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小さなマラカス、小さな切り口

まだ途中です。途中での考えです。

途中

昔は、大学出て就職して、これからだという思いが強かった。将来は福祉で学んで、専門の勉強もして、さらにいつかは教壇で話したいなとか思ってた。思えた。

ただそれがどれだけ難しいことかがよくわかる。まず、仕事を続けたり、その中で勉強して専門スキルをあげて、ずっと働いていくことの難しさがある。

やっぱり躓くこともあれば、壁にぶち当たることもある。そして、続けられなくなる可能性もあるだろう。いろいろな要因で。

また、勉強も壁ができて、また壁ができてというように楽ではない。楽しい時もあるけど楽しいものではない。


何か夢を持ちそれに向かって努力して結果を出したり、残すことも大切だけど、まず何かを続けていけば、それが自ずとできることがあるので、それを大切にしてほしい。

僕は本とまではもちろんいかないが、いろいろあったよ。仕事での利用者とのことを書いた記事を広報紙に載せてもらったり、取材は受けてないけど写真が載ったり、本当にいろいろあったよ。

その時に思い出すのは、その時々で助けてもらったソーシャルワーカーのこと。

大学時代に障害者支援の実習にいくも迷いがある時に、職員にガツンとは言われてないけど、忘れられない言葉を言われた。

他には、社会福祉士の模試で順調に点数を伸ばしたりした時には、ソーシャルワーカーに応援され、合格した時には尊敬しますと言われたよ。その過程もあるわけで正直、恋しかけました。してたかな。

そして、当時、仕事の中のソーシャルワーカーの働き様にも感じるものがあった。

いろいろなことや助けがあり、一つの小さなことを乗り越えたり、なんか知らない間に大きなことをしてたり、することがある。

そういうことがわかってからは、自然と一歩下がって、いろいろなことを見ることを意識してる。


だから今、結果を出そうとしてる人は、小さなことを乗り越えるにもたくさんの助けがあることを思って、そして大きなことはそのプレゼントだと思うと良いのかもしれない。

やっぱり自分は、小さなことでしか判断できない。自分の進路も、自分も。いきなり大きなことは判断できないし、できない。

いきなり病院のMSWにはなれないし、なろうと思わない、他の専門職にも。

今は漠然と高齢者や障害者の支援をしていて、音楽療法を取り入れてるところで学んでみたい気持ちが強い。

それは音楽が好きだし、高齢者に小さなマラカスをプレゼントしたことがあって、本当に楽器ができなくても、あまり音が聞こえなくても、普通のマラカスを持てなくても小さなマラカスなら持てるし、音楽に触れられるきっかけになるんです。

そういうことから前から音楽というものを使った支援には興味がありました。

いきなり、自分は~の生活を支えたいからこの仕事がしたいとか、わからないから言えない。でも、こういう切り口から学んでみたい、音楽療法という視点から福祉を見てみたいとかなら言える。そっから、誰々を支える仕事に就きたいと言えるのかもしれません。

そうじゃないと怖いんだよね。入り込むための切り口、入り口は大切だと思っています。

今は、そんな感じで、一つの切り口から、入り口から高齢者施設や障害者分野を見てみたいと思ってる。ボランティアかもしれないし、体験かもしれないけど、何かしら進みたい。

そっからソーシャルワーカーとして相談業務する場所を探してみたいなと思っています。

ここまで来るにも時間はかかる。それに実現するかもわからない。でも、方向性が決まらないと何のために、頑張って、何のために勉強するかも定まらないから。

それが定まれば、全力で遊べたり、全力で恋したりできるかもしれないと思っています。浅はかな考え方ですが。