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月の砂漠のかぐや姫 第232話

 一人当たり数切れの乾果と干し肉。彼らの手元に残っていた食料はそれで全部でした。王柔は少しでも量を多く感じられるようにと干し肉を細く裂いて数を増やしてから羽磋と理亜に渡しましたが、理亜に渡すときにはこっそりと自分の分の干し肉を幾らか上乗せして渡すのでした。
「では、いただきましょうか。王柔殿、理亜」
 ここは何が起きても不思議ではない地下洞窟の中ですから、本来ならば何か変わったことがあればすぐにそれに対処できるように、立ったままで食べ物を口にすべきでしょう。でも、そうするには羽磋も王柔も疲れ切っていました。せめてできるだけ周囲への警戒を怠らないようにしようということで、羽磋は洞窟の奥の方を王柔は洞窟の手前の方をと、それぞれ別の方を向いて地面に腰を下ろしました。そして、乾果や干し肉を少しずつ口に含みゆっくりと何度もそれを噛みしめて、できるだけ「食べた」という実感を得ようとするのでした。
「少ししかなくて、ごめんな」
 王柔は自分の横でモグモグと口を動かしている理亜に小さな声で語りかけ、彼女がその食事に対して悲しそうな顔をしていないかと窺いました。
 残っていた食料を取り分けた際に自分の分から理亜の分へ幾らかを移したのですが、それでもとても少ない量しか彼女に渡すことができませんでした。もともと残っていた乾果や干し肉の量は、その全部を理亜に食べさせたとしてもお腹がいっぱいにならないほどの僅かなものでしたから、それは仕方のないことでした。でも、理亜のことを自分の妹のように想って心配している王柔には、その様に割り切ることはできません。彼女が悲しい表情を浮かべるところを見たくなかった王柔は、ただでさえ少ない自分の分からさらに幾らかを彼女に分けてあげようと考えたのでした。
 ところが、心配そうな王柔の顔を見上げた理亜の方は、食べ物の量に対する不満は全く見せておらず、まるでお腹が満ちているときにおやつを楽しんでいるかのように、乾果をゆっくりと味わっていました。
「うううん、オージュ。ワタシ、お腹空いてないから、大丈夫だヨ。これ美味しいネ、オージュも食べる?」
「自分はお腹が空いていない」と言うことを王柔が言えば、本当はお腹が空いているのに相手に気を使って言っていると思われますが、小さな理亜が言っていることですから言葉通りの意味だと思われますし、彼女の表情や様子も言葉と同じことを示していました。大空間の池の近くで野営をしたときも感じられたことですが、この地下に流されてきてから理亜は全然空腹を覚えていないようでした。羽磋と話したように、外にいるときと比べてここでは理亜の身体に精霊の力が強く働いているようでしたからその影響によるのかもしれないなと、王柔は考えました。
 いくら理亜がお腹が空いていないと言っているからといって、彼女が小さな手で差し出した乾果の一片を、王柔はとても受け取ることはできませんでした。彼は口の中でジュワッと湧き出してきたつばを慌てて飲み込み、水袋から水を口に含んで空腹を一瞬紛らわすと、理亜に「美味しくてよかったね。僕もあまりお腹が空いていないから、それはゆっくりと食べな」と話すのでした。
「ありがと、オージュ」と嬉しそうな顔で答えると、理亜は乾果を口に運びました。その姿はこの洞窟にはそぐわないほど明るいものでしたが、その様子を見た王柔は黒くモヤモヤとした不安を感じずにはいられませんでした。
 ほのかに青い光を放つ水を飲んだ駱駝は、恐慌に駆られて大暴れをした挙句に走り去ってしまいました。洞窟の奥の方の青い光は一つの塊のようになって暗闇に浮かび上がっていますが、それを見つめ続けていた羽磋は心の中に悲しみと恐れが沸きあがってきて、立っていられなくなるほどの辛い思いをしました。羽磋はあの青い光は悪霊の力の表れで、その力は人や動物に対して悲しみや恐怖を呼び起こす作用があると話していました。
 理亜の身体に起こっている不思議は精霊の力の働きによるものと思われます。それはこの地下の洞窟や大空間に来てから、羽磋たちにはよくわからない不規則な変化をしていますが、今のところ理亜には悪い方向には作用していないようです。
 でも、もしも駱駝や羽磋のように、あの青い光が理亜に対しても過去の悲しい記憶や恐怖を呼び起こすように働きかけることがあったとしたら・・・・・・。
 ここから遥か西方にある異国で、理亜は母親と一緒に捕らえられて奴隷とされ、月の民へと移送される途中で母親が死んで一人になってしまったのだと、王柔は理亜から聞いていました。
 故郷で虜囚となり、どうにかして命を繋ぐ程度の食事しか与えられない状態で、遠く離れた異国へ移送される。その途中で、唯一の心の支えであり最大の護り手であった母と死別することになり、その後は他の奴隷たちに交じり一人で歩き続ける。それらがどの様な悲しみの記憶であり、どれほどの恐怖の記憶であるかは、王柔にははっきりとは分りません。
 それでも、奴隷を連れて月の民へ向かう途中の寒山の交易隊に案内人として雇われた際に初めて見た理亜は、笑うことどころか生きることさえも忘れてしまったような、心も体もボロボロの状態でしたから、その悲しみや恐怖がこの上もなく冷たく痛いもので二度と思い出したくないような恐ろしいものであろうことは、想像するまでもないことでした。
 理亜が自分と会う前の辛い記憶をどこかに置いてきたかのように明るく振舞っているのを見ると王柔は嬉しく思いましたが、それと同時に、この洞窟の先で理亜が青い光によって過去のとても悲しく恐ろしい記憶を呼び起こされて辛い思いをするのではないかと、心配せずにはいられないのでした。





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