【アメリカ大統領選挙】多様性の敗北【リベラルVS保守】
アメリカ大統領選挙の振り返り。はたして「多様性」は本当に「多様」なのだろうか。
1.2024年アメリカ大統領選挙
アメリカ大統領選挙の勝敗が決した。両者拮抗する下馬評とは裏腹に、共和党のトランプ氏が当選確実となった。大統領経験者が再選を果たすのは実に132年ぶりという。
①オバマ氏のコメント
この選挙の結果に対して、44代目大統領のオバマ氏は以下のようなコメントを寄稿している。
(英語苦手な人はコチラ)
オバマ氏は割とガチなリベラルで、それゆえ負けて天晴れな大人なコメントをしているが、それでも下から二段落目で少し含みのある言い方をしている。民主主義の根幹をなすのは社会契約であり、2021年のホワイトハウス襲撃事件にくぎを刺しているようにも見える。
②アメリカ大統領制
アメリカは二大政党制だが、日本やイギリスのような議院内閣制ではなく大統領制を採用している。中でもアメリカの大統領制は行政権と立法権が完全に独立した政治制度といわれており、それゆえ「選挙人による間接民主制」という少し特殊なやり方をしている。具体的には、
①国民による「選挙人」の選挙
②「選挙人」による大統領選挙
という2ステップになっている。「選挙人」は自身が所属する政党の大統領候補に投票をするのだが、事実上「民主党」と「共和党」の二択になっていて、その選挙人の数(多数決)で決することになっている。
「選挙人」の数は、州ごとに州選出の上下両院議員と同数が割り振られるが、それに首都ワシントンの3人を加えて全米で計538人となる。ポイントは勝者総取り方式というシステムが取られていて、最多得票の選挙人候補団が当選し、その州に割り当てられた選挙人定数をすべて埋めることとなる。
州によって民主党と共和党のどちらの支持層が多いかは過去の統計や下馬評である程度分かっていることと、上記方式からたとえ僅差であっても1票でも上回ればその選挙区は全てその政党の選挙人となるため、下馬評としては僅差でも結果としては大差がつきやすく、とりわけ激戦区となる州の動向は選挙に特に影響するため争点になりやすい。
③民主党と共和党
アメリカの二大政党は「民主党」(ロバさん党)と「共和党」(象さん党)である。その大統領候補のポリシーによって一概には言えないのだが、ざっくりいうと
という感じになる。ただし実際には行政権と立法権の独立性が高いことと、それゆえ党議拘束が緩く議員個人の裁量性が大きいために ※クロスボーティングが生じる可能性は高く、実際には議員個人のポリシー・コネクションに委ねられる部分が大きいといわれている。
(※交差投票。議案の採決に際して、議員が党決定に縛られず自党に対して反対、または反対党に対して賛成することを認める投票方式)
④自由と独立の国アメリカ
ここで疑問なのは、なぜ社会福祉に消極的といわれる共和党になぜ労働者や農業従事者が自ら支持するのか点だが、これは独立心や開拓心に根差したいわゆる「アメリカニズム」というもので、アメリカ人がそういう人たちだからとしか言いようがない。
歴代アメリカ大統領は福祉政策の一環として国民皆保険制度を導入を試みているが、ことごとく失敗している。前々回大統領のオバマ元大統領の「オバマケア」もうまくいかなかった。
アメリカは自由と独立の国だ。全米ライフル協会とかいう謎組織が全米最強のロビイスト(圧力団体)になっていたことからもそれはお察しで、いわば反骨精神の塊なので、低所得者自らが福祉政策を拒むのである。
この辺の思想や感性を説明しようとすると長くなってしまうし、そこまで詳しいわけでもないので今回は割愛する。この辺はイブリース大先生が説明してくれるだろう(先生お願いします)
説明してくれた ありがとナス!
