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芥川龍之介「庭」 作品紹介

芥川龍之介の「」は短編集の中でも秀逸なので、多くの人に読んでいただきたい。地味な話なのであまり知られていないと思うが、読んでいると栄華を極めた一つの家の衰退が、庭の衰退を描写することでより一層生々しく浮かび上がってくる。

以下ネタバレ(憶測を多分に含んだ解説)

それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。

読み始めは、どこかの旧家の経緯をただ淡々と書き連ねているだけで
これが「面白い物語」だと最初に薦められたら拍子抜けするだろう。

しかし、それが作者の演出である。
それはただの「導入(伏線)」に過ぎない。
読み進めているうちに、その旧家の「庭」の状態が、
その家の中の出来事とリンクして変遷していることに気づく。
栄枯盛衰を庭が物語っているのだ。

放蕩息子の次男がすっかり零落して家に帰ってくる。
(ちなみに「零落(レイラク)」には「落ちぶれること」と「草木の枯れ落ちること」の意味がある)
描写がなくても、この時点で庭は荒廃していることが想像できる。

次男の昔の羽振りはどこへやら、年老いて、体を患って、すっかり塞ぎ込んでいる。絶望的な閉塞感。圧倒的な闇と死を待つだけの日々。

ここまではありがちというか、当然の結果過ぎて物語にもならない。だがある日、

すると或日彼の耳には、かすかな三味線の音が伝はつて来た。と同時に唄の声も、とぎれとぎれに聞え始めた。「この度諏訪(すは)の戦ひに、松本身内の吉江様、大砲固(おほづつかた)めにおはします。……」次男は横になつた儘、心もち首を擡(もた)げて見た。唄も三味線も、茶の間にゐる母に違ひなかつた。

と、老いた母親が甥に、昔の華やかな時代の唄を弾いて聞かせているのが耳に入る。唄は、まだ栄華を誇っていた頃の次男の記憶を呼び覚ました。

草葉の露と消えぬとも、末世末代名は残る。
次男は無精髭(ぶしやうひげ)の伸びた顔に、何時か妙な眼を輝かせてゐた。

真っ暗闇の中にいた彼の心に、希望が灯った瞬間である。

<庭だ。この荒れ果てた庭を元通りにしたい>

過ぎ去った華やかな日々は戻らない。
理屈では分かっていても、この庭を元通りにすれば、何もかも元に戻るような希望が沸いてくる。そんな次男の心境は、この物語の初めの庭の状態を読んできた読者なら分かるだろう。
最初の変哲もない家の記述はここで効果を発揮する。

次男は庭の再建を始める。
しかし加齢と病気で、体は思うように動かない。
それでも毎日毎日執拗に鍬を振る次男に、家族の目は冷たかった。

次男はそれでも剛情に、人間と自然とへ背を向けながら、少しづつ庭を造り変へて行つた。

庭園というのは植物で構成されているから、放置すると本来の状態に戻ろうとする。
荒れ果てた状態こそ、植物の自然な姿なのである。
私も華道の経験があり園芸を趣味としているが、庭や生け花というのは一見自然に無作為になるように、人間が一番美しいと思う状態に作為的に形成する芸術といえる。

自分の家の中に好きな植物を植え、無駄と思える雑草を抜き、バランス良く剪定し、人工の川を造る。
どの植物も命あることは同じで、無駄か無駄じゃないかは人間の主観だ。
それを美しいと思うのは自然に対する冒涜で、単なる人間のエゴであることを上記の一文で実に違和感なく表現している。

そしてある日、変化が起きる。

小さな甥が、庭造りを手伝ってくれるようになるのだ。
家中の人間から白い目で見られ一人孤独に庭造りをしていた次男にとって、これほどの喜びがあろうか。
作業の合間に甥に自分が今まで経験してきたことを語っていると、自分のこれまでの生き方も無駄じゃなかったと思ったかもしれない。

次男の心の中には若き日の立派な庭の姿が、生き生きとして在った。
しかし昔は裕福で庭師に頼んでいただろうから、完全に昔のままの庭に戻す技術はない。
さらには老化による認知症で、記憶が混濁してくるようになる。

「この柳はこの間植ゑたばつかだに」
―廉一は叔父を睨(にら)みつけた。
「さうだつたかなあ。おれには何だかわからなくなつてしまつた」
―叔父は憂欝な目をしながら、日盛りの池を見つめてゐた。

「そうだったかなあ。おれには何だかわからなくなってしまった」

繰り返すが、時は戻らない。その当たり前の事実から逃避し、幻の庭を求め続けた次男が発するこの敗北宣言のような台詞に、否応もなく現実に引き戻される。

時の流れには抗えない。
それは人間が年をとればとるほど、直面せずにはいられない冷酷な現実である。

なんとか庭らしき庭-それは元の庭では決してないが、次男が渾身の限りを尽くして造り上げた、紛う事なき彼の、彼と甥の「庭」-を造り上げたと同時に次男は病に伏して、誰にも看取られぬままひっそりと息絶える。

だが、

兎(と)に角(かく)骨を折つた甲斐だけはある。
―其処に彼は満足してゐた。十年の苦労は詮(あきら)めを教へ、詮めは彼を救つたのだつた。

ここで庭を再建するのに10年の月日がかかったことが判る。
造園の技術など全くないど素人の老人と子供の二人だけで、どれだけ広い庭を整備したのだろうと思うと想像もつかない。
彼の人生の中で、最後の10年間は庭造りの為に費やされたが、そのことで甥との繋がりができ、孤独になることもなく、栄華を極めた過去が戻らないことを受け入れ、彼は救われた。
なんと幸福な死に方だろうか。

そしてそのままこの話は終わるかと思いきや、

それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。

<下>の後日談で冒頭の一文が繰り返される。
冒頭でただの説明文のような働きしか持たなかったこの文が、今大きな意味を持って読者の身に返ってくる。
その構成の巧みさに衝撃さえ受ける。

その旧家は取り壊され、庭も跡形も無く消え去った。
今は誰もそこに家が、庭が、人々の人生があったことを知らない。
庭は所詮、人工物だから家と同じで簡単に消え去っていく。

ただ成長した甥の廉一だけは、叔父と庭を造り上げた日々を胸に抱きつつ、東京で貧乏画家をやっている。

ブラツシユを動かしてゐると、時々彼の心に浮ぶ、寂しい老人の顔があつた。その顔は又微笑しながら、不断の制作に疲れた彼へ、きつとかう声をかけるのだつた。「お前はまだ子供の時に、おれの仕事を手伝つてくれた。今度はおれに手伝はせてくれ。」……

次男の存在に意味があったことを感じさせ、希望ある未来を匂わせる〆方である。

ちなみに最後の

三男の噂は誰も聞かない。

が妙に皮肉的で面白いと感じた(兄弟の多かった日本の家庭だと考えると、なんとなく三男は無責任な印象があったからだ)。

この庭のモデルは信州にあるらしい。
(この文章は、2011年10月27日の旧ブログを再編集した)

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