詩 日常
大切な人を大切に
誰かからの手紙は、文章や文字から本質や伝えたいことが一目でわかる。
誰かを信用できなくても、それだけは確かにはわかる。
冷たいコップという心に入ってるココアは温かいモノだと知るということはもうわかってるから知ることができないみたいに、人の温かさを知るということは知ることができない。
だからこそ、涙が流れ落ちたりするのかもしれない。優しさを優しさと認識してたら、それは、言葉として外に放たれるから。だから、優しさを知ることができない。
忙しくて時間はないと言いながら、もう少し誰かと話してたいという瞬間はなかなかこない。
まさに日曜日の夕方みたいに寂しくて悲しい休日を待ってるように
夕陽を眺めるだけの時間があんなに幸せだったと気づくように
なんとかしたくて、月曜日から土曜日まで走り続けていくけど
日曜日に休みがきても、何ともなくて寝てしまったり、用事をしてしまったり、それらの辛い感情を受け入れることができない。
誰かは、きっとそれが、日曜日が、土曜日だったりするのかもしれない。日曜日から金曜日まで走ってて、土曜日を受け入れることができないのかもしれない。
だから、立ち止まって、周りの景色を見渡すと、2人過ごした景色が違って、過ごした街が違って、もしかしたら、僕が行く店は、あの人の今には定休日かもしれない
それを辿れば、もっと話したいと思うこともあって自然なのかもしれない。
知るということを知ることができない。それを知る方法は、そうやってお互いに話すこと。
人の優しさや温かさを知れた喜びを何か知るということは、もっと知りたいということ。
いつかあの夕陽のように贅沢な瞬間だと思える。
それはその日々が奇跡の連続だから。
だから、1日、1日は貴重で、走ってるかもしれないけど、風を感じながら面白いこと、どうでもいいこと、些細なことを積み重ねる
心には、風に揺られた、花びらが落ちる。それが優しさ。
もしかしたら、心の冷たいコップのココアに花びらが落ちたら、私は私を、あなたはあなたを知れるかもしれない。
それが生きていくということ。