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マーケティングからアートへ、そしてソーシャルデザインへ 髙宮知数さん〈前編〉

 このたびは「演劇島プロジェクト企画制作担当」とご紹介いただきましたが、もともと私は大学卒業後、広告代理店でマーケティングの仕事に携わっておりました。その後も色々なことをやってきましたが、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科講師の職は2011年4月に中村先生に招いていただき、マーケティングの立場からソーシャルデザインにどう取り組むかを研究する「ソーシャルマーケティング」について教えております。またエジプト考古学者の吉村作治先生とのご縁で招いていただいた東日本国際大学では、地域再生やまちづくりについて研究活動を行い、杉並区の公共劇場「座・高円寺」内の「劇場創造アカデミー」では、アートマネジメントなどを教えています。
 
 こうした「教える」仕事の他に、まちづくりの現場に出て文化施設のプロデュースも行っています。東京都多摩市の公共ホール「パルテノン多摩」が70億円ほどかけて大規模改修された際には市のアドバイザーを務め、福岡県の公共ホール「久留米シティプラザ」が約250億円かけて大規模改修されたときにも市長アドバイザーおよび初代館長として関わらせていただいています。
 
 山形県の鶴岡市が2014年12月に日本で唯一となる「ユネスコ食文化創造都市」の認定を受けた際には、その情報発信施設としてオープンした「FOODEVER(フーデバー)」の企画にも携わりました。東京・お茶の水にある再開発施設「淡路町 WATERRAS(ワテラス)」内のパブリックスペースなどもお手伝いしています。

演出家・佐藤信さんの集大成「演劇島」をプロデュース

 現在は久しぶりに演劇プロデューサーとしても活動中で、演出家の佐藤信(さとう・まこと)さんが主催する「鴎座」の「演劇島プロジェクト」で企画制作を担当しています。私自身の演劇との関わりについては後ほどお話しさせていただきますが、「演劇島」は完全に佐藤信さんオリジナルの新作です。主人公は非常に小さい島に追放された一人の老人で、「沈む船」「光の町」「王たち」「街ながら」「叫び声」「マシーン」「横切る人」といった7つのタイトルがついた構成により物語が展開されます。これらは老人が見た夢か幻か……少し寓話的なお話となっています。
 
 実は佐藤信さんが初めて舞台演出をされたのが1964年で、今年はちょうど60年の節目の年です。この間に海外の戯曲を53作品演出されているのですが、その何万行にものぼる戯曲から「これは」というセリフを抜き出し、再構成してひとつの舞台にするという、非常に選び抜かれたセリフを楽しめる作品となっています。
 
 いわば佐藤信さんの劇作家・演出家としての集大成的な作品と言えるのですが、シェイクスピアが個人として最後に書いたと言われている「テンペスト」という作品と、世阿弥が最晩年に佐渡に流されて書いた『金島書(きんとうしょ)』という二つの物語に寄った内容にもなっています。
 
 先日、中村先生が拠点にされているHIRAKU IKEBUKURO* で、「演劇島プロジェクト」の一環として翻訳家の小田島恒志先生をゲストにお迎えし、佐藤信さんとテンペストの話をしていただきました。小田島先生は「テンペストは二つの『エグザイルド』(『追放された』の意)がキーワードになっている。つまり、最後に主人公が杖と本を全部捨ててしまうのは、ある種シェイクスピアの絶筆宣言だったのではないか」と読み解かれました。そしてこの読解は信さんが「演劇島」を考える際の琴線に触れるキーワードだったとようで、すごくお話が盛り上がりました。
 
 信さんはある種日本の現代劇の歴史を体現された方とも言えるので、「“佐藤信版演劇史”というのはどうでしょう」という話をしたら「なんかちょっとそれ面白いかもしれないね」ということで、そこから先は信さん得意の妄想が広がっていきました。さらに今の演劇の状況へのちょっとした危機意識みたいなものから今回の作品が生まれたことなども語られた次第です。

広告代理店から演劇の世界に「転職」

 私の演劇との関わりは、新宿コマ劇場の地下に新しい劇場「シアターアプル」ができる際、広告代理店スタッフとしてお手伝いをしたことに始まります。まさに始まりの企画の段階から関わって、劇場のネーミングからオープニングイベントの企画などを行いました。実はネーミングは、最初の支配人となった人が「こういう劇場ができます」と、かの美空ひばりさんにお話した際に「いいわね、ブロードウェイミュージカル。ニューヨークアポロシアターからとって“アプル”がいいんじゃない?」とおっしゃって「シアターアプル」になったという秘話があります。
 
 その流れでシアターアプルのスタッフに転職することになり、最初に携わった演劇が、佐藤信さん作・演出、吉田日出子さん、加藤健一さん出演のミュージカル「星の王子さま」でした。残念なことに新宿コマ劇場とともにシアターアプルも建て替えのため無くなってしまったのですが、かつてはブロードウェイミュージカルの「キス・ミー・ケイト」を日本人のキャストで作ったり、ニューヨークやロサンゼルスからコンテンポラリーダンスのカンパニーを招聘したりもしました。また、映画監督の神代 辰巳(くましろ・たつみ)さんが生涯で1本だけ、川端康成の「浅草紅団」を舞台演出したのですが、これは私が一から企画して手掛けた思い出深い舞台です。
 
