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誰かのために祈る。

随分大げさなタイトルになってしまったけれど、私はクリスチャンではないし、実家は仏教。

私が通った保育園は、お寺付属の保育園。
園長先生はお寺の住職。

本堂に飾られた大きな「涅槃図」を前に園長先生のお話を聴いた。

そして、高校はミッションスクールの女子高。
校長先生はシスター。

毎朝の祈りの時間、朝礼での聖歌、聖書の授業もあった。
「主の祈り」や聖歌は体になじんだまま、未だに覚えている。

だからと言って、私は信仰を心の中心に据えたり、神さまに祈ったりするわけではなかった。

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縁があったのか無かったのか、私が訪問看護師を目指して単身東京へ上京し、入職した病院には礼拝堂があった。

牧師さまもいらしたが、顔を合わせる事もなく、その頃の私は仕事に追われていた。

看護師3年目。
私はバイク運転中に事故に遭い、自分の職場に入院した。全身打撲・頸椎捻挫・骨折2か所。
(詳しくは、「原付ライダー明日も行く!」をお読みください)

白い天井を見て過ごす日々、高校時代の友人に入院の連絡をすると、遠方からはるばる見舞いに来てくれるとのこと。
ミッションスクールを経て彼女は改宗しクリスチャンとなっていた。

病室に現れたのは、久しぶりに会う彼女。
そしてもう1人??

それは、病院の礼拝堂の牧師さまだった。

彼女が病院の礼拝堂に立ち寄り礼拝しているところを、牧師さまが声をかけたそうだ。

かくかくしかじか・・・。
「では、私も一緒に行きましょう。」という事になったらしい。

その日は、入院してから数日経っていた。
身体の痛みにベット上安静。仰向け以外の姿勢は許されなかった。眠れない。
実際のところ、私は精神的に憔悴していた。

・・

私としばらく会話を交わした後、2人は私の為に祈ってくれると言った。



静かにゆっくりと私だけに向けられた言葉。


そして、しばらくの沈黙。

カラッカラの乾いたスポンジに、ゆっくりと温かい液体がしみ込む。
スポンジが少しずつ重さと潤いを増していくようなそんな感覚と時間。

私の身体の痛みと、ベット上安静という現実は何も変わらなかったけれど。

とても、とても、しあわせな時間だった。

・・

私は両親とは小さいころから情的に距離があり、親の機嫌を損ねないよう、親の顔色を見ながら暮らしていた。

思春期になり、さらに私は自分から情的距離を置いた。

そして両親から早く自立するために看護師を選び、希望の病院に就職した。

人に頼らず、自分の力で何でもやってきた。(とその頃は思い込んでいた)

実家を離れ経済的に自立さえすれば、素晴らしい世界が開けているような気がしていた。

実際はそうではなかった。

両親から離れ、看護師として希望する病院に就職し、経済的に自立しても、私の心の中の乾いた孤独は続いていた。

2人が私の為に祈ってくれた時間。

「私は1人ではない」

心から思えたのだと思う。

・・・・

誰かに話したところで、誰かが祈ったところで、今の現実が変わるわけではない。

でも、

「自分は1人ではない」

と思えた時、人は孤独を少しだけ遠ざけることができるのかもしれない。

私は、惜し気もなく、堂々と、心を込めて、誰かのために祈る事ができる者でありたいと願う。

あの日、遠方からひょっこり見舞いに来て、高校時代と変わらず接してくれた友人。
退院後に「退院祝い」と称し、何度か私とお酒を付き合ってくださった牧師さま。

あの2人のように。

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