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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑭(第72話から第74話)


 どうして、王柔はこれほどまでに、奴隷の少女を気にかけるのでしょうか。
 実は、白い頭布を巻いて月の民の男として振舞ってはいるものの、王柔は月の民の人間ではないのでした。彼は、月の民の勢力圏の西側で遊牧を行っている、烏孫(ウソン)という遊牧民族の男でした。
 彼がまだ十にもならない幼い頃で、まだ皆からは柔(ジュウ)と呼ばれていた頃のことでした。彼の部族を風粟の病という恐ろしい病が襲い、彼と妹の稚(チ)を除いて、近しい親族は亡くなってしまったのでした。
 彼と妹は、父の知り合いであった男に引き取られたのですが、ある日のこと、彼が遊牧の手伝いをした後に天幕に戻ると、妹の稚の姿がどこにも見られなくなっていたのでした。
 それは、母親代わりに彼らの面倒を見てくれていた女性が行ったことでした。なんと、通りすがりの交易隊に、稚を奴隷として売り飛ばしたというのでした。
「仕方なかったんだよ、だって、あの娘は・・・・・・」
 養母の説明が、逆上した彼の耳に入るはずもありませんでした。柔は妹の姿を探して天幕を飛び出すと、二度と養父母の下には帰りませんでした。
 あてもなく妹の姿を探してゴビを歩き続けた柔でしたが、やがて、精も根も尽き果てて大地に倒れこんでしまいました。どういう精霊の気まぐれがあったのか、そこへ通りがかって彼を拾ったのが、小野の交易隊だったのでした。つまり、王柔にとって、小野は命の恩人にあたる人なのでした。
 それから数年が経ちました。小野から王花に預けられた柔は、彼女に家族同然として迎えられていました。そして、「王柔」の名を与えられて成人し、王花の盗賊団の一員として働くこととなり、今に至るのでした。
 それは、彼にとっても望むところであったのでした。王花の盗賊団に居ると様々な交易隊に接触する機会がありますから、情報を集めていつか必ず妹を探し出すと、王柔は固く心に誓っているのでした。
 奴隷の少女は、王柔たち烏孫族の者とも、寒山たち月の民の者とも、異なる風貌をしていました。土やほこりで汚れてはいるものの、その肌は青空に浮かぶ雲のように白く、その髪はゴビの赤土のように赤いのでした。また、彼女の瞳の色も、彼ら遊牧民族の瞳の色とは異なり、赤い色をしていました。顔つきはと言えば、目鼻立ちがくっきりとしていて、自分たちと似ているところはまったくありませんでした。その上、彼ら遊牧民族が話す言葉も、彼女は片言でしか話せないのでした。
 三つか四つの頃に生き別れた妹が今も生きていれば、ちょうど彼女と同じぐらいの十前後の年齢になるはずでした。でも、おそらくは、彼女は、烏孫よりもその西にあるイリよりもはるか遠くにあると聞く、ローマかその周辺に住む異民族の少女なのでしょう。その姿や様子からは、妹を思わせるものは何一つありませんでした。
 それなのに、何故でしょうか。吐露村で寒山の交易隊に雇われた際に、初めて彼女を見かけた王柔は、「妹だ。いや、違う、でも、同じだ。稚と同じだっ」と感じずにはいられなかったのでした。
 理亜(リア)という名らしい彼女と妹が、どう一緒なのか、何が一緒なのかは、王柔にもよくわかりません。でも、それはわからないままでもしっかりとした形となり、彼の心の真ん中にその場を得たのでした。
 そのため、彼女と初めて会った時以来、王柔は自分の妹のように、彼女、つまり、理亜のことを心配し、自分の仕事の合間を見ては、なにかと彼女の助けをしていたのでした。


「やれやれ、厄介だ。案内人を傷つけるわけにはいかぬし。たしかに、あの奴隷は相当弱っているようだが・・・・・・。む、あれは、まさか・・・・・・」
 馬上から動かないまま、王柔の背中に隠れている奴隷の少女の様子を確認した寒山でしたが、何か気になることがあったのか、急に表情が厳しいものとなりました。
 寒山はさっと馬から飛び降りると、王柔を乱暴に押しのけて、腰の短剣を引き抜きながら少女へ近づきました。
 それはとても素早い動きで、「何をするんですか、止めてください」と、王柔が口にする間もない程でした。
「まさか、理亜に切りつけようというのかっ」
 慌てて振り向いた王柔の目の前で、寒山の短剣は振り下ろされました。
 プツッ。
 彼の短剣は、少女と他の奴隷を繋いでいた縄を、切断していました。
 一体何が行われたのでしょうか。寒山はこの少女に休みを与えるために縄を切ったのでしょうか。
 目の前で行われた出来事を、誰もが理解していませんでした。
 ひと時生じた静寂の中で、皆の視線が寒山に集まりました。
 大きく息を吸い込むと寒山が大声を上げました。
「全員、この奴隷から離れろっ。こいつは風粟の病に罹っているっ」
 それは、恐ろしい宣言でした。
 始めは寒山が何を言ったのかよく理解できなかった者たちも、その言葉が意味することを飲み込んだとたんに、何かに殴られたかのように後ろに飛び退り、少しでも奴隷の少女から距離を空けようとするのでした。
「風粟の病? 風粟の病と隊長は言ったのか?」
 もちろん、寒山の言葉は、王柔にも聞こえていました。風粟の病とは、王柔にとっても、自分の両親や家族を死に追いやった、恐ろしい病でした。その病に奴隷の少女が、理亜が、罹っていると寒山は言ったのです。それは、彼にもとても大きな衝撃を与えていました。
 風粟の病に罹ったものは、身体に赤い発疹が現れます。また、罹患した者の多くが酷い高熱を発するようになって高い確率で死に至ります。さらにこの病は、罹患した者から周囲の者に伝染していくので、遊牧民からとても恐れられている病気なのです。
 寒山が奴隷が一列につながれている縄を切ったのも、他の奴隷が彼女から離れることができるようにするためでした。
 唯一の救いは、一度風粟の病に罹った者には耐性が生じ二度と罹らないことでしたが、その場合でも、風粟の病は痘痕という爪痕を、罹患した者の身体に残すのでした。



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