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私は運動神経が悪い。

「スポーツの秋」ということで、今日はスポーツの話でも。

子どもの頃から私は「運動神経の良い人」に憧れていた。
今でもそうだ。もし神様が「どんな能力でも一つ叶えてあげますよ」と言ってきたら(どんなサービスや)、「運動神経が良くなりたい!」と言うと思う。「作家になりたい!」も捨てがたいが、文章を書く楽しみはこれまでにもそれなりに味わってきたので、やはり運動神経を選びたい。

朝からこんなことを真面目に考えるほど、私は運動神経が悪かった。たまにそう話すと、「私も運動苦手ですよー」と言ってくる人がいるのだが、私の運動神経はそんなものじゃない!と心の中で思う。
大げさでなく、これまで生きてきて、自分より運動神経が悪い人を見たことがないのだ。のび太でも勝てるか怪しいと思っている。

まず、これを言うと結構びっくりされるが、子どもの頃のドッジボールで、私は一度もボールを受けたことがない。ドッジボールに限らず、そもそもボールというものを自分の手で受けた経験がない。投げれば下に叩きつけ、ドリブルは明後日の方向へ飛んでいく。
小学校の運動場に必ずあった「うんてい」も、一段飛ばしどころか、1つずつしかいけず、それも右、左、右くらいで落ちる。体をどうやって前に動かしていいかわからないのだ。
小学校にあがるまえは、公園のブランコや滑り台すら怖くてできなかった。もちろん走るのも遅く、いつもクラスでビリ。運動会の出し物のダンスを踊れば、全学年の中で一人だけ違う手をあげている。水泳はいつも夏休みに補習。未だにビート板でバタ足と、犬かきくらいしかできない。一生懸命走ればなぜか友達に大爆笑され、「クマ走り」と命名された。
それに、何もないところでよく転ぶ。(大人になった今も膝小僧をいつもすりむいているし、家の壁にも突進してぶつかるのでいろんなところに青アザがある)

そういえば、大人になってから友達に誘われ、何を思ったかテニスの1日体験に参加したら、コーチの打つ球を私が何度も横や後ろに打ち返してしまうので、いよいよコーチが私のところへやって来てこう言った。
「左利きですか?それなら左でラケット持っていいですよ」
これは今でも仲間内で伝説となっている。(もちろん右利きだ)

大人になった今は運動神経が悪いからといって苦労することはないが、子供の頃は本当に辛かった。
何かのチーム分けでは「取りもん」といって、一番うまい子が二人、チームリーダーになり、じゃんけんで自分のチームに入れたい子を選んでいくのだ。当然私は最後まで残され、それでも「お前はいらん」と押し付け合いをされることが多かった。

地域ではキックベースボールが流行っていて、子供はみんな地区ごとのチームに属して練習し、大会に出場しなければならなかったのも辛かった。
私が足を引っ張るので、あからさまに嫌な顔をしたり、ミスをすると「あーあ」とため息をつかれたりするのだ。

今思い返しても、子供って本当に残酷だと思う。いや、高校や大学ですら体育の時間に足を引っ張り、迷惑をかけ、気の強い女子には嫌味を言われた。何の苦労もなく運動ができる人にとったら、こういうできない人間がいることが理解できないのだろうな、と思った。

忘れられないのは小学6年生の時の「スポーツテスト」のことだ。50メートル走、垂直飛び、反復横跳び、ドリブルなど、いろいろな運動項目があり、それを生徒が一斉に行って記録するというもの。私が困ったのは鉄棒の「さかあがり」だった。それまで一度もできたことがなかったのだ。
「記録が悪い」のはいいが、「できない」のは、皆の前でやるので恥ずかしい。体育の時間にスポーツテストの項目を説明されて実際にやってみたところ、さかあがりができないのは私とO君だけだと判明。私はなんとかして本番にはできるようにしておきたかった。

帰って母に話すと、練習に付き合うと言ってくれた。ただ、人目があると恥ずかしいので、夜遅く、真っ暗になって子どもが公園にいないときを狙って、母についてきてもらい、こっそり練習することにした。
1週間ほど続けただろうか。ある日突然、くるっと目の前の世界がまわった。
「できた!!」
一度できてしまうと、体が覚えたのか、何度でもできた。もうできなかったことが不思議なくらい、自分の体がくるんと容易く鉄棒をまわるのだ。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

帰り道、母が言った。
「為せば成る。為さねば成らぬ、何事も」
「どういう意味?」
「今みたいなこと。頑張って練習したからできるようになったでしょ。練習しなかったらできないまま。何でも努力したらできるようになるからね」
単純な私は「そうか、努力すればできるようになるんだ」とその時信じた。

そして、スポーツテスト当日。
私は見事に皆の前でさかあがりをやってのけた。クラス中がどよめいた。先生も「できたやん!」と喜んでくれた。O君だけができないままで、恥ずかしそうにうつむいていた。

こうしてスポーツテストも無事に終わり(さかあがり以外はさんざんな結果だったが)、私は母の言葉を大事にするようになった。
中学にあがってからも、勉強もスポーツもとにかく何でも一生懸命やった。できないことは人一倍努力した。
調子に乗って、友達と一緒にバドミントン部に入り、誰よりも真面目にハードに練習した。朝練も引退するまで休んだことがなかった。

さて、これが小説なら、さかあがりの「為せば成る」のくだりから主人公(私)は努力を覚えて運動神経が悪いことも克服し、そればかりかいろんなことを頑張れる人に成長していく、ということになるのだろうが、現実はそんなに甘くはなかった。
私はバドミントン部で3年間、一番努力したのに一番下手だったし、試合にも出させてもらうことは一度もなかったのだ。さぼっている子、朝練に一度も来たことがない子がレギュラーで、たまにやってくる練習ではいとも簡単に私を打ちのめした。

私はスポーツはあきらめたし、「自分は何もできない人間なんだ」と思い込むようになった。それが今の、自己肯定感の低さにもつながっている。
そのうえ顧問の先生は、本当にとんでもない悪人だった。ここには書かないが、ひどいことを言われ、とんでもない嫌がらせもされた。それは、まだ中学生の私の未熟な自尊心や自信を奪うのには十分すぎるほど重かった。

とはいえ、私は一切の努力をやめたわけではない。元々真面目な性質だし、努力も嫌いじゃないのだ。ただ、「自分が努力すれば何とかなること」を見極め、それだけを頑張ることにした。試しにやってみて見込みがないとわかればさっと手を引く。そうやって、いつからか無謀なことには挑戦しない人間になってしまった。
でも、それで良かったことがひとつだけある。
何もないから、「書くこと」だけにはしがみついてきたことだ。
自己否定し続け、自分が嫌になるときも、「でも、私には書くことがあるじゃないか」と自分自身を励まし続けた。
刷り込まれてきた劣等感こそが、私を強くしてくれた。
だから、なんとかライターとして四半世紀を生き抜くことができたのだとも思う。

ただ、今でも私はずっと運動神経の良い人に憧れている。
ボールを自由自在にあやつってシュートを決めたり、風のように駆け抜けて白いテープを切ったり、ホームランを打って白いボールがスタンドに消えていくのを見たりするときって、一体どんな感じなのだろうかと思う。
もし、神様が大サービスで願いを叶えてくれるなら、一度でいいのでそんな気分を味わってみたい。
私には想像がつかないが、それはきっとすごく気持ちがいいんだろうな。


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