2.リベラルはなぜ負けたのか
この民主党と共和党、ぱっと見の印象だと民主党の方がいい感じに思える。リベラルゆえ多様性に配慮し福祉政策も力を入れる。なんでも自己責任でなんとかしろの共和党よりも親切には思える。
だがその民主党は今回敗北した。よりによってトランプ大統領である。控えめに言ってドラえもんのジャイアンレベル100みたいな人で、映画好きな人ならバックトゥザフューチャーのビフといえば通じる。この人がマジで大統領になっちまった未来が2024年の現実世界なんである。よっぽどだろアメリカ。どうかしてるよ世界。
これについては、5chの嫌儲板で興味深いスレがあった。それは「リベラルが言う『多様性』の中に俺たち弱者は入っていない」というものだ。今回の選挙における民主党敗北の一因は割とコレなのかもしれない。
①世間のDEI疲れ
リベラルは人権や多様性を尊重する。いわゆるDEI:Diversity(ダイバーシティ、多様性)、Equity(エクイティ、公平性)、Inclusion(インクルージョン、包括性)というもので、すべての人を包摂的な環境で受け入れることを目指している。最近よく聞く人種問題とかLGBTとかもこれで、一見するとそれは素晴らしい理想にように思える。
ただこれは日本が島国ゆえに単一民族かつノンポリだからそう思えるもので、人種・階層・宗教といったバックボーンが異なる人たちが暮らすアメリカにおける人権や多様性意識というのはとても生易しいものではなく、我々が想像しているよりもかなり熾烈なものらしい。
アメリカは入植者(移民)が独立戦争を経て成立した人工国家である。後ろ盾がなかったが故に自由と独立の機運が強い。それゆえ彼らにとって多様性は権利意識なのである。LGBTも今から70年前の公民権運動のような認識で、権利とは積極的に主張し、勝ち取るものという認識のようだ。
そうなってくると、多様性は「当然に認めるべきもの」「配慮しなければならないもの」という圧の強さ(強制力)を伴ってくる。あるいは多様性として配慮されているものと、そうでなく透明化されてしまうものとの格差も生まれてくる。具体的にはアファーマティブアクションなどはそれで、人種・性別によって大学入試試験の合格点が異なるといった具合だ。
そして多様性はフェミニズムやLGBTと同じく正論であるため、表向き反論が許されない。それゆえこれを無用に振りかざすと弱者利権・ポリコレカードなどと揶揄されることも多い。寛容であることを強制されると逆説的に「不寛容に対する不寛容」というネガティブな面も目立ってきて、いくぶんかの窮屈さ、居心地の悪さも目立ってくるようだ。
②コミックスのたとえ(風刺画)
この「不寛容に対する不寛容」はネット掲示板で有名な風刺がある。これは日本のコンテンツとアメリカのコンテンツを風刺したものだ。日本のコンテンツは赤い本、青い本、緑の本と単色な本が20冊ある。対してアメリカはレインボーの本が3冊並んでいる。
これを読み解くと「コンテンツにおける表現の自由」ということになる。日本は少年漫画、少女漫画、青年誌、成人誌、BLなどのジャンルの棲み分けがなされ、登場人物も特に人種的制限はない。学園物ならほぼ日本人だし、ファンタジー作品なら金髪碧眼の人ばかりでも別に問題ない。それはフィクションだからで、当たり前っちゃ当たり前である。
アメリカはこの当たり前ができない。映画を作る場合、女性枠、黒人枠、〇〇枠という形でキャストやキャラクターの多様性(DEI)に配慮をしなければならず、シナリオにも制約が入る。
したがってどの作品も似たような人種構成やシナリオになることを「強いられる」というわけだ。アカデミー賞(オスカー)では受賞条件としてこれが要件化されている。
洋ゲーの女戦士なんかはいい例で、アマゾネスみたいなゴツイのばかりなのもそういうことだ。和ゲーでもたとえばバイオハザードRE:4(リメイク版バイオ4)では、主人公・レオンの顔付きや、ヒロイン・アシュリーの体型や衣装に配慮の後が見られ、ファンからは「ポリコレ対応版バイオww」と茶化された。
③多様性に対する男女間の意識差
「多様性疲れ」はアメリカだけではないようで、特にその恩恵を受ける女性は肯定的な心証が多い一方で、恩恵を受けられない(=不利益を被ることになる)男性からは否定的な心証が多いようだ。いいのか悪いのかはさておき、ネット掲示板でよく見られる 女の人生はイージーモードwww みたいな風潮は大なり小なり外国にもある。
韓国が著しく低いがこれは兵役によるものだろう。韓国は極めて熾烈な学歴社会 & 新卒至上主義という日本の悪いところをさらにピーキーにしたような過酷な国だ。その上でMBTIなどというけったいなモノまで流行っているので、割とヘル朝鮮は伊達ではなく、気の毒に思ってしまう。
日本と異なるのは男性に対して徴兵制がある点だ。男子大学生が兵役を理由に大学休学を余儀なくされる間に、女性は海外留学やインターンなどキャリアアップができる上、上記のポリコレカードも使えるため、男子大学生は兵役で苦労する上に就職でも不利という踏んだり蹴ったりな状況になってしまうのである。
