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月の砂漠のかぐや姫 第34話

 馬だまりでは、朝の餌を喰いつくした馬たちが、自分たちの近くにぽつぽつと生えている下草を喰いちぎって、口さみしさを解消していました。しかし、大伴がいつも騎乗している馬だけは、飼い葉桶に首を突っ込んで朝食の真っ最中でした。

「すまんな、朝飯はしばらく待ってくれ」

 大伴は話しかけながら愛馬を引き出すと、その背に鞍と革袋を置きました。その横で自分の愛馬に鞍を置きながら、羽は大伴に尋ねました。
 大伴の火照った身体や、一頭だけ給餌が終わっていなかった大伴の愛馬の様子から、大伴がどこかへ出かけていたと考えたのでした。

「父上、こんな朝早くに、どちらかに行かれていたのですか」
「ああ、少し用があってな。後でお前にも話すが、ちょうど宿営地に戻ってきたところに、お前が目を覚ましていてくれて助かった」
「実は、父上にお聞きしたいことが‥‥‥」
「その話は後だ。まずは馬を出すぞ、それっ」

 少しでも早く自分の疑問を解消したいと話しかけた羽でしたが、大伴はその質問を予期していたとでもいうように、羽の言葉を遮って馬に合図を出しました。
 良く調教された大伴の愛馬は、乗り手の意思を的確に感じ取り、ゴビの大地をゆっくりと走り出しました。馬の動きに合わせて、大伴の身体も上下します。それは、どこにも無理な力が入っていない、まさに人馬一体となった動きでした。

「まずい、このままだと、父上に置いて行かれてしまう」

 大伴に騎乗の技術をたたき込まれた羽も、決して乗馬が不得手というわけではありません。自分の馬に飛び乗ると、大伴の後を追って馬を出しました。

「鞍上でも良い姿勢をとるようになったな」

 大伴は後ろからついてくる我が子の姿を確かめると、少し速度を上げました。もちろん、羽もそれに合わせて馬を走らせます。
 二人の後には、巻き上げられたゴビの赤砂が、長くたなびいているのでした。

 月の民がゴビで放牧を行う場合は、ゴビの中でも比較的草が多く生えている場所を選び、拠点となる宿営地を立てます。
 ただ、一つの草地で多くの家畜を養うことはできないことから、一緒に移動をしてきた部族の仲間であっても、放牧をする際には、この宿営地を中心としたかなり広い範囲に分かれて、自分たちの拠点となる天幕を張って放牧を行うことになります。
 そもそも、一つの拠点から家畜を放つ範囲だけでもかなり広いものになるので、部族全体が放牧を行っているその全域となると、とても一目で見渡すことはできないほどの広さになります。
 主に放牧されている羊は、臆病な性格であり群れで行動する性質を持つので、多くの場合は放牧に出されても天幕の近くに広がる草地に留まっていて、ゴビの大地に散らばってしまう怖れはほとんどありません。
 それでも、稀に迷子となるものも出ますし、また、いつのまにか天幕の近くの草を食べ尽くしてしまって、群れ全体が天幕から離れてしまうこともあります。
 そのため、時間ができると、馬に乗って自分たちの家畜の様子を見回るのが、彼らの習慣なのでした。
 大伴たちが立てた宿営地は、大伴たちの他にも複数の家族やその一族が集まって暮らす者であると同時に、讃岐村の民を中心としたこの遊牧隊全体の拠点でもありました。宿営地の規模が大きいだけに彼らが連れている家畜も多く、見回る必要のある草地の範囲も広いのでした。
 大伴は彼らの遊牧地の間を縫うようにして、ゆっくりと馬を走らせました。周囲の家畜の様子、ゴビに点在する草地の様子、そして、天候の変化などを確認しながら進みます。
 時折、止まって馬を休ませたりもしますが、羽が並びかけて話しかけようとすると、また馬を走らせてしまいます。宿営地を出た当初は何とか大伴に追いついて話をしようとしていた羽でしたが、「今は、まだ、話をする時ではないのだ」、大伴がそう背中で語っているように感じたため、見回りの途中からは黙って大伴に従うようになりました。
 二刻ほどゴビを走り回ったでしょうか、いつのまにか、二人は彼等が放牧を行っているゴビ一帯を見渡すことができる高台に上って来ていました。
 この高台にはまったく草が生えておらず、剥き出しの赤土が吹きっさらしの風で常に舞いあげられていて、特に風が強い時には、草地から見上げると赤い砂煙の中にその姿が半ば消えてしまうこともあるほどでした。
 この高台の真ん中あたりで、ようやく大伴は馬の歩みを止めました。大伴はいかにも慣れた様子で馬から飛び降りると、まだ息を弾ませている愛馬の首筋を軽くなでながら、羽が同じように馬から降りるのを待ちました。
 どうやら、大伴は、最初からこの場所で羽と話をするつもりだったようでした。

「羽、何度もじらすようなことをして悪かった。ゆっくりと時間をとって話がしたくてな。それも、ここのような人目につかない場所でな」
「いえ、気にしないでください。たしかに、ここなら人目にはつきにくいですが‥‥‥」

 羽は、大伴の言う「話」とはどのような内容なのか考えをめぐらしながら、周囲を見回しました。
 高台では今日も風が赤土を巻き上げています。
 高台の中にいる彼らからすると、舞い挙げられている赤土は視界を遮るほどのものではなく、周囲から誰かがこちらにやって来ることがあれば、容易に気が付くことができるでしょう。しかし、離れた場所からこちらを遠目に見たとしても、舞い挙げられた赤土を透して大伴たちに気が付くことは難しいと思われます。
 まさに、この高台は、周囲を警戒しながら内密の話を行うのには、絶好の場所と言えました。



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