『感動』に鈍感な時代
今までの人生で一番感動した出来事はなんですか?
時々ありませんか?
「ホンモノを見たことがないのに、見たつもりでいること」とか
「ホンモノを食べたことがないのに、食べたことがあるように思っていること」とか。
エベレストを見たことも登ったこともないのに、世界中の人がエベレストを見たことがある気になっているし、山頂からの景色を動画で観たことがあれば、登ったことがあるつもりになる。
キャビアなんて食べたこともないのに、高級キャビアの食べ比べをしている人の話を聞けば、まるで味の違いまで分かったようなつもりでいる。
それはまあ
ラジオやテレビが出現した頃から
ある程度「世界を見る目」は広がってきたんだろうけど
今はスマホの中で
他人の心の内すら
覗きこめるような時代。
スマホの画面に映っている景色を
「きれい〜」と思える。
写メで撮られたお食事を
「ウマソ〜」と思える。
活字で伝えられた言葉を
「ウソ〜しんじられない〜」と捉える。
よ〜く考えると「アレ?おかしいぞ、それ?」とも思えないくらい
当たり前にズレている感性。
とりあえず「感動」って
観れば絶対に感動する映画とか
聞けば絶対に感動するお話とか
そりゃあ確かにそうなんだろうけど。
「感動」って、ホンモノを
見たり、聞いたり、食べたり、嗅いだり、触ったり、実際にやってみたりした時に、
言葉で説明できないような状態になる
『ココロの動き』『ココロの領域』のことであって
どうしようもない、とてつもない、素晴らしい『感動』って、やっぱり「かつてないような初めての経験」である必要があるんだよね。
それがスマホひとつで
80%くらい「すでに知っていること」
みたいになっちゃってるんだよね〜。
これは若者にはもちろんだけど、
どの世代にも拡がってきている
複雑で恐ろしい風潮ですよ。
ある程度のエネルギーが要る
人間って、どうしても
辛い、しんどい、面倒なことは避けて
楽な方を選びたがるよね。
これはプログラムに入ってるから
しょうがないことだと思う。
けどやっぱり「実感や達成感」を得るには
「それなりの努力」が必要なんだよね。
いや。そもそも
「達成感=やりきった感」って、
それを本当にやらないことにはやって来ないワケで
まず動機「エンジンかける」
そして行動「エンジンふかしてぶっ飛ばす」
それから操作「時には事故も起こすかもしれない。でも交通ルールを学んで守って、自分なりの正しい運転を心がけましょう」ということ。
心に燃料が入っているならっ!
それを「なるべく使わないように」なんて思わないで、
上手に使って「冒険に出かけよう」!!
あ、でも…
僕が本当に言いたいのは…
『感動』って
大きければ大きいほど
それは素晴らしいだろうけど
それに伴うエネルギーはもちろん。
「時間やお金」の消費量も
かなりのものになっちゃうからさっ。
もしかしたら手が届く前に
燃え尽きちゃうかもしれないので
ホラっ「ち〜さい秋♫ち~さい秋♫見〜つけたぁ」とか言うじゃない?
些細なことにも感動できるような
繊細な「ココロのアンテナ」を立てて
コツコツ稼いでいく感動も
たくさん貯めると『いい人生』になるよっ!
to be continued...
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