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キスしてほしい

go go go gooooodestin morning starting !!!

皆様、生きていますか

私は今日も生きています

有難いことです


突然ですが、神様が人間を創造したとして、最高傑作の芸術は人間であるとどこかの誰かがいつの時代かにおっしゃられたような気がします


うん、そうかもしれない


芸術とは人によっていろんな捉え方があると思いますが、私は、自然に勝る芸術はないと思っています

だから、アートもクリエイティブも好きだけれど、頭で造るものは限界があるけれど、天と繋がって造るものは無限の可能性があって、それは、もはや神がかっているというか

それは、人工的ではない、人間という存在を借りた自然の奇跡の作品だと思うからです


宮沢賢治は、続けていくうちに芸術になることを言っていると思うのですが、それは一つのことを続ける職人さんのようでもあるし、自分という世界にたった一つの作品に諦めずにはたらきかけ続けていくこと、すなわち人生の跡そのものが、正しく清くあればあるほど、芸術的になりうることだとすれば、やはり宮沢賢治の感性の美しさに嬉しくなります


年齢を重ねること、シワが増えることを、なぜこんなにも日本人は嫌がるのか、恥ずかしいと思うのか、隠すのか

私には年齢だけで、見た目だけで判断している、立派な偏見であり差別とも思えますし、どこまでもくだらない価値観だと正直思います

有難いことに、私は童顔なせいもありますし、中身が幼いせいもありますが、年齢なりに見られません

それでも、30代のうちはまだ本当の年齢言っても良かったのですが、だんだん、このやり取りのアホらしさとか、自分が謙遜したり、そもそも年齢なんて関係ないって本気で伝えたい気持ちが強くなっていて、言いづらいです

そして、一旦本当の年齢を言うと、「えー見えない!」と言う反応と、「へー」みたいな、なんだろ、この嫌な感じ・・・と、年齢を言って急に態度というか、印象を変えている感じが嫌いですし、失礼だなと思います

婚活は、まさに象徴的で、笑えるほど年齢が重要視されています

という自分も同年代がいいなって思いますが、そうか、だからなのか


あと30年したら証明できると思うけれど、私の健康志向とか、ナチュラル志向が、どれだけ違いが出るのか、今は切り替わりつつもあるし、スピ系も浸透しているから、そんなにはかからないかもしれないけれど、パリでは特に大人の女性が輝いていると思いました

色使いが素敵なのです

ピンクとか、白とか、オレンジ色とか、タイトな膝丈スカートとか、ワンピースとか、肌の色も関係あるけれど、自分に似合う色を知っていて、似合う服を知っていて、姿勢も美しいし、恋もしているし、人生を楽しんでいて、何歳になっても女性で、また男性側も女性を何歳になってもレディとして扱っているからこそなのもあると思います

若くて、小さくて、アニメキャラみたいな可愛い子が大人の男性にも好まれているとか、それと比例して、年齢を気にして、歳を重ねるごとに「もうこんな歳だから」とか「若くないから」とか、色も生活も地味にしていく感覚は日本人だけではなかろうかと思うのです

いや、地味に見えるだけなのか

いやいや、小学生でもおばさんか!?って思うほど地味色で、流行りなのだろうけれどワイドパンツにトップスもダボっとしたもの、日本人のファッション感覚が少し変だと思うのです

ちなみに、姿勢が小学生でも疲れた大人みたいに猫背で、スマホのせいかもしれないけれど、運動能力も意外と田舎の子ほど低くて、学校や部活や買い物も車で移動で、休みもゲームしてるとか、色々事情があるのでしょうが、それこそ、年齢関係なく生活習慣病リスクが高いのではと思います


話を戻すと、


「正しく清くはたらく」


私は謙虚や謙遜が行き過ぎて、仕事していない自分なんてダメだと思うこともありました

実際、きちんと働いている人からしたら、無職の私ははたらいていないのだから、と切り捨てられる存在かもしれません

そうやって、自分自身を何年も責めていました

鬱と診断されていても、やはり、働けないことや、ただ飯食べて、生きていることが申し訳ない気持ちになって、薬を飲んでも気は楽にならず、問題も何も解決しませんでした

酷い時は、恋人も友達も家族も誰も信じられないし、慰めてもらえても、叱ってもらえてても受け入れられないし、どっちにしても否定的に思い、自分で自分を「私は何も価値がない」、「生きている価値がない」と決めつけていました


死にたいのに死ねない

それも生き地獄です

自分がそう思っている以上、思い込んでいる以上、この世は地獄です

恐怖や、憎しみや、争いや、殺伐とした雰囲気、冷淡な人たち、残酷な人間社会、問題や汚れやゴミだらけの世界、犠牲になっている動物や植物たち

生きれば生きるほど、悲しみが増えるだけだ


戦争を経験してきた世代が、貧しくても、辛くても、大事な人が次から次へと去っていっても、ただひたすらに耐えて忍んで、その先にある何かを求めて生きてきた今、何を感じるのか、人によってそれもまた大きく違うだろうなと思うのです


頑なになっていればいるほど、脳も体もこわばって、顔にも人相として現れます

私は、人を年齢や偏見や外見で判断はしないけれど、人相や、挨拶や姿勢や、清潔感、言葉遣いや、礼儀やマナーには性格とかその人の生き方が出ると思っています


何がダメで、何が良いとかではなく、私にもダメな時期があったからこそ、もし、自分で自分を責めている人は、自分という世界一大事な宝物を大事にして、大好きになって、抱きしめて、愛でてほしいなと思うのです


仕事、してなくたっていいじゃない

恋人、いなくたっていいじゃない

人間、嫌いだっていいじゃない

自分、嫌いな時もあるじゃない


それでも、自分からは一生逃げられないし、もしかしたら、死んでも魂という自分は残るんだから、ずっと永遠に一緒だから、どうせならとことん向き合ってみて、腹割って話してみて、お酒でも飲みながら、温泉でも浸かりながら、パズルでもしながら

1日では分からなくても

どっかで、まあいっかって思えるかもしれないし

割り切れるかもしれないし

時と場合で、自分の主張を使い分けてもいいかもしれない

それこそ、場所が違えば自分が輝けるところがあって、必要とされるところや人がいて、安心してくつろげる時間や場所や人がいるんだと思うのです


諦めなければ


だって、おかしいじゃない、私が幸せにならない世の中なんて

って気持ちで


今日もハチャメチャでしたが、最後までお読みくださり感謝いたします


明日も、幸せに過ごしましょう

ハッピーサンデー♪

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