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おはようございます!

今日こそは朝のうちに書き上げます


今日は私が憧れのハーレーに乗るまでについて解説したいと思います

夢の叶え方の何かヒントになれば幸いです

でも、夢とか目標とか目的とか、言葉にしてしまうと、もっともらしくなるというか、重みが増すというか、責任感というか、重圧感というか

覚悟しなきゃってなるより、一個ずつ一歩ずつ一段ずつ進めて行くうちに自分の中で確信が持てたり、ここは人それぞれとか、願い事によるかもです

諦めきれない時は、諦めきれないと諦める、です


まず私は、中学生の頃、紡木たくさんの「ホットロード」を読んで、バイク!!!乗りたい!!!って思いました

いや、その前の小学生の頃には母が乗る原チャリにハンドルとシートの間に立って乗った経験があって(ノーヘルだったし、そんな時代が懐かしい)、その時にバイクに乗る、風を感じるという経験があり、「ホットロード」を読んで、和希が、春山のバイクに乗る姿を見て「気持ち良さそう」ってセリフが印象的で、何しろ「彼氏とニケツ」ってのに憧れました

そこから何年も彼氏の後ろに乗るってことは叶わずでしたが、ハタチくらいの時に、「そうか!自分で運転してバイクに乗ればいいのか!」とやっと気づきました笑

でも、バイクって一口に言っても、いろんな種類があって、自分のイメージする乗りたいバイクにたどり着くまでにまたまた時間がかかりました

ちなみに、この頃、ベージュの旧い渋いセンチュリーを見て、あの車に絶対乗る!!!って思いました

角ばったデザインと、ノスタルジーな雰囲気、サイドミラーが前にあるのも素敵で、ウインカーやテールライトも、タイヤもなんか良い感じでした


センチュリーが好きって言うと、ヤン車って言われたのですが、そっちのセンチュリーとは私の中では全然違うし、私の見たセンチュリーには老夫婦が乗っていたのですが、ゆったりとして走っていて品がある雰囲気でした

後から知りましたが、高級車であるセンチュリーは社長さんとかが運転手付きで乗っていたりする車で、なるほどと思いました


で、話を戻しますと、私が乗りたいバイクの形がだんだん分かってきて、ある時出会った人がバイク乗りで、「私も乗りたいんです」ってなって、「どんなの?」って言われて「名前が分からないけど、こんなんでこんなんで、こんなんではなくて」って話したら「それ、ハーレーじゃない?」って教えてもらい、国産だとアメリカンタイプというのがあることも教えてもらい

「コレだーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッ」ってなって

嬉しくて、興奮して、名前がわかるってそれだけでもますます実感わくし、もっと色々知れて、知れば知るほど欲しくて乗りたくて、ハーレーの音を知ってから、音だけでハーレーと分かるようになり、街行くハーレーを羨望の眼差しで見つつも、私だってーと闘志を燃やしていました

そこから車の免許しかなかった私は、ハーレーに乗るべく、大型二輪免許取得のため、自動車学校へ行きました

排気量とかも分からなかったし、やはり自転車とは全然違うわけで、特に曲がる時にバイクごと体を傾けるのが怖くて怖くて怖過ぎて、最初は中型免許の後に大型免許という流れだったのですが、あまりにS字ができなくて小型二輪からの教習に変更になりました

悔しかったけれども、確かにバイクの大きさや重さに存在感に、乗るってことに不慣れで、体がむき出しの感覚というか、小型ならまだチャリンコに近いです

というわけで、なんとか小型二輪免許取れてもずっとS字とか小回りが苦手で、同じ時期に入った男性の生徒の方が早く進んだり、やはり乗りこなしている感があったり、頭で分かっても体は言うことを聞かないとか、悔しい気持ちを味わいながらも諦める選択はなく、通い続け、いよいよ大型二輪の最終試験!

