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ボ〜ッとしているともったいない

時間は限られている

近代から現代の高度成長期の日本で、寝る間も惜しむほど働いてきた皆さんに、こんなことを言うのは適切ではないのかもしれないけれど

「何もせずにボ〜ッとしている時間はもったいないよ。」

人生で時間は限られている。何もしなくても時間は過ぎていくし、何かをしていてもちゃんと過ぎていく。

ずっと何かを頑張ってやり続けるとか、すごく気合を入れないとできないこととか、絶対に「休まず働け」ということではないのだけれど

後々ようく考えてみると「ポッカリ穴が開いたような時間、空間」ってないですか?

それが実は「ボ〜ッとしていた時間」。

頭を忙しくしてもしょうがない

ずっと何かを忙しく考えていても、すぐにその答えは出ない。あれこれ「考え」が頭の中で行ったり来たりするっていうことは、考えがまとまっていない「想いが定まっていない」ということで、逆に不安が募ったり、ストレスの発生源になったりもする。

でも「何も考えてはいない」のと「ボ〜ッとしている」のとは少し違う。

「心を無にする」って、なんだかとっても難しそう。

けれど人生一度くらいは、何かを「無心になってやっていた」という経験はあるはず。

「無心になって何かをする」というのは、どんなに頭を捻っても叩いても「自発的にやる」ことはできないし、計画を立てて実行することも、なかなか難しいことだと思う。

無心になっている自分を探す

大体「無心、夢中になっている時」って、ちょっと時間が経ってから「あ!わたし今すごく夢中になってた!」って気付くものですよね。だからある意味、本当に夢中になっている時って、その時は「全く気付かないくらい夢中になっている」とも言えます。

例えば「ゲームに夢中になっている子ども」って、良くないですよね。

「おしゃべりに夢中になっていて車に気が付かなかった」も、非常に良くないですよね。

それくらい「夢中、無心になっている状態」って、現在進行形の「今まさにこの瞬間」にしか姿を現さないものであって、そんなに素晴らしいことなのに、それに気付かずに通り過ぎてしまうようなことであれば、それは

「ボ〜ッとしていた」

ということにもなり兼ねません。

「今」に集中してみる

過去の素晴らしい瞬間を思い出したり、人に語ったりできることは素晴らしいことだと思います。けれど、その瞬間は二度と「同じ形で発生することはない」です。

次に起こる素晴らしい出来事は「今、この瞬間に」起こるかもしれません。

それが歴史に残るような一大イベントではないかもしれませんが「空気がおいしい」とかの素晴らしい体験ができるかもしれません。

ちょっとずつの心が躍るようなイベントが

今に起こるかもしれないと、ふと考えながら

一瞬一瞬を過ごせるような毎日だったら…

心がワクワクしませんか?


to be continued...



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