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かみふうせん

ふうっーっと息を吹くと、ぽんとふくれる「紙ふうせん」。
昨年、函館をめざして「でんじろう」で走り、秋田だったか、新潟だったかを通った時に、紙風船の街を通りました。

小さいころ、よく紙風船で遊んでいたのを思い出し、懐かしくなりました。そして、その伝統が引き継がれていることをしり、なんだかうれしくなりました。なくなってほしくないものが、どんどんとなくなっていくというのは、やはりさみしさを感じます。

ものやひとが行き来するようになると、その土地独自のものも形を変えていくことがあります。それはかなしいことではなく、喜ばしいことと考えることもできます。どちらがいいとは言えません。

フランスを旅した時、伝統についてもいろいろと考えました。パリの街や地方都市でも、意識的に風景がまもられていたからです。美しい風景をまもる努力をみんなでなさっているだということもよくわかりました。

転じて、日本はどうなのか。
住んでいてもわからないことがたくさんあります。たまたま残っているもの、守り続けたもの、伝統と習慣。奈良にも不思議なものがたくさんのこっています。

いま、はやり病が世界をつつみこむなかで、つづけることも難しくなったものもたくさんありそうです。お祭りの儀式の仕方も変わりそうです。
小さな神社の縁日「大門玉手箱」は、12月12日(土)今年の最後をむかえます。小さくひっそりとひらきます。

ボールのように自由にころがる旅をつづけたいとおもいます。
たいせつなものをまもりながら。
苦しくなったら、空気をぬいて、静かにたたんで、しばらくしまっておきます。元気になったら、また「ぷうっ」と空気をいれてふくらまします。

かみふうせんのように強く優しくたくましく生きていきましょう。



やぶれても かみをはりはり やりなおし 
たたみしまって またふくらんで




紙風船の街は、新潟県出雲崎町でした。
住んでみたくなりました♬
https://youtu.be/mbbM0Ah2gx8




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