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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑬(第69話から第71話)


 行進についていくのに精いっぱいでお互いに関心を向ける余裕などない彼らでしたが、ある連では話し声が生じていました。それは、その連につながれている、まだ十になるかならないかに見える小さな少女が、たびたび立ち止まってしまうからでした。
「おい、しっかりしろよっ」
「お前が止まると、同じ連の俺たちまで止まってしまうんだよ。奴らに怒鳴られちまうだろうがっ」
 長い縄で一繋ぎにされた同じ連の奴隷たちが、見張りに聞こえないような小さな声で、次々に彼女に文句をぶつけているのでした。でも、彼女はそれに応えることもできないほど息を切らせていて、とても体調が悪いようでした。
 交易隊の先頭の二人が話していた「荷」とは、彼女のことでした。ここ数日、彼女の体調はとても悪かったのです。
 交易隊の一員である雨積は、「荷」を無事に届けられるかどうかと心配をしていました。一方、王柔は・・・・・・。
「あ、あの、雨積さん。すみません、僕は後ろの様子を見に行ってきます。あそこに見える砂岩まで、道はまっすぐですから、お願いしますねっ」
「お、おいっ。王柔さんよっ。おいっ」
 王柔は、雨積に道の指示をしたかと思うと、身をひるがえして隊列の中へ消えていきました。彼は心配のあまり、彼女の様子を見に行かないではいられなくなってしまったのでした。
 薄茶色の川の流れを魚がさかのぼるように、駱駝と交易隊員の進む流れに逆らって、王柔は走っていきました。
「なんだ、あいつは・・・・・・」
 その動きに不穏な兆しを感じ取ったのは、交易隊の中央に位置し、馬上から隊の指揮を執っていた、この交易隊の長である寒山(カンザン)でした。
 彼は、深いしわが刻まれた厳しい顔を豊かな髭で隠した、年のころは五十を過ぎると思われる男でした。寒山は交易の経験がとても豊富な男で、王花の盗賊団がこのヤルダンの管理を始める前から、様々な場所を旅してきていました。その彼の豊かな経験が、先導役の男が何やら厳しい顔をして隊を逆走していくという通常あり得ない場面から、「こういう時には決まって良くないこと起きるのだ」と、警告をしていたのでした。
「何事もなければ良いが・・・・・・」
 彼はそう呟きながら、無意識のうちに髭をなでて、波打った心を落ち着かせようとしました。
 でも、やはり、経験とは最良の占い師なのかもしれません。
 しばらくすると、案内人の男が山脈のように連なる駱駝の背に見え隠れしながら走り去っていった先、交易隊の最後方から、大きな怒鳴り声が聞こえてきたのでした。


「だから言ったじゃないですか。もう彼女は限界なんです。少しでいいから休ませてやってください」
「関係ない奴は引っ込んでいろっ。ほら、お前、立って歩けっ」
「止めてください!」
 大きな騒ぎが起こっている交易隊の最後尾へ馬を走らせた寒山が見たものは、先ほど隊を逆走して走り去っていった案内人の男が、交易隊の護衛をしている男と口論をしている姿でした。
「止めんか! 何をしているんだ、お前たちっ」
 大声で怒鳴りながら、口論をしている二人の間に寒山が馬を進めると、案内人の背に隠されている者の姿が、馬上から見て取れました。そこには、荷として運んでいる奴隷の中で最も年若い少女が、苦し気に背中を上下させながら、うずくまっていました。
 突然に現れた寒山の姿を見て恐れたのか、少女と同じ連の奴隷たちが、口々に自分たちが足を止めていることの説明をしだしました。自分たちが罰せられないようにするために彼らが必死で話した内容から、後からこの場に来た寒山にも、おおよその事情が察せられました。
 どうやら、体調を崩していた奴隷の少女が、とうとうここで歩けなくなってしまったようでした。そこにやってきたのが案内人の若者で、どうしたことか、彼は奴隷の少女のことをひどく心配して、彼女を少し休ませてやってくれと護衛の者に頼み込んでいるのでした。
「奴隷が歩かないなら、歩かせるまで」
 それが、寒山たちにとっては通常の感覚なのですが、この案内人の感覚は違うようでした。
「こら、案内人」
 人に命令することになれた寒山の冷たい声に打たれて、王柔の体がびくっと震えました。
「お主の仕事はここで奴隷の前に立つことではなく、隊の先頭に立って、我々を導くことであろうが。そこをどけいっ!」
 王柔にとっても、彼らの理屈ではそれが正しいことはわかっていました。だからこそ、王柔が口にしたのは、反論ではなくて懇願でした。
「・・・・・・それはそうですが、隊長殿、この子はもう歩けません、少しでも休ませてやってください。お願いします」
「ええい、くどいっ! くどいぞ、案内人!」
 寒山の声は、とても冷たくて強く、ビリビリビリッっと周りの空気全体を震わせました。
 彼らの周囲では、歩みを止めた交易隊の者や奴隷たちが、遠巻きにして成り行きを見守っていました。
 サァッっと、ヤルダンの風が、彼らの間を走り抜けていきました。
「王花の盗賊団」の一員ではあるものの、王柔は決して荒々しい性格をした男ではありません。むしろ、そのひょろっとした体格と柔和な顔つきからわかるように、穏やかであり他人との争いを好まない男でした。
 そのような男が、寒山のような経験を積んだ男の厳しい一喝を受けたのです。その強い圧力は、冬山で起こる雪崩のように、王柔の体全体に強い圧力で襲い掛かってきました。
 でも、それでも。
「隊長殿、隊長殿・・・・・・。どうか、どうか、お願いです・・・・・・」
 王柔は、体や足元が震えるのを隠すことができないほど怯えていましたが、その場を去ろうとはしないのでした。



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