月の砂漠のかぐや姫 第61話
そのような状況の中で成長した冒頓が、もっとも興味を示したのが、農耕と交易でした。
匈奴は完全な遊牧民族であり、牧畜を行える場所を求めて、季節ごとに家族皆が移動を繰り返します。その移動に例外はなく、生まれたての子供から、自ら歩くことが困難になった老人まで、一族の全てが含まれます。
一方で、月の民も遊牧民族ではありましたが、一族全てが遊牧に参加しているわけではないのでした。
彼らが過ごすゴビの一部ではありましたが、祁連山脈や天山山脈を水源とする川やオアシスが存在する場所では、土地に根付いて村をつくり、その周囲では農耕も行っていたのでした。各部族はそれぞれの根拠となる村を中心として、遊牧隊が季節ごとに移動をし、家畜を追っていました。
根拠となる村があることで、遊牧で産した羊毛や肉や乳製品を、保管したり加工したりすることができますし、なにより、遊牧での移動が身体に負担となる妊婦や幼い子供たち、また、体力のない老人たちを、村に残して守ることができるのでした。
もちろん、村に残った人々も、それぞれの体力に応じて、耕作や紡糸等の仕事を行いますが、ゴビの厳しい環境の中を天幕で暮らしながら移動を繰り返すのに比べれば、身体への負担はぐんと減ります。その結果、月の民の乳児の死亡率は匈奴に比べてはるかに少なく、長生きする老人の数はずっと多いのでした。
何事も人が自らの手で行う時代の事、人の数が増える事は、生産力、軍事力が増える事に直結しますし、文字で記録を残す習慣のない当時のことですから、老人の知恵こそが、何かあった時の道しるべなのです。
つまり、国力の違いを生み出す大きな要因の一つは、この環境の違いにあったのでした。冒頓が、匈奴と月の民を比較して、まず興味を持ったのが農耕であることは、ある意味当然のことでした。
また、月の民は、祁連山脈北部と天山山脈周辺で、東西に長く勢力圏を伸ばしていました。その東側は秦、そして西側は安息(パルティア)や烏孫(ウソン)等数か国に接していました。
この「東・西世界の中間に位置する」という条件を生かして、月の民は交易も盛んに行っていたのでした。交易では主に、月の民西域で産する良馬や玉を秦に運び、戻りの荷で絹や陶磁器などを運んでいました。西方との交易では、秦から持ち帰った絹などを運ぶ見返りとして、金や香辛料や家畜、さらには奴隷までもが運ばれて来るのでした。
東西の交易の中継地となっている月の民は、その交易から多くの利を得ていました。交易という概念さえ持たない匈奴から出されてきた冒頓が、これについて詳しく知りたいと考えたのも、当然のことなのでした。
冒頓のこれらの希望を聞き入れたのは、当時新しく月の民の単于になったばかりだった御門でした。
彼の周囲では、「匈奴の次期指導者に配慮するといっても限度がある」、「目の届かないところで、万が一命にかかわるような事態が起きれば、匈奴との外交問題になる」という意見も上がったのですが、それを押し切って許可を与えたのでした。
「彼の気持ちはよくわかる。良いではないか。自分が知らないことを知りたいと思うことは、とても自然なことだよ」
それが、御門が許可を与えた理由でした。それは周囲の意見に流されない、御門らしい決断でした。
しかも「それならば阿部殿に任せようか。肸頓(キドン)族が我が国の交易の主体だし、吐露村では最近西方から伝わった珍しい果物の栽培が盛んだと聞くしね。よろしく頼むよ」と指示をして、最も良い環境で冒頓が学ぶことができるよう、単于たる自分の手元から離れる事さえも認める配慮を示したのでした。
一度自分の懐に入れた冒頓に対して示した、この無防備なまでの信頼と厚遇は、それを聞いた冒頓があきれて、「あの人だけには敵わねぇ」と叫んだほどでした。
その後、冒頓は御門の属する双蘼(シュアミ)族から離れて、阿部の属する肸頓(キドン)族へ移動し、成人するまではその根拠地である吐露村で耕作の様子を学び、成人してからは交易隊の護衛として交易の現場を学ぶことになったのでした。
超克は、冒頓の補佐として匈奴から付き従っていましたが、苑は冒頓の従者の妻が吐露村で産んだ子であって、彼自身は匈奴の土を踏んだことはないのでした。それ故に、苑にとっては話に聞かされる皆の故郷「匈奴」の象徴は冒頓であり、冒頓と過ごすことが彼の喜びであり、冒頓こそが彼の故郷である、ということになったのでした。
今、冒頓は羽磋や苑たちと馬を並べて、目の前を駱駝たちが通り過ぎる様子を、じっと眺めていました。
冒頓は隣で自分と同じように交易隊を見守っている、羽磋の方を見ました。自分で「成人したばかりだ」と話していたとおり、男というよりは、まだまだ少年と言った方が良いような、小柄な体つきです。しかし、生真面目さが現われているその瞳の力は、そこらの大人の男のものよりも、ずっと強いものに感じられました。
「何かを成し遂げなければならない」という強い決意、信念を彼が持っていることが、冒頓には感じ取れました。それはそうです、なぜなら、かつて冒頓もそのような信念を持つ少年であり、そして、今もそれを持ち続ける男であるのですから。
「ところで、羽磋よ。お前、人を殺したことはあるのか」
「え、いや、ありません。遊牧で家畜を屠ることはあっても、人と争うことなどないですし。先ほども、危ないところで、冒頓殿が来てくれましたから……」
冒頓が顎をしゃくって示した先には、彼らが交易路から動かした盗賊たちの死体が、無造作に転がされていました。自分たちを襲ってきた盗賊のために、「せめて埋めてやろう」などと言いだす者は、誰もおりませんでした。
如何にゴビの荒地で過ごすことが過酷であるにしても、このように死体が折り重なった光景は、非日常のものです。興奮していたのか、先ほどまではそれに気が付かなかった羽磋ですが、改めてその光景を見ると、腹の底から、冷たく苦い何かが上がってくるのでした。
苑に引っ張られて、いつの間にか戦いに巻き込まれていた羽磋でした。
その流れの中で、自分に襲い掛かってくる野盗に向けて弓を引き絞っていた感触が、右手の指先に痺れるように残っています。あまりに必死で、自分を殺そうと襲ってくる男達から逃れたい、ただその思いで引き絞った弓でした。
最後の瞬間に冒頓たちが飛び込んできたので、その弓から矢は放たれることはなかったのですが、確かに、そう意識はしていなかったとはいえ、羽磋は初めて人に向けて弓を引き絞っていたのでした。
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