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月の砂漠のかぐや姫 第234話

 大空間の池の横で野営した時と同じようにこの洞窟の中にも朝日が差し込むことは無かったので、次の日の朝が来たと決めたのは王柔の感覚でした。朝になったと羽磋と理亜を起こす王柔の声は、一人で過ごす時間をようやく終えることができるとの安心感に満ちていました。
 遊牧民族にとって家畜の世話は自分たちの朝の支度よりも優先して行うべきものなのですが、彼らが連れていた駱駝は昨日の騒動でいなくなっていましたから、羽磋たちは自分たちのことだけに注意を向けることができました。でも、彼らが自分たちの為にしたことと言えば、寝る時に使っていたマントを袋の中にしまい、水袋から水を一口飲むことだけでした。それは、昨日の晩に最後に残っていた食料を食べてしまっていたからでした。
「はははっ、理亜、今はちょっとお腹が空いているかもしれないけど、すぐにみんなと合流してお腹いっぱいにご飯が食べれるようになるからね」
 王柔は理亜がお腹を空かせているのではないかと思い、わざと明るい言葉を使って励ましました。何か食べるものが残っていれば、自分が我慢してでもそれを理亜に食べさせてやるのですが、今の王柔に残されていたのは、その様な空元気だけだったのでした。
「大丈夫、ワタシ、お腹空いてナイ。それに、オージュが言うとおりだヨ。すぐに会える気がするヨ」
 王柔は理亜の意外な言葉を聞いて、羽磋と目を合わせました。
 この地下の洞窟に閉じ込められてからずっと、普通であれば怖がったり泣き出したりするような状況であるのに、理亜は少しもそれを怖がったりはしていませんでした。また、疲れを訴えたり、空腹を訴えたりすることもありませんでした。それはおそらく、ここがヤルダンの地下であって精霊の力が強く働いていることと理亜の身体には以前から精霊の力によるものと思われる異変が生じていることが、どういう理屈かはわかりませんが関係しているのだろうと、羽磋と王柔は話し合っていました。でも、このように具体的に何かが起きそうだと理亜が言ったのは、これが初めてでした。
 この先がどうなっているのか、どんな些細な情報でも欲しいと思っていた羽磋たちは、「これは、何かを理亜が感じているに違いない」と考え、二人ともがそろって勢いよく理亜に対して言葉の意味の確認をし始めました。
「え、会えるって? 誰にだいっ」
「そうだよ、理亜。王柔殿が言ってるけど、誰に会えるのかな。ね、教えてくれるかな」
 このような状況下ですから、羽磋たちにも心の余裕が充分にはありませんでした。でも、二人があまりにも勢いよく迫って来るので、理亜は二人の顔から目を逸らして下を向くと、そのまま黙りこんでしまいました。
 「しまった」と二人は思いました。小さな理亜を怖がらせるつもりなど、彼らには全くなかったのです。二人はすぐに理亜の前にしゃがみ込むと、どうにかして視線を合わせて謝ろうとするのでしたが、理亜が機嫌を直すことはありませんでした。
 しばらく経ってから「仕方がありません、出発しましょうか」と羽磋が言い、彼らが洞窟の奥の方へと歩き出すまでに理亜が発した言葉は、何もありませんでした。

 羽磋は前方に浮かんでいるように見える青い光の塊を注視し過ぎないように気を付けながら、周囲の状況を再確認しました。行動を始める前に周囲の確認をするのは、遊牧の生活から彼の身についていることでした。
 ここは地中に長く伸びる洞窟の途中です。この洞窟はまるで大きな蛇が通り抜けた穴のようで、人間が数人並ぶことができるような幅、そして、二人以上が重なってもまだ届かないような高さがあります。もちろん、そんな大きな蛇が実際にいるとは思われません。おそらくは、彼らの足元を流れている川の水が長い間に地中を削って作り上げたものなのでしょう。でも、羽磋たちにとってありがたかったことは、水が岩や土を削り取って作った洞窟によくみられるような岩壁の間が酷く狭くなった箇所や滝の様に急に落ち込んだ場所が、この洞窟には見られなかったことでした。そのお陰で、大空間から現在いるところまで、彼らは駱駝を引いて歩いてこられたのでした。
 それに、洞窟の下部を流れる川の水が精霊の力の現れと思われるほのかな青い光を放っているので、洞窟の中は真っ暗ではありませんでした。まるで月あかりを頼りに夜道を歩くときのように、下の方から上の方に向かって洞窟内を照らす青い光を頼りに前へ進むことができました。その青い光ですが、上流に当たる地中の大空間にあった池の水よりも、この洞窟の中を流れる川の水の方が強い光を放っており、それも洞窟を奥に行けば行くほど強くなっているようでした。そのため、洞窟の先の方を見通そうとすると、岩壁の中にぼうっと青い光の塊が浮いているかのように見えるのでした。








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