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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑨(第58話から第59話)


「なるほど。留学の方でしたか。私は小野殿の交易隊の一員で、護衛を務める隊を率いている冒頓(ボクトツ)と呼ばれるものです。しかし、その証ですが・・・・・・、それを確かめさせていただいても、よろしいでしょうか」
「いえ、証は小野殿に検分していただきたい」
 留学の徒は、幹部候補生として皆から敬意を払われる存在です。しかし、それゆえに、露見すれば命を持って償わなければならない重罪であることを知りつつも、その大事な証を偽造するものもいるのです。交易隊の長である小野に紹介をする前に、まず留学の徒の証を確認したいという冒頓の言い分は、もっともなものと言えました。
 しかし、羽磋はそれをきっぱりと断ったのでした。大伴は彼に「交易隊の長である小野殿には話を通しておいた」と伝えていました。また、自分の留学は貴霜族の族長が許可を下したもので、一個人の意志で行ったものではありませんでした。そのために、羽磋は冒頓に対して、「自分の相手は交易隊の長である小野殿であって、その部下であるお前ではない」と、はっきりと態度で示したのでした。
「へぇ・・・・・・」
 きらきらと輝くまぶしいものを見るかのように、冒頓の目が細められました。それと同時に、今までは感じられなかった猛烈な圧力を、羽磋は感じました。その圧力は、羽磋の身体を正面から激しく叩き、後ろへ吹き飛ばしてしまおうとしていました。
「引かない。絶対に引かない」
 それは羽磋の青臭い意地であったかもしれません。でも、成人して初めての旅、それも、自分の大切なものの存在を守るための旅の冒頭です。彼の強い気持ちは、彼の頭の先から背筋を通り抜け、ゴビの大地深くまでしっかりと突き刺さって、彼の体をしっかりと支えているのでした。
「まぁまぁ、お二人とも、肩の力を抜いてください」
 羽磋と冒頓の視線が正面からぶつかり合って押し合いをしていたその時、二人を取り囲んでいた男たちの間から、柔らかな声がかけられました。その声は、緊迫したその場の空気を和らげる、不思議な力を有していました。
「羽磋殿、お待ちしておりました。私が交易隊を率いております小野(オノ)です。御留学の件、お話は御父上から承っております。無事に合流できて何よりでございました」
 男たちの間から姿を現した三十代前半に見える小柄な男は、自分が交易隊の長である小野だと名乗り、丁寧に挨拶をして羽磋を出迎えました。
 小野が交易隊の中で羽磋を待つのではなく、わざわざここまで出向いてきたのは、来訪者があるので出迎えたほうがいいという、超克の進言があったからでした。冒頓の性格をよく知る副官の超克は、彼が来客ともめごとを起こすのではないかと心配していたのでした。なにしろ、冒頓という呼び名は、「にわかなこと。むやみに突き進む。押し切って進める」という意味があるのですから、超克が自分の上司の気分屋的な振る舞いにどれだけ振り回されてきたかが、わかろうというものです。
 小野は年若い羽磋に対して、一人前の男に対するように、いえ、自分よりも目上の者に接するかのように丁寧に応対をし、交易隊の宿営場所へいざないました。
羽磋が冒頓の横を通るときに彼の顔をうかがうと、先ほど恐ろしい圧力を送ってきたときに見せていた厳しい表情は、どこにもありませんでした。それどころか、冒頓は人好きのする笑顔を浮かべた上に、「よろしくな」とでもいうように、片目をつぶってさえ見せるのでした。彼にとっては、先ほどの羽磋に対する態度は、「若いやつをちょっとからかってみた」というものに過ぎないのでした。
 宿営地の中に作られた小野の天幕の中で、改めて羽磋は小野に挨拶をしました。小野は羽磋の挨拶を受け入れて、彼に目的までの同行を許可しました。
 小野の説明によると、この交易隊が貴霜族の根拠地である讃岐村に物資の補給のために立ち寄った際に、大伴と出会って羽磋のことを頼まれたのでした。小野は肸頓族の長である阿部の部下でした。また、同時に、彼と月の巫女に関する秘密を共有してました。小野は世界中を旅する交易隊の長という立場を生かして、阿部の手足となって月の巫女に関する様々な調査を行っているのでした。
「先ほどの方は頭布を巻いてはいなかったようですが、どちらの方なのでしょうか」
 羽磋が小野に尋ねたのは、自分を誰何した若い男とその部下たち、つまり冒頓たちについてでした。羽磋も、目の前にいる小野も、頭に白い布を巻き付けていました。これが、月から来たものを祖とする、月の民の装束なのでした。でも、この交易隊には、先ほどの男たちのように、頭布をつけないで飾りひもを頭髪に編み込んでいる者も、いくらかいるようでした。
「ああ、彼らは、この交易隊の護衛をしている者で、匈奴の男たちなのですよ」
「匈奴! あの匈奴ですか! 失礼ながら、まさか匈奴の人たちが、交易隊の護衛をしているなんて!」
「まぁ、いろいろあるのですよ。話せば長いことながら、これは我らが単于である御門殿もご承知のことなのですよ」



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