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練武知真 第4話『和する心を学ぶ為の武術』

武術というのは、ややもすると、他者を傷つけ、排除する為のものと思われがちです。

いえ、確かに、そのとおり。

元々は、危害を加えてくる者を撃退する技術として武術は発生しました。

あるいは、自らの矜持や欲望の為に、戦闘において相手を死傷させる術として磨かれてきた側面が少なからずあります。

 

しかし、時代は変わりました。

国家間の紛争においては、銃火器が発達し、戦闘機や戦艦、戦車、そして、ミサイルなど一度に大量の人間を死傷させる兵器が今なお開発されています。

また一般社会においても、銃や爆発物、毒物などが使用される事件が少なからずあります。

僕は科捜研にいる頃に、そうした事案をたくさん見てきました。

 

このような時代に、武術を「殺傷の為の技術」としてのみ突き詰める事に意味があるのか・・・

と僕は昔から考えていました。

 

僕が伝える中国伝統武術『九宮八卦掌(きゅうきゅうはっけしょう)』は、舞いのような美しい風格をもちますが、ひとたび【暗器(あんき)】=ナイフなどの隠し武器を手にすれば、残酷な殺傷術にガラリと変わります。

しかし、そんな技術を実際に他者に対して使えるはずもありません。

 

では、現代における『武術』の価値とは?

 

永い武術修行を通して、自問自答し、僕なりの【武術の価値】として、心と頭と体で納得できた幾つかの事を紹介する為に、この『練武知真』の投稿を始めた次第です。

 

その一つとして今回ご紹介するのは、

先に述べた元々の武術の発生目的に対して、真逆の価値観。

他者を排除する為の術ではなく、

「他者と和合する為の修行」

としての武術の価値観をお伝えしたいと思います。

 

中国武術には【対練(たいれん)】という訓練法があります。

二人一組になって決まった技を仕掛け合うもので、一人の練習では練れない、

「相手の動きへの反応性」、「相手との間合い」、「自分の技の効果」、「人を前にして怯まない心」、「相手への洞察力」などなど、

対練で学べる内容は多岐にわたり、とても重要な練習なのです。

 

しかし、人によっては、この練習法を「勝負」と思い違いをして、やたらと激しくしてしまいます。

目先の勝負にこだわり、自己顕示欲をあらわにし、自分を満足させる目的で、この対練を行ってしまう。

かく言う僕もそうでしたから、気持ちは分かります。

武術家は、自己顕示欲がそこそこ強い人間であることが多いように感じます。

 

ただ対練でその欲求に呑まれてしまうと、その練習で学ばなければならない要素が何一つ学べずに終わってしまいます。

それはとても勿体なく、残念なことです。

 

「相手は敵ではない」

これをきちんと心に置くこと。

これはとても重要なことなのです。

 

対練の相手は、自分を強くしてくれるトレーナーです。

共にこの修行を通して向上しようとするパートナーです。

この相手がいなければ、自分は武術家として成長できない。

 

そのように考えると、相手に対する感謝の念が自然と湧き上がります。

頭でそのように思い込む必要はありません。

対練でお互い手合せしているうちに、心と体でそれが理解できるのです。

 

また、対練に限らず、同じ道場で学ぶ者同士も同じ。

切磋琢磨する仲間の存在は、修行中に心折れそうな時も、自らを鼓舞して前へと進ませてくれます。

これは他の武術を修行する仲間の間でも同じことが言えます。

 

そして、師匠と弟子の関係はまた独特の人間関係を築きます。

よき師匠は、自らが心血を注いで磨き上げてきた技術を惜しみなく弟子に教えます。

それこそ、自らが学んだ時と同じくらいの心血を注いで伝えます。

弟子が成長するのを自分の喜びとする気持ちで。

 

よき弟子は師匠の伝えるものを真剣に学ぼうとします。

時間とエネルギーを惜しみなく使い、自らを向上させるべく。

 

このように武術を学ぶというのは、「他者と繋がる」ということでもあるのです。

不思議でしょう?

他者を排除する為の技術が、その修行過程において、他者と繋がることを必要不可欠とする。

それが僕にはとても面白く感じるのです。

 

一般社会において、一方的に自分の主張ばかりするような人が少なからずいます。

「推しが強い者が勝つ」

確かに現実にはそのような者が成果を上げることが多いかも知れません。

 

しかし、「生きること」=「成果を出すこと」ではありません。

成果云々は「生きること」に含まれるたくさんの価値のうちの、ほんの一つでしかないと思います。

 

他者と豊かに繋がって生きること。

そこには一人では決して成し得ない、多くの幸せが詰まっています。

 

他者と和合する・・・。

 

実はこの価値観。

御存知のとおり、日本の武道においてはよく提唱されてきました。

相手を尊重し、理解し合い、思いやる・・・

日本の「和の精神」を育てるものとして掲げられています。

世界の人たちが、私たち日本人を好意的に見る時、このような価値観を持つ民族と思われることが多いように感じます。

 

中国武術を長年修行してきた日本人の僕が行き着いた「武術の価値」の一つが、この「和する心」なのです。

頭で「仲良くせねば」と考えているのではなく、

心で相手を思いやり、包み込む・・・。

 

こういう心の持ち主が「強さ」と「賢さ」を持てば・・・

そのような人間が多くなれば・・・

わずかかも知れませんが、この世界は温かく優しい方向へと進むのではないか。

 

僕自身、そのような人間になりたいと、今も修行しているのです。

 

 

2024年3月6日 小幡 良祐

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