出逢ってしまったOTYKEN!

何しろ最近の私はどんどんと「縄文」「アイヌ」「エミシ」「阿弖流為」が、強まってきていて、もう少し書かないでおこうと思ったのだけれど

彼女たちは、アイヌのルーツであると書かれているが、私的にはアイヌの方がルーツ

もちろん、何の根拠も証拠もない
ただ、一部の人は、日本が世界のルーツ、という表現をしていると思うし、私も感覚でそう思っているだけの一人です

真実がどうか、正解が何かより、
私はこの音楽や、表現、OTYKENのパワーに鳥肌が立つ、血が騒ぐ、胸が高鳴る

初めて出逢ったのはyoutubeでこの曲を聴いたとき、一瞬でアイヌを連想させ、なぜか、「私」を観ている気分になった

それは、日本人にもいそうな顔と黒髪だったことも関係していると思うけれど

また、この吹雪の中での演奏が、私を釘付けにした

風の唸る音、雪が冷たく頬を通る感覚、不思議と白い息は出ていないけれど、毛皮は本物だろうと思わせる民族衣装のような、でもあまりにファッショナブルな色彩とデザイン

民族音楽というけれど、こんなにノリノリなクラブミュージック的な音が、本当に伝統的な民族音楽なのか

また、今では少数民族となった部族の言語で歌っているのかと思ったが、もはや言葉にならない歌詞ではないかと思うような歌

もちろん英語でもロシア語でもない

だからこそ、私は良いと思った!
なぜなら、感覚で歌えるから、真似できるから、ノレるから

きっと5歳の子でも響くと思う

https://musica-terra.com/2024/02/03/otyken-phenomenon/
によると

シベリア少数民族を敬愛し、子孫たちがいろんな少数民族の言語で歌っているとのこと

アイヌ語も結構不思議なオトがある

とはいえ、私は、どこの言語かなんてどうでもいいと思っている

どうでもいいと言うか、映像も相まってだと思うけれど、伝わる気がするから

解読より、響きが大事
厳しい自然と、そこに生きる命と共に生きてきた人間の原始的な言語は、今のロシア語や日本語よりも、本当のオトなんじゃないかと思うから

その昔、あらゆる生き物と、また、宇宙と会話、交信、コミュニケーションをしていた人類が持つ言葉の種類なんて少なくて、それよりも、オトや響きが大事だったんじゃないかと思う

いや、むしろ、言葉よりも、行動、振る舞い、作法が大事だったんじゃないか

縄文文明も、言葉が記されていなかった、カタチや、色や、質感だけで表現し、充分に意思疎通ができていて、充分に豊かで、満たされていたんじゃないかと


そんなことより、OTYKEN
日本で撮影したMVもあるらしいが、ライブに行きたい
ぜひ、北海道とか、アイヌの方との共演とか、日本の民族を継承している方とのコラボが観たい

企画できないかなー

したいなー




WELCOME TO JAPAN ☆

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