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月の砂漠のかぐや姫 第241話

 洞窟の奥へと歩き出す前に、羽磋はもう一度天井を見上げて耳を澄ませてみました。
 先ほど聞こえてきた馬の足音は羽磋たちがいる場所を通り越して進んで行ってしまい、既に聞こえなくなっていました。その音が進んでいった先を頭の中で思い起こすと、それはやはり羽磋たちがこれから進もうとしている洞窟の奥と同じ方向でした。
「冒頓殿、待っていてください。きっと僕たちはこの洞窟の外に出ますから」
 羽磋は心の中で冒頓に呼び掛けると、力強く歩き出すのでした。

 羽磋、理亜、そして、王柔は、再び一列になって、ほのかな青白い光に満たされた洞窟の中を奥へ奥へと進んでいました。夜の間休んでいたとは言え何も食べてはいないのですから、身体から疲れは抜けていません。でも、冒頓の護衛隊の馬が立てる足音を耳にしてからは、彼らの足取りはずいぶんと早くなっていました。
 洞窟にはこれまでと変わった様子は見られず、うねうねと曲がりくねってはいるものの極端に狭まったり上下したりするところはありませんでした。相変わらず洞窟の下部には川が流れていて、その水が放つほのかな青白い光が空間全体を照らしていました。大空間と繋がっていた場所から比べれば、いま彼らが歩いているところはずいぶんと洞窟の幅が広くなっていましたが、天井の高さはさほど変わっておらず、彼らが手を伸ばして届くような高さまでそれが降りてきている場所はありませんでした。
「はぁ、はぁ。大丈夫ですか、理亜、王柔殿」
 朝方に馬の走る足音を聞いてから、どれだけ歩いたでしょうか。先頭を歩く羽磋は、後を歩く二人を気遣って声を掛けました。でも、その間も彼の足は止まってはいませんでした。
「だ、大丈夫、です。羽磋殿。はぁ、はぁ。理亜も大丈夫です、な、理亜」
「うん、大丈夫だよ、オージュ」
 後方から王柔が答えました。もちろん彼の答えも歩きながらのもので、自分の前を歩く理亜の様子を確認して羽磋に返事をしたのでした。自分の頭の上を通りこした王柔の声に、理亜も声を合せました。
 王柔と理亜の声を聴いて、羽磋は一安心しました。長い間休憩も取らずに歩き続けていたので、二人のことが心配だったのです。でも、そう思いながらも、羽磋はできることなら休憩を取らずにこのまま歩き続けたいと考えていました。
 これまでも早く外へ出たいという思いで歩いていたのはもちろんなのですが、冒頓の護衛隊の馬の足音という明確な希望が生じてからは、少しでも冒頓たちから遅れてしまうとその希望が消えてしまうように思えてきて、これまで以上に気が急いていたのでした。
 ひょっとしたら、彼らはその心の動きの裏側で無意識の内に感じ取っていたのかもしれません。食料が尽き水も残りわずかなこの状況で、自分たちの疲れ切った身体を動かしているのはこの明るい希望なのだと。そして、もしもそれが失われてしまったら、もう二度と身体を動かすことができなくなってしまうだろうということを。
 洞窟は曲がりくねっているとはいえ、それでも奥へ奥へと繋がっています。
 地上に広がっているヤルダンは複雑に入り組んだ地形で有名で、そのためにそこを通ろうとする交易隊は案内人が必要なほどでした。普通に考えれば馬が走り去った後を人間が歩いて追いかけることは困難ですが、この洞窟は地上ほどには複雑な形状をしていないので、羽磋はこのまま休まずに進んでいけば、それほど地上の冒頓たちに遅れることなく目的の場所に到着できるのではないかと考えていました。
 目的の場所とはどこでしょうか。そう、地上であれば母を待つ少女の奇岩が立つ場所ですし、この地下の洞窟であれば精霊の力が強まっている場所でした。この二つには何か関連があるのでしょうか。あるいは、この洞窟の先は外へと繋がっていて、出口から出た場所には母を待つ少女の奇岩が立っていたりするのでしょうか。
 わかりません。わかりませんが、そうでないとも言えません。
 とにかく、歩くしかない。前へ進むしかない。身体が動くうちに早くその場所へ辿り着かないといけない。
 羽磋は後方からの返答を耳にして安心しましたが、生真面目な彼にしては珍しくそれに返事をすることすら忘れて、さらに自分の足に力を伝えるのでした。
 それからしばらくして、天井から差し込んでくる光の帯を幾つか通り過ぎた頃でしょうか。ゆるやかな曲がり角を曲がってその先を見通そうとした羽磋の目に、これまでに見たことのなかった光景が飛び込んできました。
「え、これはっ」
 少しでも早く冒頓たちと合流したいと思って足を止めずに歩き続けてきた羽磋でしたが、あまりに意外なその光景に気押されて、その場で立ち止まってしまいました。
「どうしたんですか、羽磋殿。ああ、す、すごいっ」
 洞窟の幅はずいぶんと広くなってきていましたから、立ち止まってしまった羽磋の横に隊列の最後尾を歩いていた王柔が並ぶことができました。最初は前触れもなく止まってしまった羽磋を心配して声を掛けた王柔でしたが、羽磋の視線の先を追うとすぐに彼もその理由を理解しました。






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