 演劇は東京に出てきてからたくさん観てはいたのですが、アマチュアの学生劇団ですらやったことがなく、制作側としてはほぼ素人でした。ですので、本当に文字通り、広告代理店から「転職」をしたわけで、初めの頃は稽古場でおかしな場所に立ってしまうなど、お恥ずかしい思い出もあります。一方、転職の際にコマ劇場の支配人からは「演劇を学生時代からやっていた人はうちの劇場にもいくらでもいるけれど、そういう人は演劇が好きすぎてプロデューサーや営業のようなことはできない。もともとまったく演劇をやっていない人の方がいい」と言われました。確かに、代理店時代に俯瞰かつ総合的な視点を養ったことは制作を行う上で活かせたのかもしれません。

「アート」と「社会デザイン」が交差するキャリア

 実は、こういった私のキャリア形成に強い影響を与えた出会いは学生時代に遡ります。学部は政経学部政治学科だったので社会科学系の研究会や読書会によく顔を出し勉強もしていたのですが、同時にその頃、年上の友人二人とよく一緒にいて親しく付き合っていました。彼らは兄弟なのですが、一人はコピーライターとしてとても華やかな仕事をされており、もう一人は舞台照明家として、ボリショイオペラが来日した際はその舞台を任されたりもしていました。このような実力のある素敵な方々に憧れて、大学卒業後の進路として一般的な就職をするか、アート方面に行くか迷ったのですが、やはり若かったので、最初は華やかなイメージのある広告代理店に行きました。しかしシアターアプルの立ち上げに関わった際に、舞台の仕事もやはりすごく素敵でやりがいがあると実感したため、かつて憧れた舞台照明家のことを思い、転職に至ったわけです。
 
 シアターアプルは30歳前には辞めて独立し、再びマーケティングの仕事やイベントを行っていたのですが、バブル崩壊後にだんだんと「まちづくり」や「地方活性化」の現場からマーケティングの視点を入れたいということで声をかけていただくことが多くなりました。そうなると、次第に「非営利」や「公共性」について考えながら物事を進めていくようになり、学部生時代に勉強していた「社会科学」の領域に戻っていくような流れになりました。こうして、マーケティングの視点から社会デザインにどう関わっていくかが私のメインテーマになり、社会人大学院では「非営利組織のマネジメント」をテーマに修士論文を書いた次第です。
  
【お知らせ】
 「演劇島」の本公演は11月8日(金)から12日(火)まで、座・高円寺1で行われます。サイトに詳しい情報が掲載されており、チケットの申し込みもできますので、ぜひご覧ください。(https://kamomeza.net/)
 
「演劇島プロジェクト」の詳細はこちらで→https://kamomeza.net/category67/entry114.html
 
 また、「演劇島プロジェクト」のプレスタディリーディングが行われているHIRAKU IKEBUKURO(https://www.hiraku.community/)では、企画展「21.5世紀の地域デザイン」が9月10日から12月15日まで、約3か月の会期で開催されています。地域の新しい取り組みを紹介している本を約50冊展示しており、髙宮さんにも選書していただいております。
 その他にも、HIRAKU IKEBUKUROのファウンダーのお一人でもある構想家の桜井肖典さんらが編集された『Community Based Economy Journal(コミュニティ・ベースド・エコノミー・ジャーナル)』(「美しい経済の風景」をテーマにしたビジネスドキュメンタリーマガジン)第2号の出版を記念したトークセッションが10月8日(火)18時半~行われます。
 HIRAKU IKEBUKUROオーナーでガラス卸商社のマテックス株式会社と共催で新しいガラスの可能性を探るイベントなど、順次行ってまいりますので、ぜひサイトでご確認ください。
https://www.instagram.com/hiraku_kikakuten/

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉
 今回お話をうかがった「演劇島プロジェクト」を主催する佐藤信さんと14年ほど前にお目にかかったとき、「社会デザインにすごく興味があるんだ」と言われたことがあった。当時はまだ大学院で研究科を立ち上げ、「社会デザイン」の実践的な研究を開始して間もない頃だったが、こんにちの視点から考えると、佐藤信さんの先見性通り「社会デザインとアート」「ソーシャルなアート」はつながっていることがわかる。髙宮さんのキャリアが広告代理店のマーケティングからアートへ、そしてソーシャルデザインへとつながっていった経緯も、今日のお話をうかがって実はとても自然な流れだったのだと感じられた。常にアンテナを高く張り、先見性の高い作品を生み出してきた佐藤信さんの集大成ともなる「演劇島プロジェクト」を髙宮さんとともに盛り上げていければと思う。 

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