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月の砂漠のかぐや姫 第228話

「この青い光ですか。ここで過ごすうちに当たり前に感じるようになってましたけど、考えてみればここは地面の下の洞窟ですから、この光がなければ真っ暗闇ですよね。本当に不思議な光です」
 羽磋に言われて王柔は、改めて周りを見回しました。彼の言うとおり、自分たちの周りの様子を見て取ることができるのは、この光があるお陰でした。既に大空間の中で話し合ったように、この光は夜光虫やヒカリダケのような虫や植物によるものではありません。精霊の力の働きによるものです。羽磋の話したいこととはその点についてなのでした。
「はい、王柔殿。兎の面を被って周囲の精霊の力の働きを調べたときにお話したように、この青い光は精霊の力の現れだと思います。この川の水が放つ青い光ですが、交易路の下を川が流れているときにはほとんど目立っていませんでした。その川の水が地下に流れ込んで大空間では池のように溜まっていた訳ですが、そこではほのかな光を放つようになっていました。そして、この洞窟を流れる川の水からは、洞窟全体を照らすような力強さで光が放たれています」
「確かにそうです。大空間から洞窟へと地下を奥に進むに連れて、川の水が放つ光が強くなって来ているのは、僕も感じていました」
「ところで、王柔殿は先ほどの駱駝が上げていた声をどう思われましたか」
「え、駱駝の声ですか」
 王柔は羽磋の話の内容が突然変わったことに戸惑いながらも、自分たちに向かってきた駱駝の声を思い出そうとしました。それは、日頃聞いたことのない悲鳴のような声でした。何か恐ろしいものから逃げ出そうとするのに精いっぱいで、自分の前に人がいるのも目に入らずにただやみくもに走っている、そんな駱駝の様子が思い出されました。
「あんな駱駝の声は聞いたことがありませんよ、羽磋殿。悲鳴を上げながら恐ろしいものから逃げ出しているって感じでしたね」
「やはりそうですか。実は僕もそうなんです。あの駱駝は怖いものか嫌なものから悲鳴を上げながら逃げていると感じました。王柔殿、お恥ずかしながら、先ほど僕も同じように感じたのです。前方の・・・・・・、あ、すみません、じっと見ないでください、王柔殿」
 羽磋が話をしながら洞窟の奥の方を見たので、王柔も何気なくその視線の先を追いました。でも、羽磋は素早く王柔に対してそちらを見続けないようにとの注意を発しました。
「じっと見続けていると僕と同じようになってしまいますよ。あの洞窟の前方、僕たちの歩いていく先の方が、洞窟の岩壁の中にボオッと浮いているように見えますよね。まるで青い光の塊のように。さっきはこの先がどうなっているのかを見通そうと、あの光をじっと見ていたんです。そうしたら、急に心に冷たい風が吹いてきて、怖い考えばかりがどんどんと浮かんでくるようになったんです」
 羽磋はその時のことを思い出しながら王柔に話をしていましたが、それはよほど怖いものだったのか、思い出すだけでも彼の身体は細かに震えていました。
 このような状況ですから、できるだけ考えないようにしていても「このまま二度と外に出られないかもしれない」という不安は、羽磋の心の底にも常にありました。まず、それが急にバンッと前面に出てきて、「外に出られないということはもう間違いがない」という意識が大きくなり、それ以外の可能性は全く考えられなくなりました。
 さらに、その羽磋の意識の中に、自分たちの未来の姿が浮かび上がってきました。
 その未来の羽磋たちは飢えと乾きに苦しめられながら出口を探して洞窟を歩き回り、歩く元気がなくなったら地面を這い、最後には倒れ込んだままで近くの岩壁を手で掻きむしり、なんとかして外に出ようともがいていました。その肌は極度に乾燥してボロボロで、地面や壁を掘った手の先には爪が一枚も残っていませんでした。
 次に、全く別の姿も浮かび上がってきましたた。その羽磋たちが洞窟の先に足を踏み入れた瞬間に、何やら得体のしれない黒い塊が闇の中から次から次へと現われて、彼らに飛び掛かってきました。羽磋たちはろくに抵抗することもできずに地面に押し倒されてしまいました。羽磋の耳には理亜の上げる甲高い悲鳴が聞こえてきました。それと同時に「グオオオッ」というサバクオオカミの上げる喜びの咆哮も聞こえてきました。洞窟の暗闇から飛びだしてきたのはサバクオオカミの群れだったのでした。そして羽磋は、自分の身体に次々と牙が立てられていくのを感じました。
 突然心の中に浮かび上がってきた恐ろしい未来図に羽磋はギュッと目を閉じましたが、強烈な青い光の塊は目蓋の裏に焼き付いていました。
 その青い光の中には、自分のもっとも大事な人である輝夜姫の姿が浮かんでいました。彼女は両手で顔を覆って泣いていました。まるで自分の大切なものが永遠に失われてしまったかのように、肩を震わせて泣いていました。どういう訳だか、羽磋には彼女が泣いている理由がわかりました。彼女は「自分は捨てられた」と言って泣いているのでした。「羽磋が自分を嫌いになった」と言って悲しんでいるのでした。どうしてそんなことになっているのか、そもそもどうして自分が彼女の姿を見ることができているのかわかりません。いえ、その様なことに意識すら向きません。羽磋は「違うんだ、輝夜」と、「俺は輝夜のことを救いたくて旅に出たんだ」と叫び、彼女の元に駆け付けようとしました。でも、彼の口からは吐息の一つも出てきませんでしたし、爪先をわずかに動かすこともできませんでした。






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