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月の砂漠のかぐや姫 第264話

 ゴフウウ、ゴオオオオン!
 ヒュウウ、ウウウウウウウ・・・・・・・。
 三人の身体は濃青色の球体の外殻を通り抜け、その内部でグルグルと渦巻いている雲の中にズボンと入り込みました。
 遠くの空間に浮かんでいる時から、球体は人が何十人も入れるような広い天幕程の大きさがあるように見えていましたし、それが丘に近づくにつれてそれ以上の大きさがあることがわかってきていました。ですから、理亜や羽磋たちがそこへ飛び込んだとしても、彼らを内包するだけの大きさは十分に有りました。そうは言っても、それは球体が彼女たちの身体を支えることができるということならば、ということではあったのですが、理亜たちの体が球体の下部を通り抜けて地面に落ちてくることは無かったので、彼女たちは球体の内部に留まっているのだと思われました。
 でも、不思議なことに、球体の外側からは理亜や王柔などの姿はまったく認められず、相変わらず青灰色の雲がその中心部でゆっくりと蠢いていているのが見えるばかりでした。それはまるで、外から飛び込んだ人間たちは形が無くなるぐらいにまで小さく砕かれてしまい、生き物の腸にも似た雲の渦の中で消化されつつあるとでもいうかのようでした。

 球体の中に飛び込んでいった三人は、いったいどうなってしまったのでしょうか。
 最初にそこへ入り込んだ理亜は、いま村の入口に立っていました。もちろん、いくら濃青色の球体が大きいと言っても、本当にその内部に村があったわけではありません。まるで眠っている時の夢見のように、実際に理亜の身体がどのようになっているのかはわかりませんが、彼女がいま自分のいる場所として感じ取っているのはその場所だということでした。
 その村はヤルダンに似た砂岩が広がる場所にあり、砂混じりの乾いた風が村を背にして立っている少女の黒髪を揺らしていました。実際の理亜の髪は燃えるような赤い色をしていましたから、その少女は理亜自身では有り得ません。ですが、理亜はその少女そのものになっており、しかも、それに対して少しも違和感を覚えていませんでした。少女は小さな両手を胸の前で合わせて、遠くに見える祁連山脈の方をじっと見つめていました。理亜はそこで自分が何を待っているのかがわかっていました。それは、母でした。彼女は、ずいぶん前に村を出て行った母の帰りを待っているのでした。
 理亜は、長い間ずっと村の外で立ち続けていました。太陽が動くにつれて、彼女の長く伸びていた影は少しずつ短くなって足元に収まり、そして、初めとは反対側でその範囲を広げていくようになりました。
 ビュウッ、ビュオウッと、ヤルダンを通り抜けた精霊の力を含む風が彼女の肌を撫で、そして、去っていきました。
「お母さん・・・・・・」
 理亜は、心の中でぽつんと呟きました。
 理亜は知っていました。自分は何日も何日もこれを繰り返しているのだと。

 そのころ、王柔と羽磋は激しい嵐の中に放り出されていました。そこでは雨こそ降ってはいないものの、ゴオオン、ゴフウウッと、猛々しい音を発しながら猛烈な風が吹いていました。王柔と羽磋はその風で枝から吹き飛ばされた木の葉のように、灰色の雲が一面に広がる空の下を、グルングルンと不規則に回転しながら飛んでいました。これも理亜の場合と同じように、実際に彼らの身体がどうなっているのかはわかりませんが、彼ら二人がそのように感じているということでした。
 その空は明らかに怒りに満ちていました。大きく広がる灰色の雲から地面に向かって黒雲が伸びている個所が幾つもあり、それは無秩序に形を変えていました。さらに、その黒雲からは時折り地面や空に向かって稲妻が走り出し、それが当たった場所からは、噴火が起きでもしたかのように砂や雲の破片が轟音と共に周囲へ飛び散っていました。
 その他にも、その空には自然のものとは異なる大きな特徴がありました。それは、空に満ちている空気が透明ではなく、青い色がついているということでした。その青い空気の中を勢いよく回転しながら流されていたものですから、空に浮かぶ雲と地面に広がる砂岩に気が付くまでは、羽磋たちは自分たちが水中に放り出されたのかと勘違いしていたほどでした。
 でも、その考えはある意味では間違いではありませんでした。地下世界の中では、青く輝く水を口にしたものは、深い悲しみや恐怖に襲われることになりましたが、二人が成す術もなく強風にあおられるままになっているこの空の空気も、その水と同じ力を持っていたのですから。
 不規則に落ちたり浮かんだりしながら、驚きの声を上げる度に。理亜を探そうと、大きく息を吸って呼び掛ける度に。ただ生きるために、呼吸をする度に。青く染められた空気は、二人の身体の奥底にまで入り込んでいきました。





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