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月の砂漠のかぐや姫 第295話

 お互いの身体に腕を回し合いながら、言葉を交わす王柔と理亜。もはや、二人の間には、怒りや悲しみの感情は存在していないようでした。
 そのような二人を見て、「ハァー」と大きく息を吐いたのは羽磋でした。激高した王柔の様子に驚いて、慌てて彼を止めに入った羽磋でしたが、二人の間に穏やかな空気が戻ったのを見て、やっと安堵の息を吐くことができたのでした。
 本当であれば、二人に加わって話をしたいところでしたが、羽磋はそれ以上緊張を緩めることはしませんでした。王柔と理亜のことが治まったからには、自分がそれまで注意を向けていたことに一刻も早く戻りたかったのです。
 羽磋は二人から視線を外すと、サッサッと首を振って周囲の確認をしました。彼が働かせたのは目だけではありません。どこかからおかしな音が聞こえはしないかと耳を澄まし、さらには、地面からおかしな振動が伝わって来てはいないかと足裏にも注意を向けました。
 「濃青色の球体」。彼はその姿を探しているのでした。
 彼らがいま立っているのは、砂岩でできている地下世界の地面が、丘のように隆起したところです。その頂上に当たるところで、理亜が、次いで、羽磋と王柔が、濃青色の球体に飲み込まれました。実は「母を待つ少女」という昔話に出てくる「母親」が転じた姿であるその球体の内部で、彼らは母親の苦難に満ちた旅を追体験し、彼女とその娘に起きた悲劇を知りました。追体験が終わった後で、母親と彼らは共通の意識世界を持てるようになりました。そのゴビの荒れ地に似た意識世界の中で、理亜は「母親」に対して「お母さん」と呼び掛け、自分こそが「母親」の娘だと訴えましたが、「母親」には全く受け入れられませんでした。それどころか、理亜の行動は「母親」の激しい怒りを買い、理亜を助けようとする羽磋たち共々、もう少しで「母親」によって殺されてしまうところでした。運良く、羽磋たちは「母親」が投げつけてきた巨大竜巻を避けることができたのですが、その際に意識を失ってしまいました。そして、次に彼らが意識を取り戻した時には、濃青色の球体から抜け出て、この地下世界内の丘の上に戻っていました。
 このように、意識を失う前と意識を取り戻した後で状況が全く異なっていたので、羽磋は一刻も早く状況を把握したいと焦っていたのでした。
 実際のところは、とてつもなくたくさんの力が集められた巨大竜巻が、羽磋たちに命中せずに球体の外殻にぶつかってしまったことが、彼らが地下世界に戻れた理由なのですが、そのような事は当事者である羽磋にはわかりません。それに、濃青色の球体、つまり、「母を待つ少女」の母親がどうなってしまったのかもわかりません。
 ついさっきには、羽磋たちはその母親に殺されるところだったのですから、羽磋が濃青色の球体がどこに居るのかをまず把握しようとしているのは、至極自然なことでありました。
 それに加えて、羽磋には「濃青色の球体」を探す大きな理由が、もう一つありました。
 この地下の大空間に入ってから、羽磋の頭の中にある考えが浮かんでいました。ただそれは、秋の空に浮かぶ羊雲のように心の中一面に散らばっていて、明確な形にはなっていませんでした。でも、「濃青色の球体」内部で経験したことが、羽磋の頭の中に散らばっていた雲を集める力となったのです。いまでは、ばらばらだった彼の頭の中の雲たちは、一つの像を形作りながら浮かんでいるのでした。
 「母を待つ少女の昔話」、「濃青色の球体」、「ヤルダンの地下に広がる大空間」、「地下世界での理亜の行動」、「地上で暴れ回っている母を待つ少女の奇岩」、それに、「王柔から聞いた理亜についての話」・・・・・・。
 それらから羽磋が辿り着いた考えとは・・・・・・。
 羽磋は顔を上に向け、両手を耳の横に添えて、地下世界の天井から伝わってくる音を拾いました。
 ・・・・・・・ド、ドドドウン。・・・・・・ドドッ、ダ、ドドドッ・・・・・・。
 王柔の興奮を抑えて理亜を救うために中断してしまったのですが、改めて頭上に注意を向け直してみると、彼らがいるところは音と言えば地面を流れる川の水音しかないような地下世界でしたから、直ぐに羽磋の耳に力強い音が幾つも伝わってきました。
 それが何の音か、遊牧の民である羽磋には考えるまでもなくわかりました。馬です。それは、複数の馬が、ヤルダンの赤土を蹴っている音です。さらに、その音が激しく乱れていることから、羽磋には地上の様子が想像できました。馬が隊列を組んで走っているのではありません。走ったり止まったりを入り乱れた状態で繰り返しています。つまり、地下世界にいる羽磋たちの頭上、ゴビの大地が襞状になって複雑に入り組むことから「ヤルダン魔鬼城」とさえ呼ばれている場所では、騎馬による戦いが繰り広げられているのです。
 いったい地上では、誰と誰が戦っているのでしょうか。
 羽磋には心当たりがありました。そして、その心当たりこそが、彼が「濃青色の球体」を探すもう一つの理由なのでした。
「王柔殿! 理亜! 濃青色の球体を探してくださいっ。急いで!」
 自分の想像に間違いが無いと確信した羽磋は、王柔と理亜に対して厳しい声を出しました。その声にはいままで以上に焦りの色が強く滲み出ていました。







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