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夏目漱石と愛着障害と客観性

夏目漱石の『道草』を読んだ。

漱石の自伝的作品といわれている。私は、自伝または私小説とされていない作品に関しても、作家その人の見解や人柄は、創出されるすべての作品の随所に存在していると考えている。それをふまえて読んだ『道草』で特徴的だったのは、決して感情的、一方的ではなく、自他の内面の瑕疵を淡々と客観的に綴っているという点。(比較対象とするなら、太宰治や芥川龍之介、三島由紀夫などがきわめて主観的と私はみている)

私が『道草』を読もうと思ったのは、『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(岡田尊司 著)の中で「回避型」の参考例として挙げられていたから。「幼少期に親または養育者から一定の愛情を受けられなかった者は、他者との関わりにおいて生涯にわたり影響が出てしまう」ということが論じられているこの本(=『愛着障害』)の内容に沿って『道草』を読み進めると、なるほど、公平な洞察・分析力の高さをもって終始低温乾燥の文体で貫けるのは回避型のなせる技と感じた。

たとえば小説の舞台となっている明治後期、ジェンダーロールに対して主人公は「そういうものだ」という立場であるとしながら、それに頑として異を唱える妻の言動やその背景にある思考も推し量りそのまま書き記す。また、主人公は自分より学のない人を暗に蔑みながら、一方では自分の無情さに不安を抱き、ぐだぐだと人付き合いを続けていく。

以前は客観的文体にどことなく冷淡さを感じ、あまり好きではなかった夏目漱石が、今回はその客観性ゆえとても身近になった。

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