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神はわたしの傷を癒してくださるか?

この「傷」さえなければ、私の人生は上手くいくのに――。そう思わない人はいないのではないでしょうか。キリスト者は、どのように「傷」を理解するべきでしょうか?

Ascension Presents(アセンション・プリゼンツ) のマイク・シュミッツ神父の動画をご紹介します(以下、動画の和訳。動画のリンクは文末)。

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2016年9月22日公開の動画

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「YOU」、ぜひ見てみて! あ、ユー、「YOU」を見てみて! 
はい、こちらが「YOU」です(笑)
 
こんにちは。Ascension Presentsのマイク・シュミッツ神父です。
 
さて、私がいやだなと思うことの一つに、きっと皆さんもそうだと思うのですが、こんなことがあります。

自分の弱さを自覚する時、自分の無力さ、特に自分がやりたいと思っていることが出来ない時・・・。それは自分が置かれている状況だったり、立場や関係性、押しつぶされそうな大変な仕事など――そこからどうしても抜け出せなくて、自分は本当に弱くて無力であることを痛感する時――もしかしてその問題は根深くて、心の奥深いところから来るもので、もしくは病や身体の不調、メンタルヘルスだったり――私も個人的に、鬱や躁うつ病を抱えている方を知っています。
 
自分の弱さが本当に嫌い、こんなにも無力感を感じなければならないなんて嫌だ、自分に能力がないなんて情けない――もしかしたら、あなたには習慣的な「罪」があって、「どうしても、この鎖から逃れることができない」と無力感、弱さを感じているかもしれません。
 
そして、こうも考えているかもしれません。「神様が、これを取り除いてくれさえすれば、私は神様が望むような人間になれるのに」と。
 
これは興味深いですね。こう考えてしまうということは、私たちは「自由」をこのように捉えているということです。「『自由』は、私がやりたいと思うことができる、ということ」だと。
 
しかし、教皇ヨハネ・パウロ二世やその他の人々もこのように話しました。

自由とは、自分がしたいことができる能力ではなく、「自分がやるべきことをする能力である」

自由とは、私が「やるべきこと」をするための能力なんです。キリスト者として、私たちは知っています。神様はどんな状況においても、私たちに力を与えてくださると。どんな内的試練でも、病の時、傷に苦しんでいる時も、誘惑を受ける時も、神様は力を与えてくださいます。キリストは、その瞬間に、私たちがやるべきことをするための力をくださるのです。
 
神様は私たちの傷を癒すだけでなく、その傷を通して私たちを癒してくださるのです。つまりそれは、こういう意味です。
 
数年前、大学のキャンパスのカトリック女子寮で――男子寮もあるのですが――こんなことがありました。ある年に、このカトリック女子寮で一年間、シエナの聖カタリナ(1347~1380年)への信心を行っていました。聖カタリナは、偉大な聖女です。神学博士であり、とてもパワフルで聖い女性でした。33歳の若さで亡くなりましたが、亡くなるまで彼女は、信じられないような苦行を行っていました。しばらくご聖体しか口にしなかったのです。聖カタリナは、当時アヴィニョンにいた教皇を説得し、ローマに戻ってきてもらうことにも成功しました。偉大なことを成し遂げました。ある意味、世界の「イケてる人」だったのです。
 
カトリック女子寮にいた女性たちも、聖カタリナのことを尊敬していました。彼女たち自身、素晴らしい女性たちでしたから。共感できるところが多くあったようです。

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しかし、ある晩、事件が起きました。夕方頃、私は、彼女たちに突然呼び出されました。「神父様、一刻も早く来てください! みんな、大変なんです!」「分かりました、行きますよ」といって私はすぐそこに行きました。
 
何が起きたかというと、彼女たちはある本と出会ってしまったのです。最近書かれた本のようですが、現代の心理学の観点から、数百年も昔の、聖カタリナを分析していたのです。本の中で著者は、このように主張していました。

「聖カタリナの苦行や断食は聖いように見えるけれども、彼女はただ摂食障害を患っていただけだった」と。
 
――それが著者の結論でした。それを読んだ女性たちは、衝撃を受けました。「これって本当なの? 聖カタリナは、聖いから苦行や断食を行ったわけじゃなくて、これはただのメンタル系の病だったの? 彼女は、ただ自己嫌悪していて、自分の身体が嫌いだったの? ただの自傷行為だったの? それが彼女の苦行の理由だったの? 病気が理由で、こんな信じられないような苦行をすることにしたの?」
 
これをご覧になっている皆さんの中でも、同じような状況の方がいらっしゃるかもしれません。「自分の身体が嫌い。違う身体だったらよいのに。この自己嫌悪から逃れられたらいいのに」。
 
最近Ascension Pressがこのようなビデオを出しました。ジェイソンとクリスタリナ・エヴァートとブライアン・バトラーが、「ティーンのための体の神学」という素晴らしい動画を制作しました。「YOU」という動画です。
 
「体の神学」と聞くと、多くの人が「セックスのことでしょ?」と言いますが、それは違います。「体」についての神学です。体を持つ人間は、性的な問題以外にも、自分をどのように見るか、自分の身体を嫌っているか、苦しみの中をどうやって生きていけばいいのか、という質問を抱きます。
 
