エンタメを通じて目指す「まぜこぜの社会」 東ちづるさん〈前編〉
私は俳優業を行いながら、誰も排除しない社会を目指し、アート、音楽、映像、舞台などのエンターテインメントを通じて「既に私達は一緒に暮らしてるんだよ」「ともに生きてるんだよ」ということを見える化、体現化する活動に取り組んでいます。昨今では多様性社会、ダイバーシティ、インクルーシブ、ノーマライゼーションと、いろいろな言葉が使われていますが、私たちは「まぜこぜの社会」という言い方をしています。そして、福祉施設、支援団体、企業、省庁、超党派の政治家、家族、個人みんなをつなげるという思いを込めて一般社団法人「Get in touch」を立ち上げ、その代表を務めています。
「まぜこぜの社会」は本来とても面白く、心地良い社会なのですが、まだまだ「まぜこぜ」であることは「ちょっと怖い」「怪しい」と思う方も多いのが実情です。その要因は、これまでの社会システムの中で領域分けや棲み分けをしすぎた結果、「見慣れていない」「関わり慣れていない」という現象が起こってしまったせいではないでしょうか。そこで私たちはさまざまなマイノリティの方々と一緒にエンターテインメントの場を作り上げ、みなさんに「慣れていただくための活動」を行うことにしました。
のちほど詳しくお話しますが、企画・プロデューサー・キャスティングも手がけた出演映画「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」では「社会派コメディサスペンス」という新しいジャンルを作ってみました。物語の中では、例えば「多数決は民主主義じゃない」といったキーワード的な言葉が散りばめられているのですが、あえて社会の中で誤解されていることをふんわりと問いかけるように制作しました。映画の企画自体はかなり前から行っていたのですが、なかなか実現までこぎつけることが難しかったため、ようやく皆さんにお届けできることになり大変嬉しく思っています。
私の名前が世に出たら「私は私を活かしたい」
私は32年前に芸能活動を始めたのですが、当時はこのように公の場で社会的なことや政治的なことをお話しできない雰囲気でした。今ではだいぶ変わってはきましたが、それでもまだ日本では芸能人がそうした発言をするのはいかがなものかという空気が残っていると感じます。タブー視されているのは会社や学校の職員室などでも同様で、仕事から離れた居酒屋であっても、そういう話になってくると「おー、意識高い系」とからかわれたりすることがありますね。
私が俳優をやりながら「まぜこぜの社会」に対する意識が芽生えたのは、デビューの頃に遡ります。初めての仕事が報道制作部の生放送の司会だったのですが、月曜日から金曜日まで5人のディレクターさんがいて、その中に私がすごく尊敬している方が一人おられました。その方が「報道と政治は困っている人のためにあるんだよ」と教えてくださり、それがもう本当にズシンと胸に響いたのです。政治家や専門家やジャーナリストでなくてもこうした問題に携わることが可能だと知り、私の名前が世に出たら「何か社会的なことをしたい」「私は私を活用したい」と思ってきました。
そして32年前、私が32歳の頃にそのチャンスが訪れました。その日たまたま家でテレビを見ていたら、難病の少年のドキュメンタリー番組が放送されていたのです。私自身、番組を見ながら泣いてしまったのですが、一方で最も大切なメッセージが伝わってないような気がしてしまいました。そして「彼が本当に伝えたかったメッセージは何だろう」と、モヤモヤした気持ちを抱えながら動き始めたのがすべての始まりでした。
彼が患っていたのは白血病だったのですが、ちょうど骨髄バンクができたばかりのときだったので、まずはそれを知ってもらうための活動を行いました。動き始めると他のことにもたくさん気がつくようになり、どんどんやりたいことが広がっていきました。そして、今に至るというわけです。
当時は、まだ個人レベルのボランティア活動だったのですが、転機が訪れたのは2011年3月11日の東日本大震災でした。私はすぐ被災地に入り避難所をまわったのですが、「ここは日本の縮図だ」と思いました。というのは、震災などの大きな社会不安に陥ったとき、これまで挨拶もしなかったような近所の方もみんな一堂に集まるなかで、普段から生きづらさを抱えている人は、よりいっそう追い詰められてしまっている現実が目に入ってきたからです。例えば、障がいのある人たちが避難所に入ろうとすると「ここはバリアフリーではないので、他に行かれてはいかがですか」とやんわり断られたり、目が見えない方や聞こえない方が配給物資を入手できなかったり、障がいのあるお子さんがいるご家族が遠慮したりしていたのです。
