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今ふりかえる極東ロシアの旅① 国境紛争の最前線は平和な川へ

 いつの日かシベリア鉄道に乗ってみたい。鉄ヲタである私としては、そんな気持ちを持っていた。でも、そんなことはまず実現できないだろうと思い込んでいた。

 しかし、「もしかしたら北方領土が帰ってくるかもしれない」という日本側の淡い期待の下で進められたかつての安倍首相(当時)とプーチン大統領との外交交渉のなかで、2017年ごろからサハリンにおけるLNG(液化天然ガス)の共同開発やウラジオストク地域へのノービザ渡航など、「日ロ融和」が進んだ。

 そうしたなかで私は、2017年の夏、極東ロシアのハバロフスクからウラジオストクまでのシベリア鉄道の旅に出た。この旅で私は、極東ロシアの風物や人々と直接触れ、「暗い」「冷たい」「怖い」というステレオタイプなロシアのイメージを随分と変えた。それから約5年後、この原稿を書いている2022年4月の時点では、ロシアによるウクライナ侵攻で世界の様相は一変している。ロシアによるウクライナ侵攻はいかなる理由があっても正当化できるものではない。しかし、いまの時点にたって当時、極東ロシアで見聞きし、感じたたことを伝えることは意義があることだと思う。そのため、いまの時点にたった極東ロシア訪問記を何回かに分けてnoteに掲載してみたい。

日本から2時間半で行ける極東ロシア

 私が、ハバロフスク空港に降り立ったのは、2017年8月15日だった。自宅を早朝に出て、関西空港、羽田経由でハバロフスク着いたのは夕方だった。ロシアというと遠い国のように思うが、羽田からハバロフスクまでの所要時間は、実質2時間50分だった。ウラジオストクとなると、緯度は札幌とほとんど変わりがない。しかし、街並みの風景はヨーロッパそのものである。そして、機上から見たアムール川やシベリアの大地は広大だった。

飛行機から見たアムール川

アムール川のクルージングに出かける

 ハバロフスク到着の翌日の午後、私はアムール川のクルージングに出かけた。

ビクトリアさんとジュリアさん

 ガイドには、ハバロフスクの日本センターの無料の講座で日本語を勉強しているというジュリアさん(写真右)とガイド見習い中のビクトリアさん(写真左)が来てくれた。ともに当時39歳のロシア美人だった。ビクトリアさんは日本が大好きで、ボルシチより味噌汁が好きだそうだ。来月、2週間ほど日本へ行くと言っていた。

クルージング船から見たアムール川

 このアムール川は、中国語では黒龍江と言い、ロシアと中国との国境を流れている。しかし1970年代までは、アムール川の中にある珍宝島や大ウスリー島(黒瞎子島)などの領有を巡って中ソ(露)の国境紛争が絶えなかった。とくに1960年代には中ソ論争というイデオロギー対立も絡んで、中ソ間の緊張は核戦争の一歩手前まで来ていたという。

 ハバロフスクはアムール川とウスリー川とが合流する地点にある。その中洲である大ウスリー島が国境紛争の焦点の一つであり、当時は国境紛争の最前線に置かれていたことになる。

 しかし、ゴルバチョフ時代以降、中ソ(露)の国境交渉が進み、2008年には大ウスリー島の領有を中ロで東西にきれいに分け合う国境協定に合意し、国境紛争は完全に解決した。下記のGoogleMapの「黒瞎子島」の中央を横切るグレーの線が中ロの合意の下で弾かれた国境線である。

 国と国の間で紛争がある場合、双方の国の指導者が互いに対立を煽れば、いくらでも対立は激化する。しかし、双方の指導者が自制し、この問題を解決するという立場にたって交渉すれば、解決のための良い智慧が出てくるという教訓を示していると思う。

 今は、ハバロフスクと対岸の中国の町を結ぶ定期航路ができ、互いに観光やビジネスで行き来することが活発になっているそうだ。ジュリアさんやビクトリアさんもたまに中国へ渡って、ショッピングや中華料理を食べに行くのを楽しみにしていると言っていた。

中国へ渡るフェリー

 いまの時点にたってみると、ロシアとウクライナの指導者がなぜ中ロ国境紛争を解決したような立場で解決できなかったのか、残念に思う。それを許さない条件が互いにあったのだろう。だが、今からでも遅くないので、双方が自制し、政治的な解決を図ることを願う。

レーニン広場にたなびく赤旗

 ソ連が20年前に崩壊したとは言え、ハバロフスクの中心的な広場の名前はレーニン広場であり、そこにレーニンの銅像が堂々と立っていた。

レーニン像

 もう一つの大広間である教会広場にも、第二次世界大戦中の赤軍の英雄像が立っていた。

 偶然その広場で、ソ連共産党の赤旗を掲げた人たちの集会に出くわした。何を訴えているのかよくわかなかったが、どうやら戦争で犠牲になった人たちの支援をもっとしなければならないと言うようなことを訴えているようだった。

ロシア共産党の集会

 ただ参加者は30人程度と少なく、またその多くが高齢者で、周りの人たちは遠巻きでそれを見ているような様子だった。ほんの20年ほど前までは政権与党で、絶大な権力を持っていた共産党だったが、一旦権力を手放すと、目先の利益だけを追い求めて共産党にすりよっていた人たちは雲の子散らすように離れていったということだろう。この集会に参加している人たちは、そのような利権ではなく、純粋にコミュニズムの理念に忠実な人たちではないだろうか。ただ、今の共産党が若者にとって魅力ある問題提起をできていないということではないかと思った。

軍隊の追悼行事

 そのすぐ近くにある極東軍管区博物館の前では、軍隊の儀礼に則って追悼のセレモニーのようなものが開催されていのを目撃した。最近、殉死した兵士のようだ。あの当時であれば、シリア内戦に参加した兵士か、あるいは事故死なのか。平和な田舎町に見えるハバロフスクでも、戦争の影が見えていた。

 いまは、対ウクライナ戦争のなかで、ウクライナ側の犠牲者のことが連日報道されているが、侵略した側のロシア側の兵士にも相当の犠牲者が出ているようだ。戦争となれば、どちらの側も犠牲になるのは民衆である。このような追悼式が今、ロシア各地でおこなわれているのだろうか。

市電、トロリーバス、バス、乗り合いタクシー

 ハバロフスク市内では、縦横に市電、トロリーバス、バス、乗り合いタクシーなどか走っていた。どれも運賃は一律24ルーブル、45円程度だった。

ハバロフスク市内の市電
車内の様子

 日本のようなワンマンカーではなく、車掌が乗務していて、新たに客が乗ってくると必ずやってきて、料金を徴収し、切符を渡してくれる。ただ、制服がなく、みなジーンズにシャツやセーターなどの私服だが、料金や切符を入れる小さな黒いカバンをかせているので、車掌だとわかる。5番目の写真の真ん中で立っている女性が車掌だ。

 乗り鉄としては、十分楽しめた。

 外国からの旅行者の立場から言うと、市電、トロリーバス、バスなどの路線図や系統図を停留所に明示してほしいところだ。駅前などのターミナルにもないし、ネット上になかった。私は適当に乗っていたが、確実に行きたいところに行くにはほしいところだ。

今ふりかえる極東ロシアの旅②>


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