先ほどの聖カタリナの話を聞いて、「それ、私のことだ。彼女ももしかしたら、自分の身体が嫌いだったのかも知れない。その気持ち分かる」と思った方には、この動画は役に立つかもしれません。
 
さて話を元に戻しますが、寮の女性たちはパニックになっていました。カタリナの心の傷が、もしかしたら彼女が早死にする原因だったのかもしれない、と。私は、どう答えればいいのか分かりませんでした。
 
そこで、私の霊的指導者に相談してみることにしました。私の霊的指導者は、天才的な哲学・神学者で北ミネソタに住む隠遁者です。会うたびに『指輪物語』の魔法使いガンダルフのような人だなと思います。私は、彼に聞いてみました。
 
「神父様、この事実が本当なら、聖カタリナの聖性はどういう意味をもつのでしょうか?」
私の霊的指導者の司祭は、こちらのほうを向いて「なんで?」と言いました。
「だって神父様、彼女は33歳で亡くなったんですよ! 彼女の、この生活が彼女の夭逝の本当の死因だったとしたら・・・?」
「そうだったとしたら、どうなんだね?」
 
そしてこの司祭は、このように話し始めました。「それはただ、こういうことだよ。神は、彼女のもろさを通して、彼女を聖くすることができた、ということさ。神は、彼女の状況のまっただ中で、彼女の心の傷を通して、ご自分が望まれたように、彼女がなるべき姿に彼女を成長させることができた、ということだ。どんな誘惑の中でも、神には彼女を聖くするお力がある、ということだ」。

私たちは、よくこのように考えてしまうかと思います。「神様、取り引きしましょう。もし、あなたがこの状況を変えてくださったら、この病気、この弱さ、傷、罪を私から取り除いてくださったら、そのとき私はあなたが望むような人間になる自由を得る事ができます」。
 
しかし、神様はこうおっしゃいます。
「いや、私はあなたが置かれているこの状況からでさえも、あなたを聖くすることができる」。
 
聖パウロは、コリントの教会への手紙でこのように書いています。

コリントの信徒への手紙二 12章7~8節
また、あまりに多くの啓示を受けたため、それで思い上がることのないようにと、私の体に一つの棘が与えられました。それは、思い上がらないように、私を打つために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。

パウロは、何かしら自分についてどうしても嫌いな部分があったようです。だから三度も神様に乞いました。それから解放されるように。しかし、神様はついにこのようにお答えになりました。 

コリントの信徒への手紙二 12章9節
ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。

「力は弱さの中でこそ完全に現れる」のです。この言葉に、聖パウロは確信し、このように書いています。

だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

「分かったー! 神様、この苦しみを取り去らなくていいよ」という軽い返事ではありません。この葛藤と苦悩はリアルに続いていくのです。ですが、パウロはこう答えるのです。
 
「神様、もしあなたがこれらをこのままにしておきたいなら――もしこの状況のなかで生き続けることがあなたのみこころならば――もし私がこの身体的・心理的な病気から癒されるということがみ旨でないのであれば――私が、ある罪に対して自分のもろさを経験することが、あなたのみこころに適うのであれば――、私は自分の弱さを誇りましょう」。

コリントの信徒への手紙二 12章 10節
それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。

私に、そこから自由になる力はないかもしれません。でも私には、どんな状況においても、私がやるべきことを成すための力はあるのです。例えば、薬を飲む力はあります。カウンセラーに相談する力もあります。どんなに頑張っても状況が好転していないと思えるような時でさえも。
 
罪への誘惑を感じる時――誘惑自体からは自由になれないかも知れませんが――私たちには、やるべきことができる力があります。罪に近づく機会から逃れる力を持っています。倒れた時には、ゆるしの秘跡を受けることができます。
 
あなたには、今、自由があるのです。あなたには力があるのです。あなたの傷がなくなったからではなく、その状況のままであったとしても。
 
大事なことを言います。神様はあなたの心を求めているのです。あなたが癒されることよりも。私たちはこの事実に慣れなくてはいけません。

私たちの傷は、神様の、私たちの心へのアクセスポイントである場合がしばしばあります。

状況がひどいからこそ、私は祈ります。身体的・心理的傷との葛藤があるからこそ、私は神に近づき、謙虚さを学びます。この経験が私をキリストに導きます。
 
罪と葛藤するたびに、ゆるしの秘跡を受けるたびに、私は、希望、忍耐、謙虚を選ばなければいけません。
 
私たちの傷は、神様の私たちの心へのアクセスポイントなのです。神様はあなたの心を求めているのです。私たちの癒しよりも。

これは多くの人にとって、あなたにとって、ほんとうに聞くことすらつらいことかもしれませんね。もしかしたら今、特に。でも、ここに潜む真実に耳を傾けてください。
 
その真実とは――もし神があなたの心を望んでいるなら、あなたはそれを今、献げることができるということです。あなたには、その自由と力があるのです。だからこそ今日から、その自由と力を生きてみましょう。

Ascension Presentsのマイク・シュミッツ神父でした。あなたに神様の祝福がありますように。

動画のリンク:Will God Heal My Wounds? -- Ascension Presents


聖画:St. Catherine Of Siena by Alessandro Franchi


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