サッカーと歩んだ私の6年間⚽️
私が小学校4年生の時にJリーグが開幕した。
そして、時を同じくして、地元に初のサッカークラブが創設された。
6歳離れた兄はミニバスに入り、中学でもバスケ部に所属していた。
地元には、そこそこ強い野球チームもあったが、バスケも野球もクラブチームに入ってまで、私はやろうとは思わなかった。
しかし、小学校3年生くらいから、休み時間に友人とサッカーをやるようになり、そのおもしろさに取り憑かれた。
休み時間一緒にサッカーをしていた友人たちと、地元に創設されたサッカーチームに入団した。
6年生はおらず、4年生と5年生のみのチームだったが、5年生も4、5人しかおらず、私の所属する4年生主体のチームだった。
できたばかりのチームだったので、当然はじめの頃は、なかなか勝てなかった。しかし、私が6年生になった頃には、試合経験も増え、市内でも勝てるようになった。
私のポジションは、センターバックだった。体を張って守りきれた時には、とてもやりがいを感じることができた。
チームで戦う楽しさや勝つ喜び、負ける悔しさ、仲間との絆、本当に多くのことをサッカーから教わり、自己肯定感も高まって、小学校を卒業した。
中学校でも、もちろんサッカー部に入部した。
中学校は、田舎だったので、他の小学校とは合同にならなかった。
ほぼ同じメンバーだったが、数名転校生がいた。
転校生の中に1人サッカーがうまい人がいた。
ちょうど私はその転校生が来たことで、レギュラーに入れなくなった。
そして、中学校時代の3年間はベンチをあたためることになった。
サッカーは、相変わらず大好きだった。むしろ、小学校時代よりも好きになっていた。
試合にも出たかった。
練習試合は、Bチームとして出場し、公式戦はベンチで応援だった。
本当に本当に悔しかった。
足も速くなかったし、
技術的にも足りてなかったと思う。
みじめだった。
試合に出ているメンバーが羨ましくて仕方なかった。
足が速くないぶん、スタミナをつけようと自主練で走り込みも1年生の頃からしていたが、レギュラー入りに繋がりはしなかった。
中学3年の最後の大会の直前の練習試合で、レギュラーメンバーが怪我をした。急遽私がスタメン入りすることになった。
中学になってから、公式戦にほとんど出場したことのない私。
嬉しさももちろんあったが、不安な気持ちも大きかった。
結果としては、一回戦敗退。
満足のいくプレーはできなかった。
自分のせいで負けたのではないかという気持ちになった。
悔しくて情けなくて、涙が溢れた。
だんだん気持ちが落ちついてくると、「自分にはサッカーのセンスはなかった。しかし、やれるだけの努力はやりきった。高校では、違うスポーツにチャレンジしよう。」と切り替えることができた。
実際に高校では、ラグビーにチャレンジすることなり、大学でもラクロスというスポーツをすることになる。そして、高校や大学の部活動で大切な仲間を得ることになる。
サッカーがスポーツの魅力を教えてくれたのは、間違いない。
活躍できない悔しさや、もどかしさも教えてくれた。
腐らず努力し続けることの大切さも学んだ。
とにかくサッカーが楽しくて仕方なかった小学校時代、レギュラーになれず一人で悩みもがいた中学校時代。
今となっては、どちらもかけがえのない貴重な時間だ。
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