見出し画像

月の砂漠のかぐや姫 第255話


「どこなの・・・・・。ここだよ、あたしはここだヨ。そうだ、お母さん、お母さん! あたしはここだよ。ねぇ、お母さん! 違う、オージュ。違う違う、お母さん、おかあさーん! オージュ、助けて! 怖いヨ、助けて!」
「理亜ぁっ、うわ、うわわわっ。理亜っ。大丈夫か!」
 とうとう、理亜の声は王柔ではなく何者かに向けられたものに変わってしまいました。でも、その言葉の中には、王柔に向けられた言葉もまだ残っていました。それはまるで、理亜の身体を彼女と誰かが取り合っていて、表面に出てくる人が入れ替わる度に言葉の内容もころころと変わっているかのようでした。
 ドウ、ドオオン! ビリビリビリ・・・・・・。
 理亜が「お母さん」と呼び掛けたことに反応したかのように、大地の揺れの中に急に大きな波が生じました。その揺れは呼び掛け前から起きていたものよりも遥かに大きくて、理亜に話しかけるために立ち上がっていた王柔たちの身体も激しく揺さぶられ、何度か地面から体が浮き上がってしまったほどでした。
 あまりに大きな衝撃に、またもや王柔はしゃがみ込んで両手をついてしまいましたが、先ほどと同じように腰を落として揺れが治まるのを待つのではなく、今度は直ぐに立ち上がりました。そして、まだ激しい揺れが続いている地下世界の地面を強く蹴って、王柔は前方にそそり立つ丘の急斜面に向けて走り出しました。王柔の隣にいた羽磋は、反射的に手を伸ばして彼を引き留めようとしましたが、あまりに素早い行動だったので間に合いませんでした。
 それは、王柔自身にとっては、考えるまでもないことでした。彼に理亜が助けを求めているのです。それも、すぐ先に見える丘の上からです。地面の揺れはまだ続いていて走り出すには危険が伴いますが、そんなことは関係が無いのです。自分で自分が何をしているか気が付いた時には、既に走り出していたのです。
「理亜、理亜っ!」
「王柔殿、危ないですよ!」
 不規則に揺れ続けている地面のせいで、王柔は思うように走る事ができませんでした。窪みに落ちないように気つけながらできるだけの速さで走ろうとするのですが、よろけて倒れそうになってしゃがみ込んだり岩の塊や柱に手をついて身体を支えたりということを、何度も繰り返さなければなりませんでした。それでも、王柔は諦めずに前に進んで行き、もう少しで丘に続く急斜面に取り付けるという所にまでたどり着くことができました。
 ドンッ、ドゴウンッ! ゴゴゴウッ!
 「もう少しだ、理亜」と王柔が思った時、これまでになかったほどの大きな揺れが、前触れもなく地下世界を襲いました。地面に四つん這いになっていた羽磋は、必死に地面を掴んで揺れを凌ぎましたが、走っている王柔の方はそうはいきません。天幕を畳む際には敷布を振るって埃や汚れを落とすのですが、彼には自分の足元がその時の敷布のようにバタンバタンと波打っているように感じられました。そして、次に感じられたのは、左肩に生じた大きな痛みでした。あたかも地面という敷布に載っていたゴミであったかのように王柔は払い落され、勢いよく転倒してしまったのでした。
「ああっ! うううっ、痛あっ! く、くそ、ああっ、痛い痛い痛いぃっ!」
 ガツンッと地面に叩きつけられた王柔の口から、悲鳴が上がりました。何かに躓いて転んだのであれば咄嗟に手を出したり衝撃に備えたりすることができるのですが、この時の王柔は不意に地面が無くなって足が空回りしたような状態でしたから、倒れるときに身体をかばうことなど全くできておらず、高い所から地面に落下したかのように激しく身体を打ち付けていたのでした。
 それでも、理亜のことが心配で仕方がない王柔は、再び走り出すために両手をついて体を起こそうとするのですが、左手を地面に付けた瞬間に燃える松明を左肩に当てられたような痛みを感じ、もう一度地面に倒れ込んでしまいました。王柔は左肩を右手で押さえながら、痛みを訴え続けました。彼の左肩から先は不自然な形で身体と繋がっていました。どうやら、地面に酷く身体を打ち付けた時に左肩を脱臼したか、あるいは、どこかの骨を折ってしまったかしたようでした。
 王柔の苦しそうな声は、羽磋にも、そして、丘の上の理亜にも届いていました。
「オージュ? オージュ!」
「王柔殿! 大丈夫ですかっ!」
 怪我の痛みで叫ぶ王柔の声が理亜の意識を呼び覚ましたのか、丘の上から聞こえてきた理亜の言葉は彼を心配するものであって、地下世界の何者かに呼び掛けるものではありませんでした。その変化はこの地下世界にも影響を与えたのでしょうか、地面の震動が弱く細かなものに変わってきました。
 激しい揺れが続いていた間は立ち上がることすらできなかった羽磋でしたが、この時とばかりにしゃがみ込んでいた場所から飛び出しました。微弱になっているとは言ってもいつまた前触れもなく激しい揺れが起きるかわからない状況でしたが、悲鳴を上げ続ける王柔の事が心配でならなかったので、危険な窪みの縁を避けることもせず、自分が出せる精いっぱいの速さで彼の所へと急ぐのでした。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?