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SF小説『ヘレンハウゼンの庭』10:黄色い十字架


救援チーム到着まで: 26時間
通信モジュール〈UTA-038〉が死角を出るまで: 10時間


ダルトンは、メイン・コントロール・ルームで明日の作業について考えていた。約10時間後には、通信モジュール〈UTA-038〉が死角を出て使用可能になる筈だ。今回はなんとしても火星のミッション・コントロールとの通信を復活させなければならない。それが彼ら調査チームの目下の最優先事項であり、リーダーとしてのダルトンの責務でもあった。手順は一度目と同じなので特に新たな準備は必要なかったものの、ダルトンは持ち前の慎重さから最終確認を怠らなかった。

手元のパッドに表示されるシミュレーションを確認しながらも、彼は集中しきれない自分に苛立っていた。ふとした拍子に、どうしてもリリーホワイトの事故死へと考えが引き戻されてしまう。

〈それにしても……〉

ダルトンがリリーホワイトのいる船外活動エリアに到着したとき、そこにはすでにレンが立っていて、減圧室の監視モニターを覗き込んでいた。

〈いったい彼は……どうして私たちよりも先に、あの場所にいたんだ?〉

部屋に戻ったマリーは、ノア・シンガーという新たなファクターをどう考えたらよいのか、頭の整理がつかなかった。

〈何かあればすぐに報告すること〉というダルトンの命令があったにも拘わらず、マリーは迷っていた。

火星のミッション・センターで行った綿密な遠隔予備調査でも発見されなかった〈生存者〉がこの宇宙ステーションにいて、姿を見せぬままマリーたち調査チームを監視していたらしいなどという話を、ダルトンや他のメンバーが信じるだろうか。まず、レンが頭から否定してくるのは分かり切っていた。最悪の場合、彼女の頭がおかしくなったと思われるのがおちだ。それでもマリーはラウンジを出たときに、その足でダルトンに報告に行くべきだったのかもしれない。しかし彼女がそうしなかったのには、別の理由があった。

そもそもマリーがこの〈アステリオス〉の事故調査チームに加わった最初の動機は、親友ソフィーが何故自殺したのかを知りたかったからだ。マリーはソフィーの死に、〈アステリオス〉の事故による心的外傷後ストレス症候群P T S Dと決めつけてしまうことのできない違和感を感じていた。そして〈アステリオス〉に乗り込み、この廃墟と化した巨大宇宙ステーションを目の当たりにしてからは、その違和感は増すばかりだった。それは音もなく降り注ぎ、いくらはらっても積もってゆく埃のようにマリーを消耗させ、苛立たせた。

〈もう一度だけ、君と二人で話がしたい〉と、ノア・シンガーは言った。彼と話してみるべきだろうか。

マリーはベッドの端に腰かけて、あれこれと思いを巡らせた。報告しなかった場合のリスク、自分の中の疑問、チームのミッション……。そしてマリーは、今回はダルトンに報告しないでおこうと心に決めた。

〈暫く様子を見て、ノア・シンガーについてもう少し具体的な事実が分かってからにしよう。正体不明の生存者の話をしたところで、誰も本気になどしない。むしろそのせいで四人がメンタル的にギクシャクすれば、このチームは帰還まで持たなくなるわ〉

心の中でそうつぶやいたマリーは、ノア・シンガーが何かを知っているかもしれないという期待に似た思いが、自分の中にあることにも気づいていた。

マリーは有能な科学者に必要な才能のいくつかを確実に備えていた。それは『あきらめずに考え続けること』と『頭を切り替えること』だ。彼女はノア・シンガーについて、今の段階でこれ以上いくら考えても進展が望めないと悟ると、あきらめて休息をとることにした。

〈明日には通信モジュールが死角を出る。ミッション・センターと交信ができるようになれば、また状況も変わるわ〉

スウェットに着替えたマリーは、ベッドに横になればすぐに眠れると思っていた。ところが、少しウトウトとしかけたときに、急にあることを思い出して目が覚めてしまった。

〈そうだわ。ベネットのことを調べようと思っていたんだっけ〉

それはリリーホワイトの事故のどさくさですっかり忘れていたことだった。マリーは、彼女が気づいていた正体不明のAIの存在を、AI担当のベネットがなぜ見過ごしていたのかが気になっていたのだ。

