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写真とは愛

元気がない時に自分が撮った友人たちの写真を見返すようにしている。自分が撮ってきた写真に救われるからだ。

わたしは何気ない瞬間を切り取るのが好きだ。いい表情してるな、残したいなと思った瞬間をわたしは撮る(顔が写ってない写真もあるが)。その写真たちを見返して、この表情は自分に向けてくれたものなのかと思うと嬉しいし、こんな美しい瞬間に自分が立ち会っていたのかと思うと泣いてしまう。わたしにとって写真を撮ることは過去の時間に目印をつけておくようなものだ。忘れそうな瞬間も写真を見ればそのときの記憶や気持ちが蘇り、また生きていこうと思える。


写真には自分の感情が写ると思う。このとき寂しかったんだろうなとか、愛おしく思ったんだなとか、あとで見返して自分にはすぐ分かる。友人たちに自分の気持ちが伝わらないかヒヤヒヤしながら写真を共有していた。でも最近は伝わってしまってもいい、むしろ伝わってほしいと思っている。

自分があとで見て救われるというのもあるけど、みんなそれぞれが、そのままで美しくて輝いていることを、自分の写真を通して知ってほしくて撮っている。そしてみんなのことを愛しているとを伝えたくて本人たちに写真を撮って送っているところもある(ただし自分のエゴの押し付けにならないように気をつけたいと思っている)。

友人たちに写真を送ると、SNSのプロフィール画像に使ってくれることがある。プロフィールに使ってくれるということは、自身でも気に入ってくれているということだと勝手に思っている。自分がいいなと思ったその瞬間の姿を、本人もいいと思ってくれるのはとても嬉しい。わたしが撮る写真を見て、「あなたの撮るわたしはいい表情をしている」とか「幸せな表情をしている」と言ってくれた友人もいる。自分の差し出した愛を受け取ってもらえたと思う瞬間だ。

先日、一緒に星を見た友人が、わたしに星の光や時間について教えてくれた。夜空に輝く星の光は、過去に放たれたもので、長い時間をかけてわたしたちに届いているという。写真もそれと同じだと思った。写真とは光を写すもの。撮った写真は過去の光で、それをあとになって今のわたしが見るのだから。わたしの見た光と愛が、時間をかけて未来の友人たちと、そして未来のわたしに届くといいな。

※加筆修正あり

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