ラグビーにかけた青春🏉
20年以上前、6歳離れた兄と同じ高校に進学した。
全国的には珍しい公立の男子校で進学校だった。
Jリーグの開幕とともに小学4年から始めたサッカーは、中学時代にどれだけ努力をしても補欠のまま。結局最後までレギュラーになれず、中学時代で区切りをつけた。
高校では、何が新しいスポーツをやろうと思っていた。
兄から勧められて、ラグビー部に入部。
ラグビー部に所属していた兄が、チームメイトたちをよく実家に泊まらせていた。
夜中に友人たちとワイワイとラグビーの話をしているのが、小学生のわたしには楽しそうに見えた。
私の入学とともに、筑波大学のラグビー部だった体育科の先生が異動してきて、顧問に就任した。
それまでの弱小ラグビー部から打って変わり、厳しい指導のもと、強化がスタートした。ラグビー経験者は1人もおらず、バスケ部や野球部、卓球部やテニス部、サッカー部など様々なスポーツ経験者が集まり、個性的なメンバーも多かった。先輩も優しく、笑いの絶えないチームだだった。練習前と練習後の部室で仲間と過ごす他愛もない時間も楽しかった。
部員は、16名でギリギリだったが、夏休み中の合宿は長野県での合宿と校内合宿を行った。
辛かったが、みんなで乗り切った。
校内合宿で真夏の焼けるような炎天下の中、無限に続くランパスをやり切ったときの達成感は大きかった。みんなで励まし合いながら、顧問の先生に納得してもらうまで、全力で走り、楕円球を繋ぎ続けた光景は、今でも忘れられない。
強化の成果はすぐに現れた。
それまでの弱小ラグビー部が、1月の新人戦で勝ち続け、準決勝に進出した。全国大会常連校に3対99で負けたものの、いきなり県内で3位になった。嬉しかった。中学校時代にサッカー部で万年補欠だった自分が試合にも出て活躍して結果も残すことができたのだ。1年生の4月にはベンチプレスの最大重量は40キロだったが、1年間の筋トレで80キロまであげられるようにもなった。
2年の5月には、3年が大学受験勉強に専念するため、引退。進学校のため、多くの運動部がこの時期に引退をした。
自分たちの代になると、人数不足に悩まされた。自分たちの代は8人いたが、1年生が4人しかいなかった。
秋の大会は15人に届かず、引退した3年に試合に来てもらい、出場してもらった。
試合開始直後に味方がタックルを受け、私の右足のスネに乗っかってきた。
その重みで私の右足のスネが折れてしまった。
凄まじい激痛が右足を貫いた。あまりの痛さに、逆に頭は冷静になった。
パニックになど、なっていられないほどの激痛だった。
近隣の病院に緊急搬送され、痛み止めの注射を打ってもらった。
注射嫌いの私も、その時ばかりは注射針の痛みなど、どうでも良くなった。
しかし、痛み止めよりも激痛が勝り、病院で痛みに悶えた。
地元の病院で手術をするため、顧問の先生の愛車ランドクルーザーに乗せてもらい、1時間車に揺られる。
少しの道路の段差の揺れでも、折れた骨に激痛が走った。
何とか翌日に全身麻酔手術をして、ボルトと金属板で骨を固定できた。
ラグビー部の仲間がお見舞いに来てくれた。試合に負けたことも教えてくれた。仲間が病室から帰ったあと、不思議と涙が流れた。試合直後に怪我をしてしまった悔しさや負けた悔しさ、仲間のありがたさなど、様々な感情が混ざっていた。
20日間ほど入院生活を送った。右足を全く使わなかったため、ラグビーで鍛えてきた太い右足の筋肉もごっそりなくなっていた。
右足に重心がかからないような装具をつけ松葉杖生活を4カ月ほど送った。
練習に参加できない間は、ひたすら声を出して練習を盛り上げた。
4カ月ほどで骨が繋がり、装具がとれ、久しぶりに右足を地面につけた感触は今でも鮮明に覚えている。恐る恐る足の裏を地面につけて歩けた時は、本当に嬉しかった。普通に歩けることが、どれだけありがたいことか実感できた。
松葉杖がとれてから、練習に参加して、3年の高校総体に挑んだ。
強豪校と一回戦であたった。
惨敗。
引退した。
帰り道、涙が自然と溢れてきた。「もう、これで終わりなんだ。」
怪我のため、練習に参加できない期間も長く、さらなる骨折を恐れて、試合でのボディコンタクトは限定せざるをえなかった。
自分でボールを持って走ったり、タックルにいくこともできなかった。本来は、ボールを持ってディフェンスにぶちあたり、突破していくプレーが、大好きだった。
スクラムやラインアウトに参加する程度だった。
わかっていたことだったが、最後の試合で100%のコンディションでやれなかった悔しさが残った。
しかし、限られた状況の中でやれることはやったことは、間違いなかった。
全力でやりきることの重要さは学んだ。
そして、ラグビー部時代の仲間とは、20年たった今でもよく集まって飲む関係だ。昨年は、顧問の先生も飲み会に参加していただいた。今では出世されて、管理職になられていた。顧問の先生に出会えたおかげで、ラグビーの楽しさを知ることができたし、大切な仲間を作ることもできた。
ワールドカップのアイルランド戦は、みんなでホームパーティーをしながらテレビ観戦をして、大いに盛り上がった。
青春時代に追いかけた楕円球から学んだことは、困難を乗り越えるためのハングリーさと仲間の大切さだ。
ラグビーに出会い、大怪我もしたが、大切なものもたくさん教えてもらった。
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