺りも、見事にスケープゴート作戦に巻き込まれてるなぁ、と思っている。中国、台湾、日本、アメリカ。さて、本当の敵は誰で、その “本当の敵”は、誰をスケープゴートにしようとしているのでしょうか?

そうやって国際政治を見ていくと、いつも同じパターンが見えてくる。そこに自分で氣付けるようにならないといけないと思う。なにが正しいかなんて、どこに立っているかによって簡単にひっくり返るものなんだから。



タバコもスケープゴートなのかもしれない

こういった視点で世界を見始めると、「タバコがすべての健康問題の諸悪の根源」というステートメントに対して疑問が湧き上がる。

もちろん、タバコにも害はあるのだろう。それは別に否定しない。でも、タトゥーだって、染色だって、ピアスだって、ピルだって、コンビニのご飯だって、副作用やなんらかの身体への害はある。その程度は、人によるかもしれないけれど。

結局なにが言いたいのかというと、上述した “タバコは「悪いものだよ」と世間に認識してもらいたいけれど、「完全に無くすことはしたくないもの」なのだということ” なのだ。

なぜ、こんなにも悪とされるタバコは規制されることなく、手を伸ばそうと思えば誰でも手を伸ばせるくらいのところに野放しにされているのか?その裏にある目的とはなんなのだろうか?それは、タバコがスケープゴートとして使われていることに他ならないんじゃないだろうか?

生理痛も、体調不良も、癌でさえも。
タバコだけを原因としてしまえば、そこで人は思考停止する。「タバコ吸ってるからですね」とお医者さんに言われたら、それ以上追求しようとも思わない人が大多数だろう。

でも、食だって、人の健康状態だけではなく精神状態にだって、大きな影響を与える。むしろ、私個人の肉体の体感としては、食事が絶対的な私の肉体や精神に影響を与えているファクターだ。薬や、現代の食事。本当に見直すべきところは、そこじゃなかろうか?でも、そこを見直しさせたくはない。そんな裏の意図があったりする。

一般論で、社会的に分かりやすく「悪」とされているものには、多かれ少なかれ「それが悪でいてほしい裏の理由」があるものだ。それを、私はタバコと向き合うとき、いつもヒシヒシと感じる。



スピリットとしてのタバコを取り戻す

特に最近の海外のタバコのパッケージには、肺がんになった肺の写真や、心臓の写真、死にそうになってる人の写真が貼られている。「タバコは健康に良くないから、吸わないでください」って。

写真ネットからお借りしました

いや、そんだけ悪いなら、写真貼ってないで製造禁止、輸入禁止にすればいいやん。って思う。(まぁ、そんなことしたら余計に裏ルートで繁栄するのが歴史の常ですけれども。でも、言いたいことは分かります?)


こういう写真を見るたび、南米のシャーマンたちは憤るらしい。(南米のシャーマンたちと生活を共にしている知人が言っていました)
勝手に奪われ、勝手に魂を抜き取られ、商業用に貶められ、あげく悪の権化としてこんな風にされてしまった神聖なTabaccoのスピリットたちを思って。

それは、なんだか封印され、鬼とされた世界中の女神や神々に通じるところがあるようにも思う。

とはいえ、市販のタバコと、南米でシャーンたちが大切に大切に育て、向き合っているTabaccoが同じだとは思わない。それはお母さんが心を込めて作ったおにぎりとコンビニの機械で大量生産されたおにぎりが同じではないのと同じことだ。

市販のタバコは、身体にめちゃくちゃ良いものではないんだろう。でも、百害あって一利なしと世間が声高に叫べば叫ぶほど、「それほんまなん?その裏にはどんな意図があんの?」と深掘りしたくなるのは、私の性(さが)だ。


数年前、カナルタという文化人類学的ドキュメンタリー映画を友人と観に行った。

南米のシャーマンと共に生活し、彼らの生活をドキュメンタリーとして映画にまとめた「観る」文化人類学作品だ。

その作品の最後で、シャーマンがアヤワスカを飲んで吐き、苦しみむ場面が写されていた。(真っ暗闇だったので声しか聞こえず、姿は見えなかった(

その描写を見た私の友人は、「なんでそんなことをするのか分からない。びっくりした」と言っていた。彼女にとって、それはかなりショッキングで、理解不能なことだったらしい。

あれだけ吐いてしまうなんて、アヤワスカは身体に悪いものだよね?と。

シャーマニックな世界をゆるく探究している私は、「そんなことはないよ」と伝えた。アヤワスカは、幻覚作用もある。でも、それは自分の身体の内にある物質的・エネルギー的不純物を吐くことでデトックスし、自分自身をクリアリングしているものであって、とても神聖なリチュアルなのだと。

でも、確かに一般論で見れば、アヤワスカやカンボやラペなどの嗅ぎタバコは理解できない、 “ドラッグ”として認識されるのだろう。

結局、なにが悪であって、なにが善なのかは、その人の文化的背景や生まれ育った環境、どんな色眼鏡で世界を見ているかによって簡単に反転するのだ。

それは、私自身が自分の人生の中で何度も実体験を通して経験してきたことでもある。


本来の古神道においての “悟り”とは、「差」を「取る」ことなのだそうだ。急遽の悟りとは、善も悪も融解し、二元論の世界から抜け出していく。すべてがただそこに在る現象して現れ出てくる。そこにジャッジも判断もなくなっていく。

私自身、タバコに対して深掘りは続いているし、迷いも葛藤も抱いている。結論は、まだ出ない。出ないなりに、自分の肉体の声と向き合い、自分の身体の反応に耳を澄ませることを続けている。


最終的には、タバコは悪だと認識して、さよならを言う日が来るのかもしれない。来ないかもしれない。タバコとより深く向き合うために、一時的に離れることもあるかもしれないし、向き合い続けた結果、今とはまったく違うTabaccoとの向き合い方が始まるのかもしれない。

わからない。
分からないからこそ、問い続ける。

私にとって、世界は難解だ。
そして、とてもシンプルでもある。
「知りたい」「理解したい」
結局、ただ、それだけなのかもしれない、
ただそれだけのシンプルな探求のために、上も下も、右も左も、体験しているのかもしれない。

そんな、私の脳内の、ほんの一部。
探求は、まだまだ続きそうだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます! 「参考になった」「学びや気づきがあった」など感じていただけましたら、「スキ」ボタンで教えていただけると嬉しいです。