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0411 自信のなさは謙虚だから?

インスタで流れてくるアドラー心理学とやらで、「自分に自信が持てないのは、謙虚だから」とあった。

目から鱗である。
というか、マジで?と声が出そうになった。

昨年度、降任させろと上司に掛け合った時、上司がため息をつきながら、「自己肯定感がなさすぎる」と言ったのだった。
管理職に向いている・向いていない、管理職として仕事ができている・できていないの押し問答の果ての呟きである(黙殺させていただいた)

上司は私に対して、管理職に向いているし、管理職としての仕事ができているといった。その証拠として、360度評価では見たことのない、周囲の部下からの高評価を見せられた。
が、私からすれば、それらはすべて演技なわけで、しんどいのである。
管理職たるもの、を演じていたが、どうにもきつい。
本当は優しい人が、サイコパスを演じて心を病むのと仕組みは一緒だ。

私は大女優だから、気づいてねぇんだろ?と黙殺し、頑としてヤダヤダ言い張って、降任したわけである。

この演技が、謙虚ゆえのものなのか?

謙虚と言うよりは、自分のキャラクターを封じ(自分で勝手にやりたい=カウンセラーには自営業向きだと言われた)、組織の人間、組織の管理職として理不尽にも耐え…いや、口答え…

ちょっと上司がかわいそうになった(笑)

いや、しんどいと思っていたのは確かで、きっとそれは謙虚さではなく、理想やかくあるべきを自分に押し付け、できないと自分を責め続けた結果の慣れの果てなんだろう。

今もそうだし、昔からそうだし、たぶんこれからもそうだろうけれど、自信というものは、私の中にどこにもなくて、目の前にある課題や任務をいかにこなすか、というプロ意識だけがある。
できなければ、ならないのだ、「プロとして」

…別に、ファブルにはまっている影響ではなく(笑)
仕事をしている人ってそうなんじゃないかなと思う。
むしろ自信がある、というタイプは、どことなく態度に「横柄さ」「傲慢さ」が出てる…ような気がしている。

気のせいだったらいいのだけれども。

ひとまず、プロとして、という思いは首を絞めるものではないのだから、もう少し緩めていこうか、なんて思うのだった。

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