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【読書】『そして生活はつづく』星野源

図書館でたまたま見つけ、ふと手に取った。

「へー、星野源さんて、エッセイ出してたんだ。どんな文章を書くんだろー」
軽いノリでパラパラめくり、あっという間に本の世界に吸い込まれた。

30分ほどそこで立ったまま読みふけったあと、ずっしりと肩にかかる重さにふと我に返る。
重さの原因は、30冊ほどの本が入ったリュック。
(ちなみにこのとき背負っていたリュックはものすごくごつくて頑丈で、本を何冊入れても安心。リュックより体の方が先に壊れそう)

そうだった、わたしいま、本の貸し出し手続きを終えて家に帰るところだった。
しまった早く帰らなきゃ、ごはんの支度が間に合わない。
あーまたやっちゃった、図書館に来るといつもあとの予定が押しちゃうんだよなあ。
だって、星野源さんがこんなに文章うまいと思わなかったから。
ちょっと読んだらすぐ行くつもりだったんだもん。

誰にしているのかわからない言い訳を頭の中でつぶやきながら、このエッセイもお持ち帰りすることにして、貸出機に通す。

家に帰って家事を済ませ、いそいそと続きを読む。

1時間後、わたしは星野源さんのことを、すっかり好きになっていた。

星野源。
言わずと知れたアーティスト。
ドラえもんの映画の主題歌、「どどどどどどどどどっどーらえもんー♪」という歌を聴いたときにはその才能に惚れぼれしたし、ドラマ『逃げ恥』のときも「演技のうまいひとだなあ」と感心もしていた。
でもまさか、文章までうまいとは。

ううん、うまい、というのとは違うかもしれない。
文体の品格、という意味で言えば、そりゃあ一流作家とは違う。
でも、なにしろ魅力的なのだ。
重いリュックの存在を忘れて読みふけってしまう種類の、それは引力だ。

月並みな言い方だけれど、思うに星野源さんは、本物の表現者なのだろう。
彼の存在を通したものは、すべて人を惹きつけるアートになってしまう。
音楽でも演技でも、文章でも。

このエッセイのなかに、こんな文章がある。

 つまらない毎日の生活をおもしろがること。これがこのエッセイのテーマだ。なぜこのテーマを選んだかには一応理由がある。
 人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。赤ちゃんとして生まれてから、やがて年老いて死ぬまで生活から逃れることはできない。誰だってそうだ。
 (中略)
 どんなに浮世離れした人でも、ご飯を食べるし洗濯もする。トイレ掃除だってする。シャワーカーテンが下のほうからどんどん黴びてきて、新しいの買ってこなきゃなあとか思う。一国の首相だって、たまたま入ったトイレのウォシュレットの勢いが強すぎてびっくりしたりする。どんなに凶悪な殺人犯だってご飯を美味しいと思う。どんなに頭のおかしい奴だって、一人暮らしならば家賃を払う。電気代を払う。水道代を払う。顔を洗う。
 (中略)
 すべての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのである。 

星野源『そして生活はつづく』より


ここに書かれている通り、「生活をおもしろがること」、それがこのエッセイのテーマだ。

「生活をおもしろがりたい」。
彼がそう思うようになったのにはそれ相応の理由があり、この理由がまた、すごくおもしろかった。
ぜひ紹介したいのだけれど、ここで引用するには長すぎるので、本文を読んでいただければと思う。

ちなみに、このエッセイ、笑えます。
外で読むときは、どうぞご注意を。


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