この怒りを奪うな

この詩は「ゆめみるけんり+て、わた し」に寄稿したものです。テーマは「いま寄り添うためのことば」。以下の解説と詩を寄稿しているので、内容は被りますことを予めご了承ください。

寄り添うためのことばで、何故「怒り」を?と思うかもしれません。けれどコロナ禍以前から人は理不尽な出来事や対応、ルールなどに出会っていて、それに対して怒るということをすると、「怒っても意味ない」「もう少し落ち着いて」「口が悪いからもう少し丁寧に言わなきゃ」「誰に対して言ってんだ」などと口を塞がれることが少なくないからです。#MeToo も #KuToo もそうだし、給付金の問題だって怒りの声を上げなければ日本に住む人たちに一律10万円給付にはならなかったはずです(ただ世帯主を代表にすることには全く納得していないが)。
怒りで世の中が動くことを何度も目にも耳にもしました。だけど今の政治はその怒りを小馬鹿にすることを何重にも重ねています。それを許してはいけないです。怒ることを大事にしてください。

「怒る」ことは いけないことなのか
どうか僕に 教えてくれないか

「怒りでは何も変わらない」と言う人たちが
いつからか僕のまわりに増えてきたんだ

ねぇ どうしてそうやって僕を宥めようとするの?
あなたにとって「怒る」ってみっともないことなの?

だけど「怒り」で変わったものが多くあるよ
変わらないのは「何があっても黙っているから」なのに

今まで怒らなかったことってあるの? ないでしょう?
けれど不用意に口を塞がれて「怒る」ことを奪われたことは何度もある

そう いつのまにか
見ざる 言わざる 聞かざる が美徳とされて

何があっても何も無かったかのように
いつだって人は何度も素通りしていったんだ

そして「怒る」ことが みっともないことと見做されて
それに黙っていたら やりたい放題にされていた

けれど「怒り」が間違った方向に行くと
己の正義が正しいと勘違いした輩がそれを振りかざす

だから「怒り」の使い方を間違えるな
間違えたらこの世界はますます混迷を極める

もう なあなあで終わらせるのは終わりだ
まだ終わってないことがある まだまだある だから怒る

まわりを見てごらん
改めて気付かされることがある

優しい言葉で諭して改心した人間の少なさと
厳しい言葉で叱っても開き直る人間の多さよ

こんなことの繰り返しで
人は人では無くなってしまうんだ

だから「怒り」は必要だ
これまでも「怒り」で変わった現実をこの目と耳で知った

今でもこの世にある
理不尽に
不正義に
不寛容に
不平等に
いじめに
嫌がらせに
差別に
やるせなさに
狭き人の心に
もっと怒っていいのだ
「怒り」こそ あたりまえの行動で感情だ

「怒り」にマニュアルなんて無い
口が悪くなったって気にすることは無い

屁理屈と冷笑を笑ってやろう
この世には未だに口を塞ごうとする奴らがごまんといるけど

人は産まれたときから生活があり 政治的である
おかしいことにはおかしいと言っていい 既に備わっているのだ

忖度も空気読みも機嫌を伺うことも
なんにもしなくていい

「怒る心」を忘れるな
この怒りを奪う権利は誰にも無い

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