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初めて作家先生の講演会へ行きました

國學院大學児童文学会様(以下児童文学会様)が開催される阿部智里先生講演会「物語と生きる」にお邪魔させていただきました。
※このページは参加した私が実際に感じたことを記述したものであり、直接取材等をしたものではありません。そのため、実際の講演とニュアンスが異なる内容を含む可能性がありますので、ご了承ください。

……初めに、まず、事前に(しつこい)、前置きとして申し上げるのですが、私は阿部智里先生(以下阿部先生)の作品を読む機会が今までありませんでした。ゼミの後輩から「『烏に単衣は似合わない』という作品が面白い」と聞き、カラスの伝承について卒論を書いていた私が興味を持っていたところに偶然講演会を拝見したため、前日に急ピッチで読んで向かったのです。サイン会にも予約を入れるという厚顔無恥の極みです。
しかし、結果お伺いして本当に良かったと思っています。『烏に単衣は似合わない』は本当に面白い作品でしたし、それと同時に阿部先生のお人柄にも興味を持ちました。あと推しはミスリードがあろうとなかろうと最初から最後まで浜木綿です。

まず会場に入り、スタッフの方に素敵な栞をいただきました。チケットも兼ねているとのことで、ペンやインクではなくナイフで描く作品独特の雰囲気があります。参加はネット予約だったのでチケットがあるとは予想しておらず、驚くと同時にわくわくしました。

児童文学会様が用意された会場内には阿部先生の作品が丁寧に並べられており、阿部先生初心者の私はタイトルや表紙をじろじろと眺めてから席に着きました。だって全部素敵だったんだよ……()
周囲を見てみると、八咫烏シリーズやメモをとるためのノートを持参している方が多いことに気がつき、私は改めて脳の裏で冷や汗を垂らしました。「やべぇ…きっと私レベルの初心者他におらんぞ……」と、たらたら文庫本の帯をいじっていました。

ところで私は、漠然と「クリエイターになりたい」という想いがあります。大学ではまだやったことのない活動をしたいと演劇サークルを選びましたが、音楽や文章など、ずっと続けてきた趣味がある程度世間で認められるようになりたいという気持ちがあるのです。特に自分が編んだ「言葉」は誰が編んだものよりも好きなため、「世間で作家を職業にすることを認められた方の為人とはどのようなものなのだろう」という関心の元、阿部先生のご様子を拝見していました。

初めに阿部先生は、作家や物語の定義についてお話をされました。そもそも作家は創作をする者という広い定義であるため、言ってしまえば私も既に作家でありますし、今はSNSアカウントに「クリエイター」とタグを立てれば誰でもクリエイターと認知されます。だからこそ今は作家人口が非常に多いことが目視しやすく、「それ」でご飯を食べるクリエイターはより敷居の高い場所にいらっしゃるイメージがあります。「作家先生」の定義は時代によって変化しつつも、やはり多くの作家の「先生」であるのであろうとしみじみ感じました。

その後、阿部先生は幼少期をどのように過ごしたのか、いつ頃から作家を志したのか等をお話されました。そして、「作品は作者の選んだモチーフと主張で構成されたものであり、まとめられた歴史と無意識の主張が溶け込んだ創作物は実は近い関係にある」という説明をなさいました(実際、この世はクソだと主張するクリエイターの多さに私は疑問しかないのです)。

いくつかお話をお聞きして、私はふと「この先生になら、聞いてみてもいいのではないか」と思いました。私には、ずっと悩みながらも他人へ聞くことのできない疑問があったのですが、阿部先生はそれを理解してくださるような気がしたのです(初心者が何だという話ではありますが)。質問の時間が始まり、事前に集められた質問が読まれる中、私は自分の中にある悩みをノートに必死で書き出しました。阿部先生について知るための質問や作品をより良くするための質問等、ファンとしての純粋な内容が集まる中で、私が支離滅裂な発言をするわけにはいきません。しかも質問コーナーなわけですから、ちゃんと阿部先生への質問、という形になっている必要があります。
最後の最後、あと残りの人だけにしましょう、というタイミングで私はどうにか手を上げました。スタッフの方が持ってきてくださったマイクを受け取り立ち上がって、私はそこで自分が手前の真ん中という随分目線の集まりやすい場所にいたことに気づきました。今日の私はどうにも汗をかきます。それでも何とか、阿部先生の優しい目を真っ直ぐに見ることはできました。

「私は、物語の登場人物が現実の倫理観から逸れていても、それによって感情が動かされることはありません。こういった人物は物語を構成する必要悪であり、スケープゴートであるため、愛しはしても憎みはしないからです。しかし、どうにも世間では必要悪に対してヘイトが集まるように思います。客観的な視点がないという点で私は自分の感性を悪手だと考えることがあるのですが、阿部先生は作家という立場でどれくらい自分に正直な気持ちで文章を書かれていますか。また、自分がきちんと観客の視点を持っているか意識されることはありますか」

こういった趣旨の質問をしたと思います。
正直なところ、私はこの質問に阿部先生がどう返してくださるのか、何となくわかっていました。
そうでなければ言葉でご飯は食べられないからです。
そうでなければいくら言葉が美しくてもまず視線が向かないからです。
ただ、私はこの質問を作家先生にする作家学生に対して、阿部先生がどういった反応をなさるのかに興味があり、それが一番の目的でした。「私の生き方はどう見えますか」という質問にも近い内容なのです。ある種、藁にも縋るというやつだったのかもしれません。

「うん。いい質問ですね。観客視点は常に意識しています、素直になることはあまりありません」

阿部先生は、笑ってそう仰いました。
こうして私は、救われた気がしたのです。


阿部先生はサイン会の際にも、私に対して質問した内容について話題を振られました。私が「道理に外れた子が何を考えているのか何に繋がるのか考えることが好き」という趣旨のことを言うと、嬉しそうにしてくださいました。
私の言葉は、間違いなく私自身を映しています。人同士の営みの中でそれは当たり前であるはずですが、創作の世界は「自分のあってほしい」があまりにも大きくて、そんな当たり前が小さくなってしまうこともあります。
今日も朝は空気が澄んで、温かいご飯は美味しくて、猫は可愛い。そんな私の五感をどう共有し、その共有がどう皆様の娯楽へ繋がるのか。自分の全てを使って観客の皆様の予想を裏切ることができるよう、
できるよう……………、うーん。そうですね。続きを言葉で表現できないので、まずは酒を口に含んでから考えましょうかね(全てが台無し)。


【カラスに生えた蛇の足】

2枚目で立ってるの、私です(たらたら)。

阿部先生、児童文学会の皆様。貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございました。


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