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希死念慮との付き合い方
皆さんこんにちは。
今日は『希死念慮との付き合い方』というテーマで書いてみます。
このnoteを読んで、少しでも前向きな捉え方ができるよう、思考のクセがいい方面に変わっていただければ幸いです。
私は中学から25歳の今まで、希死念慮とともに過ごしています。
希死念慮の説明を一応しておくと、強い感情を伴った自殺に対する思考がある状態。自殺を計画したりする状態。あるいはその思考が精神生活全体を支配している状態を指します。
つまり、死にたい・消えたいと思っている状態ということですね。
スマホやパソコンで「辛い気持ち」「死にたい」などと簡単に書けますし、人に送信することもできる現代ですが、実際問題、人を前にして声に出してその気持ちを伝えることは非常にハードルが高いですよね。
私はある日この曲と出会って、歌詞に感銘を受けました。
この曲の歌詞の全てに共感するのですが、特に下記の部分は私の思っていたことを端的に言い当てられており、特に好きというか、なんとも言えない気持ちになります。
簡単に「死にたい」だの「もう無理」だのと言う奴が嫌いでした。
それが今は軽々しく文字に起こせてしまうことに、申し訳なさが募るのでした。
自分以外の他人が「死にたい」と言うのが嫌いなの、すごくわかります。
そして、なぜそう思うのかも自分で理解しています。
希死念慮が募った時、私の場合ですが、まず初めに「死にたい」と口に出して周囲の人にヘルプを求めます。
そして、「あ、言いすぎた。他人に心配や迷惑をかけてしまった」と猛省し、自分の弱さ・至らなさに嫌悪し、より辛くなり、死にたい気持ちを必死で隠したり誤魔化したりするようになります。
そして誰にも言わないまま明るく元気に何も問題がないかのように振る舞い、口には出さずに毎日死にたい気持ちを1人抱えて生きるのです。
そんな努力を陰ながら続けている人間にとって、「死にたい」とヘルプを出せるメンタルの人、その段階の人は羨ましく、妬ましい存在なので見ると複雑でなんか嫌な気持ちになるのです。
一方で匿名のSNS、Xなどで「死にたい」と呟くことは他人に迷惑をかけてしまったという反省の気持ちが起こりにくい分、好きなだけ書き込めます。
そんな矛盾しているような捻くれた自分の性格に絶望し、嫌悪するんです。
ずっと希死念慮を隠して生活を送るわけですが、たまにどうしても抗えない力とスピードで死にたい気持ちが強まる時があります。その時は、必死に心の奥底に再び希死念慮が沈んでくれるまで押さえつけたり、その期間を別のことに注意を逸らして耐えたりして過ごします。
でも、そんなことを続けるのは非常にストレスです。
なので希死念慮を脱した人の本や動画を漁って瞑想など色々と試しましたが解決には至りませんでした。
希死念慮がもし自分の価値観や考え方の癖や認知の歪みとして染み付いてしまっているのなら、服の染み抜きのように取り除きたいです。
全てのことは時間が解決してくれると思い、前向きに捉えようとしています。ですが10年以上続く希死念慮はこびりつきのようで、将来消える望みは薄いとつい後ろ向きに考えてしまいます。
でも、待ってください。皆さん、救いはあります。
もし私と同じなら、思い出して欲しいのです。
『希死念慮があったとしても、楽しい・明るい気持ちは共存することができます!』
希死念慮とともに生きる自分、またその人生を悲しいものだと捉えないでください。決めつけないでください。
ちゃんと笑える、楽しめている、嬉しいと感じられている時はありますよね。希死念慮と幸福は共存可能な存在なんです。
だから大丈夫。自死という選択肢を取らなくても、希死念慮が一生涯続いたとしても、あなたは幸せになれます。
一度受けた命を使い果たすくらい楽しんで、疲れた時は世間体を忘れて殴り捨てて、自分の心を安心させる生き方を選んで進みましょう。
私も一緒に生きていきますので。
終わり。
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