こうした制度化された不平等から女性に対するヘイトが強いと言われており、韓国の合計特殊出生率は0.72と日本の1.26を大幅に下回っている。表面では多様性は大事、平等は素晴らしいという価値観の強制に一見従っているように見えてもそれは面従腹背に過ぎず、数字がその本音を雄弁に語ってしまう。
④The Meager ──持たざる者
ネット掲示板をしげしげと眺めて、今回の大統領選挙におけるリベラルの敗因「リベラルが言う『多様性』の中に俺たち弱者は入っていない」という仮説は一概にトンデモ論とも言い切れないと感じた。
今回の選挙人の当選結果を見るとそれは明らかで、エリートの多い州は青色(民主党)で、労働者の多い州は赤色(共和党)と軒並み世論が真っ二つなんである。
特に顕著なのは東海岸で、独立13州(1776年のアメリカ独立宣言時に存在した13植民地)はペンシルバニア(PA)以外すべて民主党支持で、西海岸もカルフォルニア(CA)、オレゴン(OR)、ワシントン(WA)(D.Cの方でなくシアトルの方)は青色だ。つまりインテリは一貫して民主党支持なのだ。
だが「多様性」から零れ落ちて配慮されない人々にとっては、自分たちの恩恵を受けない思想よりも、目の前の生活や食い物の方が重要だ。
生活に困窮し、自分の人生に希望を持てなくなった経済的弱者ほど排外主義が強くなり、思想を国に依存して保守化・右傾化していく傾向があるという(ただしこれには異論もある)
今回の大統領選挙ではこうした言いたいことを言えなかった本音の部分が、「数」いう形で表面化したのではないだろうか。経済的弱者には多様性など、ましてLGBTなどどうでもよい。胃袋を満たす方が先だ。
動画で見たことがある人もいると思うが、アメリカでは万引き・カージャックが頻発している。刑事手続や刑務所のキャパシティの関係で、多くの州では1000ドル以下の窃盗は罰せられないためだ。
アメリカは知っての通り銃社会であるため、ほとんどの小売店では顧客や店員の安全を考えて万引犯を追及しない方針を取っている。そのため治安の悪い地域では小売店の撤退が相次いでいるという。
彼らがなぜ犯罪行為に走るのかは、アメリカのインテリ層からは到底理解できないだろう。多少窮屈で閉塞感はあるが、安全で清潔な暮らしを享受する日本人の常識からも「そんなバカな・・・」と思うかもしれない。
しかし「どうして真面目に働かないんだろう」などという安易なヒューマニズムは彼らには響かないだろう。万引きや略奪は公共の福祉に反するし、犯罪行為であることに変わりはないが、我々に彼らの心の内を知る術はない。
まとめ
今回はアメリカ大統領選挙について所感をつれづれと述べてみた。先週の衆議院選挙に続いて今回アメリカ大統領選挙なので、ひょっとしたら世の中が変わる節目(ターニングポイント)なのかもしれない。
筆者はリベラル・社会派を気取っているが、選挙をすっぽかす程度にはノンポリで、国際事情もあまり知らない。政治に関心がないのも就職活動や公務員試験で年齢差別・性別差別を嫌という程味わったからで、世の中に対して人並み程度には「ふざけんな」という思いはある。
そのため他人や社会に期待するだけ無駄で、自分のことは結局自分で何とかするしかないというスタンスでいる。自己責任論というものだ。誰も助けてくれないのなら自力で救済するしかない。
しかしその自己責任論も弱肉強食原理に陥り、闇バイトの横行などを見ても限界がある。その辺のルールやパワーバランスをうまく調整するのが政治であり、少数派の人々、生きづらさを抱える人々を尊重をするのが本来の多様性と考えているのだが、なんとかうまくいかないものかと願っている。
おまけ(余談)
そのトランプ氏だが、イデオロギーや政治的スタンス抜きにすると愛嬌があり、写真的には「持ってる人」なんで個人的にはファンだったりする。この辺も人気要因なんじゃないかなぁ。
①エサやりダイナミック
2017年 元赤坂の迎賓館での一コマで、鯉にエサをあげている。スケジュールの都合上巻きでというのはわかるが、いくらなんでも雑すぎる。
トランプ氏の強烈なキャラクターと、豪快なエサのあげ方がハマったためスッパ抜かれてしまい、いかにもトランプ氏がやりましたみたいな風潮になっているが、先にやったのは安部元首相である。
②なんだこれ。チャンスか?
7月13日のペンシルバニア州での演説中の暗殺未遂事件の一コマ。
構図があまりにも完璧すぎる!これは人気出るわ!!
バックの青空と星条旗、緊迫したSPの姿勢や表情も素晴らしく、構成要素のすべてが自然とトランプ氏に誘導される構図はまるで「民衆を導く自由の女神」のようだ。
これはピュリツァー賞もんだろと思ったが、撮った人はAP通信のカメラマンで2021年に同賞をを受賞している。また取れるんじゃないかコレ。
このガッツポーズからの失言による自爆失速、からの陣営持ち直し、からの互角予想の下馬評、からの圧倒的当選である。やっぱり「持ってる人」としか思えない。