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フィールドチェンジ。文化人類学的調査はつづくよ。

フィールドワークというのは行くべき場所を決めてそこに行くものかと思うのだが、わたしの場合は意外と直前に変えることも多い。

わたしはこれまで中国新疆のカシュガル(中国最西端の都市)で長期のフィールドワークをおこなっているのだが(博士課程)、実はあれの最初は、新疆最奥部ともいうべきホータンに行きたかった。

新疆の地図

で、ホータンには行ったし、住み込みも開始していたのだが、滞在をはじめた家でDV(殴るんだよ…)がはじまってしまい、こちらも心身ともに委縮してしまい、ウルムチ調査時代からの友人のいたカシュガルに逃げ込んだところから本当のフィールドワークがスタートしている。

ホータン、数か月いたのだがなぁ…。
ホータンの素敵な中庭のある家にも行ったのだが、介護生活中とか、なぜか重苦しい人の顔ばかりみていた。

中庭になっていた葡萄

大学院卒業後の最初のフィールドも、いさんでエジプトに行ったものの、イスラムがなにかもあまりわかっていないのにもかかわらず(体感で)、アズハル大学の留学生(とはいっても元社会人)たちとのイスラム漬けの生活をはじめてしまい、齟齬を生じて、自分でもこれ以上どうすることもできず、わたしはなんて無能力なんだとなげきながら、そのときも新疆大学の留学時代の友人のいたトルコに移動することになった。
茶の砂色をした高層住宅のはざまの道で、あんなに自分の至らなさ、未熟さをかみしめたときはなかった。



いま思うと、どちらもできるだけ濃いい、「ひとに自慢できそうな場所」をえらんでいた気がする。そういう邪(よこしま)な思いがあるとフィールドワークは失敗するのだろうか。
人生は短いので、統計がとれるほどフィールドワークには行けないのだけれど。

カシュガルに行くときも、イスタンブルに行くときも、あっちは外国人観光客がいる場所だから、風通しはいいんだろうけどさ(息抜きにお茶したりできる、という)、でも、あぁあ…、という思いで行ったのだが、実は生活がはじまってしまえば庶民の暮らしには外国人もブルーモスクも大バザールもほぼほぼ関係ないので実際は濃いい暮らしをみることができる。いうなれば、そこには外国人とはまったく交差することのない庶民の目でみたカシュガルが、イスタンブルがあったのである。


パキスタンの調査をしたときは、予備調査がえらい大変で、そもそも調査集落(のちの)にたどりつけなかった。
危険(パシュトゥーンとか。最初はパシュトゥーンの牧畜民に会いたかったのだが、そこはほぼほぼタリバンといわれていた)な民族ではなかったので、そういう心配はなかったのだが、国境が近かったためその民族のそばでは外国人に対する入域制限がいたるところにはりめぐらされていて(事前にみわけられない)現地の人々に聞いて行こうとすると、警察が来て入域許可を出せ、とわたしだけおいかえされた。

あげく道の一部が冠水して湖になっていたりして、行きは船でわたれたのに帰りは凍ってとおれなくなっていたりして、何週間も足止めをくらってしまい、わたし以外の現地の人たちもやまほど通行をせきとめられたあげく、社会問題になって、パキスタン軍のヘリが救出に動き、それに乗れてやっと入域許可書が入手できる街に行けるところまでたどりついた…が軍のヘリでまたとんぼ帰りなんてできるかぁ!になってふてくされていた…ことがあった。

パキスタン軍のヘリ。女性たちと子供が一番にのせてもらえた☆

気をとりなおして、湖をとおらずにその民族に会える地域にのそのそと出発したのだが、雪深い新年があけたばかりの1月、某僻地の集落で「この道を2時間まっすぐ行けばその集落にたどりつく」と教えてもらい、身の安全をなかば放棄して、ひとりサクサクと山間の雪のなかを歩いた。その捨て身の移動のせいで、そこもやっぱり入域許可書が必要だったのに警察の監視をのがれてしまったのだ。

のちの調査世帯にたどりついて「このひとたちと暮らしてこのひとたちの家畜の世話の仕方について学ばせてもらいたい」という思いはいだけたものの、その家について半時間後、どこから情報を入手したかしらない現地警察に首根っこをつかまえられて、
「入域許可書をとってきてね☆」
と追い返された(なぜかそのあと警察署で警察のみなさんのごはんをわけてもらって地べたで一緒にいただいた☆)。


牧畜民をさがしてパキスタンまで来て、実はパキスタンでうまくさがせなかったら隣のイランにもフィールドハンティングに行きたかったのだが、このときはなぜかイランのビザがとれず(イスラマバードのイラン大使館で奮戦)、
じゃあ、あの入域許可書が必要だったあの家で、本フィールドワークをすることにしよう(その家では警察に首根っこをつかまえられながら、「また来てもいい?」「いいよ!」(多分社交辞令)ぐらいの会話はできた)
と、
行った(強引)。
先方は驚いていたけど、いろいろあって、無事そこが調査世帯になった。

調査地は、わたしの場合だが、フィールドの神様(文化人類学教)が決める。

わたしは神様がなにをかんがえているのかは知ることができないから、邪な心ももっているし、でも同時なるべくに謙虚に環境をうけ入れる心もちながら、とにかくあがく。ときに信じる。裏切られても、神様は愛してくれていると信じて、そこからまた、うごく(ちょっとイスラム入っている)。


フィールドがまた変わりそう。
でも、いままでもあったからさ、行って、たどりついたさきで力を尽くしたい。


行けなさそう☆




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