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月の砂漠のかぐや姫 第60話

「どうかしたっすか、羽磋殿」

 苑の言葉で、羽磋は我に返りました。自分の周りを見渡すと、すぐ横には苑がいて、自分の部下に指示をだしながら、狭道を行ったり来たりしている冒頓がいます。
 そして、その指示を受けて、盗賊の死体を狭道の脇や河原の方へ動かして、後続の本体を受け入れる準備をしている、頭布ではなく飾り紐を頭髪に巻き付けた男たちがいます。

「いや、なんでもないよ」

 苑にはそのように答えた羽磋でしたが、もう一度心の中で深くつぶやくのでした。「ああ、これが匈奴なのか」と。
 羽磋にとって「匈奴」とは、自分の叔父である賈四(カシ)といさかいになり、彼を殺害した部族に当たりました。また、大伴や他の大人たちから聞いた、月の民と大きな戦を繰り広げた敵国でもありました。さらに言えば、「月の巫女」弱竹姫が消えてしまうことになったのは、烏達渓谷で行われた匈奴との戦いが原因でした。
 それでも、このように自分の間近で彼らが戦うところを目にするまで、羽磋には「匈奴」という異民族が実感できていませんでした。それは、話の中での存在であって、交易隊に合流したときに護衛の者が匈奴と聞かされた際にも、驚きこそすれ、それ以上の考えは起きませんでした。
 そうです、今、羽磋は実感していました。これが匈奴なのだと。彼らは確かに、自分たち貴霜族とは違う一族なのだと。
 バダインジャラン砂漠での夜に、彼は輝夜姫と世界に出る話をしました。でも、その時に羽磋が想像していた世界とは、自分の知っている世界の延長に留まっていたのかも知れません。
 なぜなら、羽磋は、このような凄烈な戦い方をする部族があるなんて、想像もしていなかったのです。遊牧で広い範囲を移動していたとは言っても、その移動は自分の部族、遊牧隊と一緒に行うものに過ぎませんでした。
 世界は、羽磋の想像をはるかに超えて、広がっていたのでした。
 実際に匈奴の男達と触れ合うこととなった羽磋ですが、彼の心の中に、匈奴についての敵対心が芽生えるようなことはありませんでした。
 これは、匈奴の男に叔父を殺されたこと、月の民の直近の交戦相手が匈奴であったことを考えると、不思議なことと言えるかもしれませんが、それは彼が最初にあった匈奴の男、つまり、冒頓が奇妙な魅力を備えていたことが、理由となっていると言えるのかもしれませんでした。
 匈奴について考えようとすると、常に思い浮かぶのは、片目を閉じて人を喰ったような笑顔を浮かべる冒頓の顔であって、その冒頓に対して敵意を持つことなど、羽磋には思いもつかないのでした。


 羽磋や苑が馬を降りて手助けをし、交易路から盗賊の死体をどうにかどかし終えた頃、ようやく交易隊の本体が到着しました。交易隊の本体は、超克(チョウコク)がまとめている徒歩の護衛の者に守られながら、その場に止まることなく、ゆっくりと狭隘な道を進んでいきました。
 冒頓や羽磋は、河原の方へと道を少し離れて、それを見守りました。
 交易隊の駱駝やそれの世話をする男たちが、絶えることのない川の流れのように、羽磋の目の前を過ぎていきました。
 この駱駝たちは、どこから来てどこへ向かっているのでしょうか。羽磋が遊牧で移動したことのない、遠い遠い場所も、その足で歩いてきたのでしょうか。

「冒頓殿」
「なんだよ、羽磋」

 羽磋は、その流れに目を奪われながら、自分でも意識しないまま冒頓に語り掛けていました。言葉が、彼の内からあふれ出ているのでした。

「世界って、広いんですね」
「ハッハハハハッ! 世界は広いっと来たか! 良いな、羽磋。俺はお前を気に入ったよ。世界は広い、まさにそうだよな」
「あ、あれ、俺、今そんなこと言いましたか?」
「何を言ってるんだよ、留学者殿。俺はしっかりとお前の名言を聞いたぜ。世界は広い、その通りっ。だからこそ、俺はいつか国に帰って、その世界に俺の名を広めて見せるぜ。おう、もちろん、世話になった月の民には迷惑はかけねえからな。貸し借りはきっちりとしたいんだ、俺は」

 羽磋の言葉に、気持ちの良い笑い声で応えた冒頓は、羽磋の頭を頭布ごとわしゃわしゃと掻き乱しました。
 そして、その笑い声に連れて、彼の内なる想いも自然と口から出てくるのでした。
 冒頓は、匈奴の単于の息子でした。新興遊牧民族である匈奴は、すでにゴビ一帯に勢力を広げていた月の民に戦いを挑み、烏達渓谷の戦いで決定的な敗北を喫しました。
 その時に、和睦(もちろん、月の民が兄となり匈奴が弟となる和睦ですが)の証の一つとして月の民に出されたのが、冒頓とその従者たちだったのでした。
 烏達渓谷の戦いが行われた時には、冒頓は五歳でした。その後、月の民の中で、彼は人質として約二十年を過ごしていました。
 もっとも、その二十年の間、彼は牢獄の中から外を眺めて過ごしていたのではありませんでした。
 人質を取るということは、万一の時には相手の次世代の指導者を盾とするという意味もありましたが、同時に、相手の次世代の指導者に自国に親しみを持ってもらうという意味もあったのでした。
 つまり、冒頓が月の民に親しみを持ってくれれば、次に彼が匈奴を率いるときには、匈奴は敵対国ではなく友好国となる、ということでした。
 さらに、匈奴の内部で不穏な動きが生じ、複数の勢力が次世代の指導者として立ち上がった場合には、月の民は冒頓を立ててそれに介入することもできるということも考えると、月の民が冒頓を粗雑に扱う理由はないのです。
 月の民の指導層は、むしろ冒頓を賓客として扱い、月の民の良いところに積極的に触れてもらえるようにと、配慮をしていたのでした。



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