その頃私は既に20年近くボランティア活動をしていたのですが、実際に現地に入ってみるとニュースにならない厳しい現実を目の当たりにし、「私がこれまでやってきたことは何だったんだろう」と愕然としました。こういうときこそ助け合うのが日本なのではないか、憤りを感じたのですが、そこでふと「もしかすると日本人はマイノリティの方々に慣れてないだけなのではないか」と気がついたのです。
そこからいろいろな団体をつなげる活動をはじめたわけですが、講演やシンポジウムは既に行っている方がおられるので、むしろ私がやらなければいけないのは、「”自分たちは関係ない”と思っている人たちを巻き込むことだ」と思いました。そしてそのためにはシンプルにみんながわくわくすることをやればいいのではないか、ということで、活動の仕方をシフトして一般社団法人Get in touchを立ち上げたのです。
そうはいってもやはり、もともと多様性などに関心がない人を巻き込んでいくことはとても難しかったです。最初の頃は、ほぼ「啓発」といった“匂い”がしないように「とにかく楽しいよ」と言って人を集めて、そこで新しい時間と空間を体験していただき、帰るときには何かを考えさせられる、といった工夫を行っていました。
マイノリティの人たちが活躍する「まぜこぜ一座」の誕生
そのような活動の流れで2017年に旗揚げしたのが「まぜこぜ一座」という劇団です。私もよく知らなかったのですが、マイノリティのプロパフォーマーやアーティスト、ミュージシャンはもともとたくさんいたのです。パラリンピックの開会式や閉会式でかなり認識が高まったと思うのですが、彼らが福祉番組や教育イベントの場でしか活躍するチャンスがないことを知り、時代は多様性やSDGsを声高に叫んでいるのに、そういえば足元の私の職場にもマイノリティがいない!と気がついて、それならもう自分でマイノリティの人たちがたくさん活躍する劇団を作ろうと旗揚げをしたわけです。彼らが役者やパフォーマーとしてテレビやラジオ、映画や舞台で活躍すれば、世の中に大きな影響を及ぼすはずだと思ったのです。
思い起こせば私が子どもの頃、低身長の俳優さんなど、色々なマイノリティの方が役者としてドラマに出演していたり、バラエティやコメディ番組に出ていたりしたものです。しかし「障がい者を働かせるのはいかがなものか」とか「障がい者を笑いものにするのはいかがなものか」といったクレームが入るようになり、徐々にマイノリティの活躍の場が無くなっていったという話を聞きました。実際、彼らは笑われているのではなく、笑いをとっていたにもかかわらず、です。
今回お知らせする映画「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」の内容を少しお話ししますと、ドリアン・ロロブリジーダというドラァグクイーンを軸に、11人が容疑者になるという物語で、私は初めて殺害される役をやらせていただいています。以前「極道の妻たち」という映画で射殺されるイメージシーンは撮ったことがあったのですが、今回のように何回も何回も殺される役は初めてです。そして、「東ちづる座長」を慕っていた座員みんなに容疑者となる理由があり、それがすべて社会問題につながっていくというお話になっています。
この座員の容疑者たちが胸の中で思っていることは、全て本当にあったエピソードです。企画が持ち上がってから何年もの間、舞台中や稽古中、飲み会の場で彼らに聞いたエピソードが忘れられず、そのことをお芝居の中に入れていきました。
私がいつもイベントや公演を行う際に気をつけているのが「笑って、ぐっときて(感動)、たくさん気づきがあること」、そしてお土産は「モヤモヤ」です。「あれはどういう意味だったのだろう」「どうやって家族や友達に話そうかな」というモヤモヤをお土産に持ち帰ってもらいたいのです。さらに、物語が終わったときにすぐに席を立たず、エンドロールで考えて欲しかったので、エンディングソングをレジェンド声優11人に歌ってもらいました。目指したイメージは「We are the world」です。
映画「まぜこぜ一座殺人事件~まつりのあとのあとのまつり」は、10月18日金曜日からヒューマントラストシネマ渋谷キネカ大森他にて全国公開となります。初日は私も、舞台挨拶にいきますので、お時間のある方はぜひ映画館に足をお運びください。
(映画の詳細はこちら→https://mazekoze-matsuri.com/)
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