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夏の夜明けの不意打ちの花

国立西洋美術館で開催中の「自然と人のダイアローグ」展に行ってきました。

ドイツのフォクルヴァング美術館とのコラボ企画だそうで、ドイツ・ロマン主義、印象派、ポスト印象派時代の素晴らしい名画の数々が展示されています。

めちゃくちゃ楽しめました。
夏休みで子供も多かったけど、家族で楽しめそうな日本人好みな展示会でした。オススメです。

写真撮影OKの絵画が半数以上あり、その中で特に印象に残った絵画を数点だけ紹介します。
(例により素人の個人的かつ超ゆるい感想なので)

クロード・モネ
「ルーアン大聖堂のファサード(朝霧)」

一目見て「好きだな」って思いました。
写真で伝わらなさすぎてツラい。
朝の霧の空気感をこんな風に表すのね〜と。

あと、これとかも。
クロード・モネ「ウォータールー橋、ロンドン」

この風情を出せるのはモネしかいないよね。
ドリーミンタッチと呼ばせて頂きたい。


ギュスターヴ・クールベ「波」

上が「The Wave」で
下が「Waves」という題名が付いていて、
仲良く並べられて展示されてるんだけど、

これ、同じ頃に描かれたものなんだけど、
同じ波でも全然表情が違うし、
なんなら「同じ人が描いたの?」ぐらい思うんだけど、近くで見ると筆のタッチの感じとかは一緒なんだよね。

クールベは自分の眼で見たものしか描かないレアリスムの人だから、クールベ自身も全く違う表情を持つ波に魅了されたのかもしれない。


この展覧会で1番気に入った作品
ギュスターヴ・モロー「聖なる象(ペリ)」

神話や聖書の物語からインスパイアを受けて、
眼には見えないものを絵にする「象徴主義」として知られているモロー。
クールベ先輩とは真逆の画家と言えるのかな。

これ、水彩画なんです。
すっごく繊細で美しい…!水面の草花の感じとか…!オリエンタルなとこに天使だか妖精みたいなのが来ちゃう感じとか!(語彙力)

独自の世界観と繊細できらびやかな描写、
モローの素敵絵画発見って感じです。


フィンセント・ファン・ゴッホ
「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」

これも素晴らしかったなあ…
ゴッホの絵はずっと見入ってしまう。
ゴッホが見る世界はどういうものなんだろうって理解したくて。

弟テオへの手紙の一部です。

僕は、この鎌で麦を刈る人のなかに
—炎天下、自分の仕事をやり遂げようと悪魔のように闘う朦朧とした姿のなかに—
死のイメージを見ました。人間は刈り取られる麦のようだという意味です【・・・】
しかしこの死のなかには何ら悲哀はなく、
それは純金の光を溢れさせる太陽とともに明るい光のなかでおこなわれているのです。

—フィンセント・ファン・ゴッホからテオ・ファン・ゴッホへの手紙
(1889年9月6日)

翌年、ゴッホは麦畑で死んでしまうんだけど。

このゴッホの言葉、とてもとても好きです。

結局、自然も人間も一緒で、
生と死を循環するものでしかない。
世界の、宇宙の、歯車の一部でしかない。
生かされて絶えて、ただずっと繰り返すだけ。
それは何も哀しいことではないし、何も特別なことでもない。

そんなことを考えると日々の何某とかどうでもよくなるし尊くなる。

的な感じでメタ思考発動。


最後はこれ。
クロード・モネ「睡蓮」

「睡蓮」を200枚以上も描き続けたモネ。晩年目が見えなくなっても。
モネは「睡蓮」に一体何を見たんだろう。
願わくばそれが何か光のようなものであって欲しいと思う。

睡蓮は世界の一瞬間。それは両の眼の朝。
夏の夜明けの不意打ちの花である。

ーガストン・バシュラール

美しい言葉で大好き。

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