その価値観も尊重したい。

いつからだろうか。
パタリとファッション雑誌を見なくなった。


大学時代、"イケテナイ"と自覚していた私は、一生懸命にファッション雑誌を読んだ (いや、その前から十分イケテナイという自覚はあった。→それも歪曲した自意識なのかもしれないと今は思うが...。だってイケてる女子はカーストのほんの一部、トップの少数であり、その他大多数がほぼイケテナイことになるから。それはどんな価値観なんだ?と思う。魅力ということを一定の価値観で括り、それ以外をイケテナイと排除しようとするのは、あまりにも低レベルで"勿体無い"気がする)。

そこに載っているモデルさんに勝手に自身を重ねた。

"ワードローブで30日コーデ"なるコーナーでは、自分と同じような年頃の女性が、人生を謳歌する1ヶ月がそのファッションとともに表現されていた。

学校では控えめコーデ。
部活では...〇〇
コンパでは...××
彼氏とデートの時は、ちょっとオシャレして...⭐︎⭐︎

そんなワクワクする文言とともに。


全然顔の大きさも、細さも、背丈も違う美少女のモデルさんに近づきたくて、髪型を真似て大大大失敗したり、

大好きな女優さんが宣伝している、素敵に艶やかに変身している化粧品と同じ色味のものを選んで、自分に塗ってみたら、なんか違う...ってなったり。


時は経ち、肌はくすみ、体型は崩れ?、子ども二人の母親、40代となった。

価値観がガラッと変わった。

今やそんな雑誌を読むのも、専ら美容院のパーマやカットの待ち時間。
自分で買うことすら無くなった。

もうウキウキと化粧をすることも無くなった。
どちらかと言うと、マナーというか、身だしなみ?の範疇になった。

化粧品は安くてもいろんなバリエーションの色味や質感のあるものを選び、仕事では控えめに。

マスカラも塗らなくなった。
あれだけ一生懸命化粧にお金と、時間と、気持ちを込めていたのに。

男子を子育てしてるととにかく時短で雑になりがち(→子どものせいにしてるが、ホントはそうではなくて自身のせいなのでは?)。

ファッションも子どもがいるときには、動きやすさや機能重視。
たまに艶やかな色味のスカートをひらひらとさせて履く程度。

昔の感覚なら、「うっわー、オバサン、ヤバイ!」てな感じであろう。

でも、なんかそれでいい。
一生懸命雑誌のコーデを追わなくていい。
好きな服を好きな時に、余裕あるときに着たらいい。
追い立てられたり、流行に敏感でいなければならない気持ちもない。それが自然でいいなあ。
そんなふうにおもえるようになった。


でも、だからといって、あの毎月発売される雑誌を心待ちにして、雑誌に載ってるカッコいい洋服をチェックして店を探して、実際店まで行って試着して...というワクワクな時間を否定する気は全くない。
爪を艶やかに塗って
お化粧に時間をかけて。


その時の私に戻って、
遡ってその時のことを思い出せば、
決して否定したり排除したりできる価値観や思い出ではないはず。

今はその価値観にはそぐわず、自分が若い頃と同じような行動、理解は難しいけれど、

そのワクワクドキドキは否定したくない。
自分が若い頃に柱にしていた考え方、捉え方、価値観の窓だから。

その時のことを思い出しては、心がウキウキし、懐かしく思うのだ。

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