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『オペラ座の怪人』

過去記事ですが、【映画感想文】へ応募いたします。

🌹 Introduction 🌹

 『オペラ座の怪人』DVDまでひっぱり出してここ数日、行きつ戻りつ観賞しています。

 舞台のDVDやCDも数種類、劇団四季の舞台も複数回、NYのブロードウェイまでも観に行ったほどなのですが。(いつかウエストエンドにも行きたい🤔💕)

 でも、個人的には2004年の映画版が一番好きです。(豪華版買いました)

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 まず、クリスティーヌ役のエイミー・ロッサムさんが、お姿も声もピュアでやさしげ、私のイメージするクリスティーヌそのもの。(ヒロイン大事❣️ うまくはいりこめなくなるから。)

 そしてもちろん、ファントム役のジェラルド・バトラーさんのイケメンぶりも相当なもので、それが、"ローマ彫刻" と "ギリシャ悲劇のお面" の融合体みたいな謎めいた純白の仮面をお顔の半分にのせておられるのを見ただけで、クラッとしますわね(^^; 仮面にね(^^♪

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🌹 最も深遠なる謎 🌹

 それはさておき...この作品のなかには、男女の愛のことわりだけでなく、芸術というものと創作/表現者の、のっぴきならない関係...光と闇と蠱惑と痛みとオブセッション――それらのエッセンスがすべて詰め込まれ、深く華麗に語られていて。
 何度見ても、未だにすべての謎が解けるわけでもなく、折々に新しい光のさす、とても深くて多面的な映画です。


 ずっとクリスティーヌを"支配"しようとし続けたファントムが、物語の終盤になって、彼女に仮面を剥ぎ取られ、最後の"大勝負"に敗れ、なにもかもを失ったと感じたそのはてに、クリスティーヌへの妄執も手放し、本来のひとりの男性に戻ってようやく"Christine, I love you..." が言える――落涙もののシーンです。

 それは、勝ち得るための問いかけではなく、吐息のように混じりけのない、ただただ伝えたい、耳に届けたいというそのためだけの I love you. 

 ひとは、本当の"I love you"が言えるのだ――果たして私は言ったことがあるのか? 胸に手を当てて吟味したくなる(忸怩たる)一瞬です(-_-;

 おそらくは、エリック(ファントム)ほど数奇な/極端な経験を経なければ、ひとは自分が何者なのかわからず、ゆえに真の"I love you"も言えないのかもしれません。

 愛とは、自己と並んで、最も深遠なる謎ですね。

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🌹 エンパシーの闇堕ち 🌹


 つい最近、こちらnoteに、クリスティーヌの心情を想像した詩を書いたのですが、そのことでふと、《エンパシーの闇堕ち》にもかかわる物語だったのね🤔 と気づきました。

 エンパシー(empathy)というのは「他人の靴を履く」とも表されるようなのですが、シンパシー(sympathy)から"同情"を引き算した"共感"、"共鳴"ということだそうです。

 そして、《エンパシーの闇堕ち》とは、他者のなにかに共鳴しすぎて自分の全体像を見失う状態、なのですって。

 エリック=ファントムが作曲し、ソプラノ歌手であるクリスティーヌに舞台で歌わせた歌が「わたしはあなたに闇堕ちしたくてたまらないの」というちょっと?危険な香りのする歌詞。クリスティーヌも芸術家ですから、歌ううちに歌詞にはまっていくわけです...つまりはエリックが仕掛けた罠なのですね🤔
(それで私の詩もそうなった((((^^;)←関係者の方々、すみません🙇💦)

 ファントムというひとは、クリスティーヌの全体(魂ごと)を欲しがっていて、そのために、天使のような崇高なものに擬し、芸術の偉大な力を借り、クリスティーヌの亡き父につながるものに扮し、時には脅し、時には峻厳さの持つ気高さをかざし、あの手この手でクリスティーヌを籠絡しようとするのですが、なにもかも(あと一歩のところで)効かないことがわかると、最後に最も強い呪縛として"闇"を持ち出してくるわけです。スターウォーズみたいですが、これも、人間にとって根源的なものだからこそ、の展開なのでしょう。

(闇ってなあに? とは訊かないでね。それがわからないから詩を書いているようなものですから💦)

 エリックに"闇堕ち"しそうになりつつ、最後には踏みとどまって自分を取り戻したクリスティーヌ。

 ファントムは、芸術の影の部分の象徴なのでしょう。西洋の文学史などを見ていると、このひと闇堕ちしてるよね...という、凄みのある方も散見されます🤔(ユイスマンスとかね)

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🌹 たとえばオルフェウス 🌹


 さて。ちょっと誇大に言うと、創作したものをこうしてnoteに載せるのは、公開処刑のような気がしてならない最近の私。(たいして深掘りできていないので、単に気が小さいだけですが💦)

 自分の中の光や闇、善悪、美醜といったものを直視する恐ろしさ、そしてまた、それに飲み込まれずに素の自分に戻ってくる勇気、そしてそれを他者に目撃されている怖さと恥ずかしさ。

 きっと、エウリュディケを求めて冥府に下ったオルフェウスだって、その道行きの一部始終を後世の私たちにまで見られ続けていると知れば、落ち着かない気持ちになったでしょう。

 とある作家(純文学)の方が、小説を書くとき「最終的にどこかで自分のコントロールから離れないと」と仰っていて。
 まさに、読み手はそこを見たいのだけど、書き手はそれを見られるのが怖い→公開処刑 と、私の感覚では、そうなるわけです💦

 たとえば、エンターテイメント系の物語なら、おもしろいかどうか、作品としてすぐれているか(度量ふくめ)について気に病んだりするのかなと推察するのですが、純文学となると、自分の人間性を一方的に観察されている居心地の悪さ…。でも、それでも書いたり公開したりするのは、"人間の業"としか言いようがないな、とたまにぐったり疲れながら苦笑いするわけなのです。疲れるし、不安だし、そんな自分に呆れるし(^^;


 わたくしごときが語るには大それたことですが...きっと、いにしえからの偉大な創作者・表現者たちも、その迷いのうちにあったのではないかしらと思うのです。

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🌹天路歴程🌹


 アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』を読んでいたら、《私たちは自分のことを話すのが大好き》という段がありまして。

 自分についての他愛のない内容をSNSで語ると、脳内の、いわゆる報酬系をつかさどる側坐核が活性化するとの説明でした。

 詩を書くのだってそこに還元されるわけですから、脳内ホルモンや電気信号の下僕か(-_-)と思うけれど... (唯物論?)

 それでもわたしはどこかにいらっしゃるはずの"something great" 、またの名を💐ミューズの君💐のおそばに参りたいのです。書くことを通して(^^)


 というわけで、私はひとり《天路歴程》 ( Pilgrim Progress ) みたいな...《聖杯探索》 みたいな、探求の旅を続けていて。

 みなさまを巻き込むと申し訳ないので、くれぐれも無理に読んだりコメントやスキをなさらなくて大丈夫です(^^)/ ←そこにつきる


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🌹続編ミュージカル《Love Never Dies》についてはこちら↓↓


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