とにかく緊張していましたが、まるで納得がいかない理由で落とされました

それは、交差点での右折レーンに入って停止した時にエンストしてしまった後の対応についてです

私は、焦ったし、パニクっているし、とにかくここだと邪魔になるからと思い、道の端っこに移動して、落ち着いてからエンジンをかけた方がいいと思ったのです

がしかし、先生的には、エンストしたら、その場でエンジンをかけてまた走り出す、の一点張りです

それは基本といえば基本だろうし、バイクの調子も良くて、すんなりエンジンがかかれば問題ないと私にも理解できます

ですが、私みたいにパニクったり、ハーレーだったらどうでしょう?エンジンに不具合があったらどうでしょう?ましてや旧車に乗ったらキックでエンジンをかけて、かかるまでその場にいるって邪魔だし危険だと思うのは私だけではないはずです

私にしたら実際の道路では通用しない、全く想像力のない教えだと思いました

だから納得いかないって何度も言いましたが、通らず、二度とこの先生の顔も見たくないし、もうここにも来たくないとか思うくらい噴火していましたが、ハーレーはもう入手していたし、グッとこらえて、再度最終試験を受けて、合格しました


そうなんです、免許取る前に、これまた縁あってハーレーダビッドソンジャパンで働く人と出会い、私のイメージに合うハーレーを紹介してくれて、扱っているお店も紹介してくれて、大田区にあるリトルウィングというお店ですが、とても素敵なんです、オーナーの大平さんも素敵な方で、とても親切だし、何よりハーレーやインディアンという旧車に囲まれたあの世界がキラキラ過ぎて、私にとって宝石箱のようでした

そんな世界への参入にとても興奮し緊張し、ルンルンでドキドキとワクワクで幸せで、何より本当に憧れのハーレーを入手した自分が誇らしいとさえ思いました

そういえば、ハーレーの前にバイクに慣れようと思い、赤いリトルカブを新車で買いました

郵便局屋さんみたいで可愛いし、シフトチェンジあるガチャコンだし、とても楽しかったです

バイク自体に不慣れだったので、東京の道路をあちこち走って急にエンジンかからなくなって、焦って友達に電話したら、ただのガス欠だったという笑い話もあります

そして、めでたくハーレーデビューを飾ったのは1992年製EVOエンジンのFXSTCでした

ハンドルとシート以外は、ほぼ純正で乗っていました

エンジンがかかった時のあの鼓動!!!

見た目も大好きですが、とにかく音と振動が最高に心地良いんです

走ってしまえば安定感があるのですが、一人で家まで走るのは怖過ぎて、納車の日にバイク乗りの友達に付き添ってもらい、後ろから来た大型トラックにクラクションを鳴らされながらも、環七をパレード気分で家まで無事に辿り着きました

バイクに乗るには、多少強気でいなければいけないのです

まあ、その時は怖いし泣きそうでしたが・・

ハーレーの音は雷みたいなので、「ラブサンダー」と名前をつけました

バイクに乗りたいと思ってから10年後くらいの2001年の話です


そこからあまり遠出はしなかったものの、あの大都会東京WAYを昼も夜も、雨でも暑くても寒くても、方向音痴なので迷いながらも良く走りました


当時、ハーレー好きな女友達の彼氏がスティードに乗っていて、アメリカンバイクチームに入っていました

教習所に通う頃に私もチームの集まりに呼んでもらったりしました

彼らもハーレーにいつかは乗りたいけれど、まずは国産アメリカンで遊んで慣れてからという考えのようでした

でも、私の考えは、いつ死ぬかも分からないし、お金をたくさん持っていたわけでもないし、国産アメリカンをカスタムして乗る時間とお金と労力があるなら、ハーレーに乗りたいって分かっているんだし、お金も時間も労力もそっちにかけたい、でした

でも、そんなこと言えなくて、確かに仲間がいて、同じ夢があって、楽しく、時に熱い口論とか、国産アメリカンで学ぶこともあるだろうし、そんなんも素敵だと思うのですが

国産アメリカンで乗りたいバイクもなかったし、もうハーレーに乗りたいって分かっているんだし、いきなりラスボスでいいじゃんって思いました

乗れるまでの道のりは簡単ではありませんでしたが、後悔はないです

親には心配するので黙っていました

ですが、後から話して写真見せたら、「いい顔してるねー」って

初めてそんなこと言われました


それから、バイクの中で一番かっこいいハーレーに乗るうちに、ハーレーの中での一番を探していて、私はスカルが好きで、まさにスカルみたいに目玉が二つあるのがナックルヘッドというエンジンのハーレーで、これだ!私は死ぬまでに絶対ナックル乗るぞー!って思っていました

そう願った数年後に念願のナックル、超絶かっちょいい1947年製ナックルをゲットするのですが、長くなってしまったので、その話はまたの機会にしましょう


皆様の願いもきっと叶います


では今日も良い一日を♪




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