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子育てにおける価値観〜息子とのおはなし〜

先日息子(3歳)とこんな話をした。

『ママ、怒ってる?』と聞くので、幼ながらに何かを感じ取ったのかもしれない、と思い正直に

『うん、怒ってる。色々めんどくさいなぁと思ってる。いやだなぁて思ってる(つまりイライラしている。)』

と告げた。息子は少し困惑した顔でこちらを見ていたので、続けて

『でも(息子)ちゃんのせいじゃないねん、ママにも疲れたなぁて思う日があるんよ、何もしたくないわ、めんどくさいわ、て思う日が。それこそ(息子)ちゃんに頼まれておもちゃ出すだけでもめんどくさいなぁと思ってイライラする日も。でもな、ママは(息子)ちゃんに怒ってるわけじゃないんよ、ママにも疲れた日があるんよ。でもママは(息子)ちゃんがだーいすきやで。』

と膝に座らせ伝えつつ、ぎゅっと抱きしめると安心したのか綻んだ顔で

『ぼくもママがだーいすきもん!』

と教えてくれた。

ママは完璧じゃない、ましてや菩薩でもない。
常にニコニコしているわけではない。

ママにも疲れている日がある。
それが漏れ出て幼子でも感じとれる日すらある。

ママは完璧じゃない。ママだって喜怒哀楽ある。
ママにも事情がある。大人の事情と、個人的な感情と。

完璧な大人などいないし、私という器では到底演じきることも出来ない。だから私は隠したり誤魔化したりしたくない。だがそれが息子のせいでなく自分のことである事は必ずセットで伝えたい。

一親として、またかつての子どもとして私が思うのは、親の顔を見ながら育つことのデメリットは、親の顔色を伺いながら自分に原因があると思い抱えてしまう点にあるんじゃないかと思う。

私は『自分の機嫌は自分で取るべき』を支持する方だしその様に努めているけども、それは自分の機嫌のままに振る舞う人間の影響を受けて自分を卑下する癖が付いているからの様に思う。なんか怒ってる、自分が悪いのかも…といった具合に。

私は喜怒哀楽があった方がいいと思うし、自身も思っきし笑ったり泣いたりする。否、するようになった。

むかし、一時期感情を表に出す事が難しく感じられるくらいロボットの様に表情が無になってしまった事があったがやはり人間であれば喜怒哀楽あっていいのだと紆余曲折を経て自分を許せるようになり表情が戻った。(当時は笑ってると思って見返した写真がどれも仏頂面で全くもって笑とは無縁だったことがあった。笑ってるのに笑えてない事実は本当に面食らう、どうやって笑えばいいのかが分からなくなる)


いろんな親がいる。

いろんな価値観があっていい。

いろんな人がいて、
皆各々のやり方で子どもを大切にしている。

それぞれに、試行錯誤しながら。


不器用な母ちゃんだから、一緒に笑って一緒に泣いて、一緒に怒って、一緒に楽しもう!

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