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物語 逆さまのプレゼント 創作大賞♯22 応募作品

小さなしおりへと繋ぐ物語

物語というのかはわからない。逆さまから見た物語

涙を笑顔に変えるという話でもない。子どもの何かを頑張ってる理由を知りたいわけでもない。ただ逆さまに見た時に、何か残したい。そういう風に思って考えた。

七五三に残したい気持ち。

逆上がりを教えるのは難しいけど、逆さまになって見えるものなら想像できる

一話  始まり
公園で見向きもされなかった鉄棒。
子ども時代は、シーソーやブランコが人気だった。

それはブランコで高く上がると空や景色が少し動いて違って見えるからかな?確かに空に絵を自由に大きく描いてるみたいに、目に写る景色は自分のものだった。

シーソーは、誰かの顔が見えて誰かと会話のキャッチボールだってできる。誰かの言葉は、僕の見える景色や明日に色をつけてくれた気がした。

公園は子どもの頃、子ども同士、秘密基地を作ろうって話がでるほど、その場所を自分のものにしたいぐらい楽しい場所、小さな社会なのかもしれない。大人や誰かが家を建てるみたいな、そんな社会、地域。

鉄棒は、なんなのか。子ども時代に一生懸命になってた気もするが、忘れてしまった。

きっと、鉄棒は技なんだと思う。技術なんだと思う。鉄棒は初めはコツがいるし、でもそれをできたら、子どもは、自分が少し成長して、お兄ちゃんになれたと思うのではないだろうか。

あのおもいっきり回転する鉄棒、一瞬の中で、逆上がりができたら一瞬で大きくなれる。かっこよくなれる

夢が景品のガチャガチャみたいだ。

今、高校生か大学かわからないけど、その時ぐらいのことを思い出した。

様々な人の中で、出会う中で、好きな人が読んでいた小説や、友達が読んでいた小説

涙や必死さとかを背景にいろいろな人の心をぐるぐる回って、探して、小説を手に取る。

だけど、結局、その人の人生や経験や出会いや別れがあるから、小説の一部分やある部分がその人の記憶に焼き付く。

いろいろな遊具の中に鉄棒があっても、鉄棒は、逆上がり、回った瞬間に感じた思いや感情、風や逆さまに写る校舎とか

どうやっても、立ち止まる僕には同じには感じないし、それをその人に提供することもできない。

ただ、逆さまの校舎の窓から青い風船を結んで、ぶら下げたり飛ばすことはできる。その人が見た、感じた風を形で表せるかもしれない。きっとそれは、涙を受けとる、涙を流していく風だと思う。

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だから、おばあちゃんや好きな人、尊敬する人が小説を読んでいたり、その人を理解したいと思ったら、言葉をかけることだと思う。

涙を流せたりする優しさ、涙を受けとめることは難しい。だけど、笑顔にする言葉は案外簡単な言葉でできるものだ。

自分の喜びや、自分なりの言葉やその人が好きなもの、その人が話してた言葉、考え方、その人の喜びを心で膨らませて、風船にして渡せば良い。

涙をも流しさってくれる風の形を作り出して、その人の背中を押せば良い。

道の方向、小説の答え、小説の方向は考えなくて良いと思う。その人なりの道しかないから。

そうやって、鉄棒から小説へと歩む中で、鉄棒から小説へと時が流れる中で、誰かを笑顔にする技術を学んだのかもしれない。

今に役立っている逆さまに見ること。

困ってる人がいたら、
それは高齢者かもしれない。それは多感な時期の人かもしれない。
その人がいたら。

その人の強みやその人らしさや思いを引き出したりする必要がある。なぜなら問題はその人が解決するからだ。

その人の困ってることを解決するためには、その人自身が、思ってることを聞かないといけない。でもなかなか本心は話してくれない。本当はこうしたいけど、それが言えないこともある。信頼も最初はされない。

日常生活の中で例えば

例えば、料理屋で話してたら、周りが騒がしくて、困ってることを何も言えないかもしれない。そしたら、その人は2件目にカフェに行こうと言うかもしれない。そしたら、なぜそういう行動をとったのかを考えないといけない。

それはもしかしたら、料理屋はお年寄りがたくさんいて、カフェは若い者がたくさんいて、悩みを話すことに年齢を気にしてるのかもしれない。歳も高齢なのに若い頃みたいな何かしたいと挑戦したいと話せないのかもしれない。本当は若い時のパワーを持っているんだ

また、あるいは、多感な時期の人なら、料理屋、家庭的な料理屋をあとにして2件目にカフェのお店を選んだのは、本心は、家庭的な料理屋みたいな、家庭的な生活をしたいけど、それを知られたくなくて、カフェを選ぶかもしれない。本当のことはその人はしっかり理解できてるし、どうにかすることを考える力もある。優しさがあるんだ。

そこにその人らしさや強みが隠されていることだってある。

その人を辿って見て、思いを引き出していく。

逆さまから見て気づく思い。

傾聴というのは難しいなと思う。何か考えながら話を聞くと、その人のことを考えて話を聞くのは違ってくるからだ。

でも、誰しも、最初はそう。子どもの時はそう。僕は今は笑顔を作る道をずっと探してるし、その技術も磨いていきたいと思っている。

笑顔というタンポポの綿毛が飛ぶ風の形を言葉にしたい。

言葉は難しいが、やっぱり誰かと話したりするのは楽しいわ。

子どもが一生懸命に鉄棒で逆上がりを練習してる時に、公園に咲くタンポポを見つけた。

大人になって忘れていたことを思い出す日々だ。

子どもには公園に咲くタンポポとか風の形が見えてるのかもしれない。

逆さまに置かれたおもちゃが教えてくれた

読んで下さりありがとうございます