読書記録 | ヴォネガットの「猫のゆりかご」をどのように感じるか
今月は近頃になく大小多様な小説作品を読んできたのであるが、明日に控えた読書会に照準を絞り計画的に読み進めてきたのが、課題書のカート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」である。
どのように課題書が決まったかという経緯は、異例のLINE投票によるもので、何せ私が選んだ作品が課題書となったからには、一番深く読んでおきたいというのが正直なところである。
ところがここがヴォネガット作品の甘くないところで、過去読んだ作品で何となく想像付いたはずなので止めておけばよかったのだが、必要以上にテーマが難しい上、この小説のうちの出来事をどのように解釈してよいかもまとまらない。
ただ、時折覗く思わず吹いてしまいそうな、作者特有のすっとぼけたユーモアセンスが織り交ぜられているのが嬉しくもある。
内容は主役である小説家が、8月6日に広島に投下された原子爆弾を開発したある一家の足取りを追うというドキュメンタリータッチの細切れ話から、「アイス・ナイン」という核兵器に見立てた危険な開発物を巡って、やがて地上の滅亡へ発展してゆくという複雑極まるものである。
その中に米ソの緊迫した冷戦を彷彿させる場面、新興宗教の存在と信仰など、当時の世界情勢を皮肉ったようなものが詰め込まれているので、自分としてもう少し社会情勢に富めば、更に面白く読めるだろうと思った次第である。
カート・ヴォネガットの作品にいつも思うところは、掴みどころがまるでないのに時間が経てば無性に読みたくなるという不思議さと、難しさと易しさの微妙な均衡である。
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