こうなると、もう眠ることはできない。彼女はベッドから起き上がり、とりあえずベネットが所属する企業について調べてみようと手元の端末を開いた。

「カナリーテック社についての一次情報を出して」

端末にカナリーテックの会社情報が表示された。

・正式名称: カナリーテック
・組織形態: 不明
・代表: ユーディト・セレーナ・ジョルダン
・創立: 2030年

マリーは自身の目を疑った。

「組織形態が『不明』って何よ」

データがすべてを支配していると言っても過言ではないこの世の中で、株式会社か国営団体か、そもそも営利企業なのかどうかすら分からないなどということは、まずあり得ない。これは『不明』ではなくて『非公開』ということだ、と彼女は思った。しかし、国際的にも名の知れた大企業だと思っていたカナリーテックの組織形態が非公開だというのは、今初めて知ったことだった。

次にマリーが目を留めたのは、紋章の欄の画像だった。

・章: カナリア・イエロー十字

それは丸い円の中に黄色い十字マークが配置され、その中央にカナリアらしき鳥の図像があしらわれたものだった。

その時彼女は、以前レンと、作業服の胸元に貼り付けたステッカーの話をしたときのことを思い出した。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「レン、胸のところに何を貼っているの?」

「ん? ああ、これか? 『ぴかちゅー』だよ。へへへ、かわいいだろ?」

「Pikachuu???」

「マリー、もしかして知らないのか? 超有名な日本のアニメ・キャラだぜ」

「知らないわ、そんなの」

「これだからお勉強ばっかりしてる人間は……コイツは電気のポケモンなんだ。俺が電気系統のエンジニアだから、これがレン・カルヴィーノの作業服だってことがわかるようにつけてるのさ。ちょくちょく作業服を間違えて着るヤツがいるんでね」

「ふーん、そうなの」

「そうさ。ベネットだって同じようにピン・バッジをつけてるだろ。なぁベネット、あんたのそれは何のキャラクターだ?」

「……これは会社の……マークですよ」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

あの時、ベネットが作業服につけていたのは社章だと言った。
しかし黄色十字ではなかった。

マリーは端末に指示した。
「カナリーテック社員の画像を出して」

端末に表示された社員たちの画像を順に見ていくと、服の胸元に黄色十字のバッジを付けている者が多かった。しかし、中にはそれとは違う、もう一種類の社章を身に付けている社員たちもいるのに気付いた。

それは、中央にカナリアが描かれているのは同じだが、黄色十字よりも古風なデザインの白い十字マークだ。そしてそれこそが、ベネットが身に着けていたものだった。

社章の部分をズームして更に検索すると、それは「カナリア・ホワイト十字」という名前であるらしいことが分かった。

カナリア・ホワイト十字章を付けた彼らは恐らく上級社員なのだろう、表示される画像は授賞式や何かの政治的パーティーの公式フォトのようだった。中にはマリーが見たことのある議員やどこかの国の元首クラスの人物も一緒に写っていた。

「お偉いさんは平社員とは違う社章をつけてるのかしら。でも、ベネットは現場のエンジニアだし……」

マリーは更に、関連画像検索でカナリア・ホワイト十字に似たものがないかを調べてみた。

すると〈オクシタニア・クロス〉という、聞き慣れない名前の図像が表示された。

オクシタニア・クロス:中世において、フランス南部のオクシタニー地方で興ったキリスト教的民衆運動であるカタリ派のシンボルのひとつ。カタリ派は13世紀に、主に異端審問による弾圧で消滅し、それ以降の記録は残っていない。

「カタリ派……」

その文字を見た瞬間、マリーは一瞬身体が宙に浮くような眩暈を覚えた。それはあたかも城塞都市の螺旋階段のように、周囲の世界が自分を包み込んで収斂していくような感覚だった。

「カルカソンヌ……」

マリーは思わず身震いをして、端末を閉じた。

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