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月の砂漠のかぐや姫 第277話

 想像するまでもなく、小さな理亜にとってそれはとても難しいことです。それでも彼女がその場を逃げ出さないで顔を上げ続けているということが、この上もなく大きくて強い思いが彼女の中にある事を表していました。
「お母さんっ!」
 理亜は再び大きな声を出して、刺すような視線で自分を見降ろしている母親に訴えかけました。理亜はこの「母を待つ少女」の昔話の当事者である母親に、つまり、遠い昔に絶望のあまり地面の裂け目に身を投げて、いまでは濃青色の球体となり、その内部では通常の人の何倍もの大きさとなって存在している霊体に、自分のお母さんと呼び掛けているのでした。
 親と生き別れになってしまった子が何よりも求めるものとは、親と再び巡り合うことではないでしょうか。そして、もしも親にもう一度会えたとしたら、再び離ればなれになることがないように、力の限りを尽くすのではないでしょうか。いまの理亜の身体の中にある強い思いとは、まさにこの「やっと会えた母親に自分を認められたい。そして、もう二度と離れたくない」という純粋で揺らぎのない思いなのでした。
 でも、「母親」が言うように、赤い髪を持ち目鼻立ちのくっきりとした理亜の外観は、月の民の女の子のものではありません。「母を待つ少女」の話は月の民に古くから伝わる物語であり、娘の髪の色は夜空のような黒色であったと思われますから、二人の外観は全く異なります。それに、そもそも理亜は数年前に月の民から遠く離れた西の国で捕らえられ、奴隷としてこの国に送られてきた女の子です。昔話で謳われるような遠い昔に生きた女の子ではないのです。理亜がこの「母親」の娘であるはずがありませんし、「母親」が彼女の母親であるはずがないのです。
 それでも、理亜は母親に対して叫び続けました。そして、彼女は「理亜」ではない別の名前で、再び母親に向かって名乗るのでした。
「お母さん、わからないノ? アタシ、由(ユウ)ダヨッ!」
 遠い昔に、母親は自分の娘の命を救えなかった悲しみ、それも、単に娘が病気で亡くなったのではなく、砂像という異形になってしまったことに絶望し、地面の割れ目に身を投げてこの地下世界へ落ちてきました。不思議な力の働きにより濃色の球体となった母親は、それからの長い時間を、娘を救えなかったどころか呪われた異形へと変えてしまったことを思い出しては、喉を掻きむしりながら血を吐くような叫び声をあげたり大粒の涙を地面に落としたりして過ごしてきました。その悲しみと絶望は何事かと比べることができないほど深く、それらの念が青く輝く光となって地中を流れる川の水を青色に染め、それを飲んだ者も自らの悲しい体験や恐ろしい記憶を呼び起こされるようになったほどでした。
 娘と一緒に暮らしていた頃は母親の心を温める太陽の光であった「由」という名前は、地下へ落ちた後の彼女にとっては、心臓に突き刺さる氷でできた矢になっていました。母親が娘の事を思す度に、悲しみが、絶望が、そして娘への申し訳なさが、心を深く傷つけるのでした。その娘の名を、「由」という、大切な、でも、思い出すのも辛い名前を、目の前に現れた異国の少女が何度も口にし、自分のことを「お母さん」と呼ぶのです。
 想像もできないほどの長い時間をたった一人で地下で過ごし、もはや人間としての細かな感情の動きを忘れ、半ば「悲しみ」と「絶望」の精霊と化していた「母親」でしたが、火山の口から吹き出る噴火のような激しくも鮮やかな怒りの炎が、急速に体内に湧いてくるのを感じました。鮮烈な怒りがぼんやりとしていた彼女の意識の隅々までを照らし、もう一度動きを取り戻すように告げて回りました。
 「それにっ」と、母親は思いました。交易路から落下した理亜が川を流され、地下に広がる大空間へと入り込んできたときに、川の流れを下った先に広がる地下世界の中心で母親はそれを感じ取っていました。それはこれまでに感じたことのない感覚で、「何やら暖かいもの」、「好ましい何か」がやってきたと、彼女は受け取っていました。
 それ以来、母親はその何者かが自分のところへやってくるのを待っていました。半ば精霊と化した母親の気持ちは天気の変動のように大きな動きしか見せなくなっていたのですが、彼女が近づいて来るに連れて、明るい気持ちが高まって来ていたのでした。なぜなら、その「何か」が発する好ましい感覚は、自分の娘を思い出させるものだったからでした。「ひょっとしたら・・・・・・」と言うように、言語立ててはっきりと意識したわけではありません。でも、その感情の空には、「娘が自分に会いに来てくれたのかもしれない」という期待の雲が浮かんでいました。この時の母親は、「そんなことが有り得るはずがない」という、理論建てた考えなどができる状態ではなかったのです。
 「それなのに」と、さらに母親は思いました。ようやく自分のところにやってきた「好ましい」と思った何かは、娘ではありませんでした。確かに、いまでも娘のような何かを感じないではありませんが、目の前にいる少女の赤い髪と異国人の特徴を持つ容貌を見て、その少女が言う「お母さん」という言葉を聞いたとたんに、それは「怒り」という炎に注がれる油でしかなくなってしまいました。
 そうです。ヤルダンの地下に伸びる洞窟を通り抜けてやってきた少女は、母親にとっては「娘かもしれない好ましいもの」ではなく、「大事な娘を語る憎いもの」であったのでした。





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